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第5話 【柳に雪】

 今からひと月ほど前に、ネニュファールという赤ん坊は未だ例を見ない捨てられ方をしていた。

 何故、わざわざ旧東門の内側に置かれていたのか? しかも、門がへし折られるようにして半壊してたのだ。

 ネニュファールが真実を語る勇気を持つまでには、およそ十年以上はかかったと言う(本人談)

 巨大な木の扉・・・旧東門を片面、丸ごと新品にする羽目になった。

 その為、東側の教会・孤児院・兵舎・採取の森の経理全般を担当する文官トレフルは、元々多量の仕事があった上に、更に上乗せされた後始末に青ざめていた。


 今回の話はその時に遡る――――。


 シスターソールは、海色の神官服のスカートを翻し、力強く城内本館に続く長い渡り廊下を進んでいた。

 渡り廊下といえど、複雑な道のりの上、屋根はあるが左右に風を遮断する外壁はなく、半分は外に晒されている。

 高位の階級を持つ彼女は、城内で高貴な青色を身に付ける事を許されていた。

 すれ違う兵士や騎士見習いが思わず道を譲る気迫であった。

「まったく、なぜ兵舎側の会議室ではなく、騎士寮側の建屋なのです!」

 城内兵士は通い勤めだが、騎士である貴族たちは城外近辺に家がない者が多く、専用の騎士寮住まいだ。

 教会・孤児院・兵舎・採取の森は城の敷地内の東側、国会図書館・騎士寮・政務事業所などは西側に建設されていた。長い渡り廊下は、それらの区域を分断する役目もあった。

 無論、食堂などは別個に設置している。国会会議場や、大広間などは城の中央部にあるが、王族が住んでいるのはその更に深部である。

 本音ダダ漏れで警備兵も後退りするほどの風を起こし、本館の広大なホールを横切り、西側騎士寮に向かっていた。

「本館を挟んで反対側ではありませんか! あのボンクラ院長が院長権限を使って、華美な会議室を使いたいだけでしょうがあぁぁっ!?」    

 城内孤児院院長には“国の子供を護る”というお飾りの権限があり、それは聖騎士に準ずる特権があった。

 ただし、お飾りの権限だけであるので、院長の階級は全く関係がない。


シスターソールが両手を広げた倍以上のある豪奢な扉を前に、乱れた呼吸を整えた。

 片側に立つ銀髪の騎士が「開けてもよろしいですか?」と、伺いを立てた。

「ええ・・・今日は貴方のお役目なのですね。()()()()、お久しぶりね」

 白を基調とした騎士の正装の男に、懐かしそうにソールは目を細めた。

「ええ、お元気そうで何よりです。ですが、その名を正式に継承する者が決定しましたので、今の私は元の()()()に戻りました」

「そう・・・・・・本家の“風の継承者”が現れたのですね」

「はい、私は繋ぎの継承者でしかありませんので」

「ふふふ・・・・・・お互い苦労しますね?」

 騎士ケイルはソールとよく似た、森林の深緑色の瞳で微笑んだ。

「では、おしゃべりはまたの機会に・・・どうぞ、私の愛しいソール」

 豪奢な会議室の扉を騎士ケイルは風魔法で開いて見せた。

 美しい雪の結晶の幻影を含めて――――。

「本当に、相変わらず憎らしいお方ですこと・・・・・・」

 そっと・・・ふたりは互いの魔力を共鳴させ、視線を絡めた。


 会議室の扉が開かれ、ソールが入室した。

 その背には雪のような光が舞っていたが、扉がしまった途端、その特殊効果は消えた。

 会議室に待っていたのは、成人男性三名であった。

 ひとりはネニュファールを発見した赤髪のダフネ。

「今のキラキラしたのはなんです? 魔法ですか?」

 ひとりは経理担当、ミルクティーを思わせるようなの髪色のトレフル。

「警備担当のケイル殿が、ふざけて幻影魔法を使っただけですよ」

 もうひとりはレモンイエローの髪色をした、孤児院院長のポレーン。

「なぜ私にはなかったのだ?」

『 ・・・・・・』

ソール、トレフル、ダフネはその意見は無視する事にした。

会議室内は魔法の特殊効果で、外には一切音が漏れない仕掛けだ。

トレフルは1番最後に着いたソールに席を勧め、自らワゴンに乗った茶器を手に取り、紅茶を準備し始めた。

「恐れ入ります、トレフル様」

 ソールが軽く会釈する。

「おお、トレフル様自らですか!申し訳ない、ここは1番位の低いワシが・・・・・・」

 ダフネが立ち上がろうとすると、トレフルは笑顔で制止した。

「お気になさらず」

気品のある所作で紅茶を準備するトレフルだが、そのヘーゼルの瞳の下には薄っすらとクマができていた。

 昨夜も残業だったのだろう、魔力を使い、複雑な経理計算ができる“算術の才”があるトレフルには、仕事が絶える事はない。

 シュッとした優男のトレフルに対して、赤髪のダフネは髭を整えた筋肉質の中年兵士だ。

 そんな2人に比べ、院長のポレーンは見るからに不健康な体型をしていた。

 丸々と膨らんだ身体を、よくあんな細い足首で支えられるものだとソールは常々感心していた。


 全員席につき、一口ずつカップに口をつけ、一息ついた。

「で、問題の捨て子だが、いつ城外の孤児院に異動する? ソール」

 ポレーン院長が開口一番に会議にもならないセリフを吐いた。

 自分で決めず、いきなりシスター長兼、副院長のソールに話を丸投げした。

 これは立ち話か? とでも言いたげなトレフルが声をあげた。

「ポレーン院長、あの子の捨てられた状況をご存知で?」

「ああ、門が壊され、城内敷地内に捨てられていたんだろう? な、ダフネ?」

「ええまあ・・・・・・普通では考えられない状況でして、やっと首と腰が座った感じのふにゃりとした赤ん坊でした」

 ソールはダフネの冷静な観察眼に黙って頷いた。赤ん坊の幼さを良く理解している。

「これが預けられた時に一緒にありました。カゴや産着は一般的な物のなので、そのまま孤児院に下げ渡しました」

 トレフルはそう説明しながら、布に包まれた金のブレスレットと真っ白で見事な真珠の連なった首飾りを、テーブルの上に置いて見せた。

「ほおっ!」

 と、ホクホク顔でポレーンは手を伸ばす。その下品な仕草にトレフルが眉を顰めた。

 だが、ソールは風を使い、ポレーンが触れる寸でのところで自分の前に引き寄せる。

 ポレーンの手が空を掴むマヌケな様を見て、ダフネはつい吹き出しそうになった。

「ソール・・・・・・」

 ポレーンが彼女の顔を軽く睨んだ。

 ソールはしれっとしたまま、用意した白い手袋をはめてから金のブレスレットを手に取り、その細かい装飾を確認し始めた。

「ブレスレットのプレート部分には美しい花の模様・・・・・・かしら?」

「ええ、問題は裏側なんです」

 トレフルにそう言われ、ソールはクルリとプレート裏返した。

「なるほど・・・・・・私をわざわざ会議室に呼び出した訳ですね」

「な、なんの話だトレフル。私は聞いとらんぞ!」

「院長お静かに、トレフル様のお話がまだ途中ですよ?」

 分かり易くポレーンはソールに叱られた。

「シスターソール。私にはその古代語が読めません。どうか教えて下さい」

「はん? 博識のトレフル様でも読めませぬか」

「院長っ・・・・・・」

 ポレーン院長の失礼な物言いに、ソールがブレスレットから顔を上げ、院長の顔をしっかりと見つめた。

 ソールがそのまま静止した。

「・・・なんだ、私の顔に何かついているか?」

「・・・・・・いえ」

 ダサいチョビ髭がついているが、それ以外のものがソールの目にとまった。

 風魔法の才と同じく、魔力によって無意識に発動してしまう“もうひとつの才”がたまに見せる、空間に浮かぶ線のような・・・糸のような予告。

 ポレーンの左眉から心臓にかけて、黒い線が垂れ下がっていた。

 それは今にでも、彼を引き裂くような鋭い“何か”だ。

「なるほど・・・」

 ソールは呟く。

「だから何がだ!」

 ポレーンはイラつきをあらわにする。

 彼女は深くため息をつき、言葉を続ける。

「これは王家に伝えられる聖なる古代語ですね」

「意味は?」

 トレフルが先を急かした。

「聖なる古代語で“ネニュファール”と、記してあります」

「古代語でネニュファール・・・・・・か、あの子の名前はそれで決定だな」

「トレフル様、その意味をご存知で?」

 ソールがそう言いながら目を伏せた。

「それぐらいは古代語文学で知っている“現世と黄泉(うつしよ よみ)をつなぐ”花の名だ」

「ネニュファールぐらいは私も知っていますよ!」

 ポレーンが口を挟む。

「意味は知らないのでしょう? 聖なる古代語で記されているのが問題なのですよ」

「ワシには全く分からんです。教えていただけますか?」

 ダフネの素直な言葉に、やれやれとトレフルはこめかみを押えた。

「聖なる古代語はその言葉自体が魔力と加護を与えると言われている。その中でも神に関わる言葉とされている花の名です。その文字をブレスレットに刻印するという“才”も、教育と魔力を持ち得なければ不可能なのです」

「では、ネレは・・・・・・」

 ダフネは心配そうな表情になった。

 心からネニュファールを思いやっているのだろう。

「トレフル殿、あの赤ん坊に魔力はどれぐらいあるのですか? 利用価値があるのなら孤児院でもそれなりのバックアップをいたしますぞ」

 ギっと、ダフネが心無い発言をするポレーンを睨んだ。

「それが、あの子に魔力は全くないのです」

「利用価値はゼロですな。生まれはどうであれ、ただの子供。厄介なモノはさっさと城内から出すべきですな」

 そう言いながら落ち着きのないポレーンは髭を常に弄っている。

 ふうっ、とソールが息を吐いた。

「ご存知ないのですか? 現世と黄泉の境目に咲くネニュファールの花を、それを手折る者には黄泉の王は容赦をしないのです」

「ただの昔の物語の事だろう!」

 ソールは静かに答える。

「聖伝はただの物語ではありません。一種の予言と忠告が含まれているのです」

「と、とにかく赤ん坊の名前など、どうでも良い。出生の分からぬ子供など、私の孤児院にはいらぬ! これは院長命令だ。その真珠も出処が不明なのだろう? ありがたくこの国の未来の為に使わせてもらおうではないか!わかったか、ソール!?」

 ポレーンの横暴な態度にダフネとトレフルは怒りをあらわにしたが、ソールは無表情のまま静かに答えた。

「承知しました。院長権限をお使いですね? ()()()()()()()()()()()()()()、私はそれに従いましょう。そのお心に沿う形で、今後の事を検討いたします。さぁ、後は全て私がやりますゆえ、お忙しい院長はご退出下さって結構です。後で書類をトレフル様と作成して来週末までにご用意します事をお約束いたします」

 椅子から立ち上がり、シスター長ソールは院長ポレーンに仰々しく跪いた。

「わかればよいのだ」

 トレフルがダフネに声をかけた。

「ダフネ、済まないが院長を城の出口まで送ってくれ。その後、そのまま通常業務に戻るがいい」

 トレフルはポレーンに「早く帰れ」と言う意味で遠回しに伝えた。

「はい、承知しました」

 ポレーンはポヨンとする腹の肉を携え、椅子から「よっこらしょ!」と、立ち上がり会議室の扉へ向かった。

 トレフルは「そういえば」と、彼の背中に声を向けた。

「ポレーン院長、孤児院で必要のない装飾品や外食費は経費では落ちませんので、領収書はあなたのご自宅に転送しておきました。あと、買掛金の請求書も当月締の翌月支払なので、当月末に間に合わなかった請求書と、城と契約していないあやしい業者も支払対象外ですよ」

 身体についた贅肉と共に、ブルンっと遠心力で振り向いたポレーンは「信じられない」といった表情をトレフルに向けた。

「どういうことです? ポレーン院長、私は必要な経費は毎月末日までに清算しておりますが?」

 ソールは眉間に皺を寄せ「そんな話はきいていません」と、ピシピシと魔力による風の音を立て、全身で表現していた。

「な・・・何かの手違いだ! では今日はこれにて失礼する!」


 会議室からポレーンとダフネが退出し、扉が閉まりかけたほんの隙間から雪の結晶が会議室に入り込んだ。

 豪奢なその扉が完全に閉まり、トレフルとソールの残された会議室内は完全に音が遮断された。

「・・・・・・ソール先生、いい加減ケイルさんのあの悪ふざけを何とかして下さい」

「あれぐらいは大したことではないでしょう? トール坊ちゃま」

「誰かれかまわず、公平に面白い事をするのは個性として認めましょう・・・ですが、先生が騎士寮側や本城敷地内に入る度にあの調子では、色々と噂が立つのです」


 ソールとケイルは従妹同士で、彼らの一族は風魔法で優秀な血族である。

 王家より“風の継承者”の名を与えられ、国に仕えることを代々約束されていた。

 二人は歳も近く、銀髪で深緑の瞳を持ち、子供の頃は二人並ぶとまるで双子の兄妹の様であったという。

 ケイルの妻は元々身体が弱く、若くしてこの世を去っているが、その妻の座を狙う争奪戦が年々過熱しているというもっぱらの噂だ。


「孤児院の副院長を兼務している私にどうしろと・・・」

「さっさと彼とくっついて下さい」

「な、何を言い出すのですっ!! 世間体を考えなさい、一度出家した私が名誉騎士のケイルの後妻になれるわけがないでしょう?」

「ええ、それこそ貴族社会で大スクープですね」

「彼はただ・・・再婚の話を潰す為に私の存在を利用しているだけです」

「それよりも私の心労を減らすのが優先です。事ある毎に、こういう機会の調整をする役回りにされる身にもなって下さい」

「・・・私の話、聞いてました?」

 トレフルは懇願するようにソールに手を合わせた。

 どうやらケイルに脅されて、ソールのスケジュールをバラしてしまったらしい。

 きっとあの“幻影の才”で色々されたのだろう。

「坊ちゃま・・・それよりも、私、言いましたよね? 聖なる古代語の文法は理解しなくていいから、単語はちゃんと勉強をしておくようにと」

「いやぁ・・・算術でいっぱいいっぱいで~、ソール先生がずっと家庭教師だったらよかったのにぃ」

「黙らっしゃい! 単語なら学校に通っている間に図書館で勉強できたはずです!」

「厳しーーーいっ!」


 二人は気を取り直して、再び会議の席に着いた。

 既にただの打合せと化しているが、せっかく完全防音の会議室を利用しているのだ。

 この絶好の機会を利用しない手はない。

 ついでにトレフルは紅茶のおかわりを淹れ、紙・ペン・インク壺を並べ、先ほどとは雲泥の差の会議スタイルをセッティングした。

「では、ソール先生これから本題と行きましょう」

「まずは、先ほどのポレーン院長への“釘刺し”ありがとうございます」

「いえ、限られた財源をあのように使われてしまっては、ポレーン院長よりも先に()()()()()()()()飛んでしまいそうですから」

「次回はもう少し“マシな盾”をお願いします」

「どうせ聖騎士に準ずる特権が与えられるのです、騎士ケイルを推薦・・・」

「それは更に問題が生じます」

「冗談ですよ~・・・」

「・・・・・・・・・・」

「で? “先読みの才”で何か見えましたか?」

「ふふふ・・・そんな‟才”を信じているとは」

 そう、トレフルはソールのもうひとつの才を“先読みの才”と言ったが、彼女自身もうまく説明できない希な才であった。

 あまりにも珍しく記録も前例もない能力を彼女は公にすることはなかった。

 見えたとしても、何も対処のしようがない、とても鬱陶しいものだと感じている。

 彼女には、人のほんの少し先の運命が糸のようなもので見えるのだ。

「私に何か見えましたか?」

「いいえ、トール坊ちゃまには未だ運命の恋人の糸がない事は確かですが」

「そんな・・・」

 彼はがっくりと肩を落とす。「こればっかりは」とソールは苦笑する。

「だいたい。通常の家同士の結婚で良いでしょう?」

「いえ、膨大な物語を読み漁った結果、恋愛至上主義になってしまいました。こうなったらもう軌道修正は無理ですよ・・・て、話が逸れましたね」

 すっと、ソールの手が白紙とペンに伸びた。

「新しい院長が決まるまで、すべての決定権は副院長である私で構いませんね?」

「え? ポレーン院長が退任する前提ですか?」

「ええ、いなくても大して変わりませんが、新しい赤ん坊の問題があります」

「見えたのですね・・・」

「ええ・・・かなり太く黒い糸がはっきりと」

 ソールはそっと金のブレスレットに触れた。

 先ほどこのブレスレットに触れた途端、ポレーン院長に色濃く黒い糸が見えていたが、今は特に何も見えない。

 トレフルはインク壺にペン先を浸し紙にペン先を素早く走らせ、報告書を作成し始めた。

 同じくソール副院長は、赤ん坊のネニュファールをヌーヴェル城内の孤児院に引き取る為の手続き書を黙々と作成し始めた。

 もちろん、書類の作成日付は空欄にしてある。

「神の許しを得ずに“ネニュファール”の花を手折る者は、黄泉の国に堕ちる・・・か」

 トレフルの小さな独り言が、会議室の防音の壁に吸われ、消えていった。


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