第4話 【我が物と、思えば軽し、笠の雪】
「たっくもう! 倒れてるんじゃないわよ、プラタのヤツ~」
調理場に立っていたルノンは、オリーブ色の髪を振り乱し、包丁で野菜を荒々しく刻んでいた。
――――髪ぐらいはちゃんと束ねたら?
プラタが熱を出したので、急きょ調理場に設置されたベビーベッドにネレは隔離されていた。
とりあえず、今は大人しくおしゃぶりをくわえている。ご丁寧にネックレス風に首掛け式のだ。
――――本当に料理が苦手っぽいなこの人
「シスタールノン、小麦粉の配達が来てるから確認してちょうだい!」
眉間に深く皺を刻んだ人生の大先輩が、廊下から上半身だけ調理場に入り、大きな声で言った。
「は、はい!」
シスター長に仕事を振られ、大慌てで調理場を出ていった。ネレは一人取り残される。
野菜は切断途中で、包丁は台に置きっぱなし、魔道コンロは火が着いたまま鍋でスープを沸騰させていた。
――――おいおいおいおいぃ!! もうちょっとキリのいいところで行けや!
はたっと気が付けば、右を向いても、左を向いても、調理場にはネレがひとり・・・。
ぺっ・・・と、おしゃぶりを吐き出し、首にぶら下げた。
「ボクひとりでしゅか」
気が付けば、男性転生願望が強すぎて、自然とボクっ娘になってしまった。
小さな手でベビーベッドの柵を器用に倒して開けた。
パタン
するすると小動物のように降り、床に足を着地させた。
毎日こんな調子でネレは身体を鍛えている。
本人曰く「赤ん坊って、頭が重くて歩くの大変なんだよね」だそうだ。
そろそろ一歳ぐらいになるが、既につかまり立ちは卒業していた。
大人たちの前ではハイハイとつかまり立ちを併用しているのが現状だ。
「またうすあじのスープに、ふるいパンをつっこまれそうでしゅ・・・」
思案しつつ、身長の補助のため流し台のそばに丸椅子を準備した。
「ボクにもちゅかえそうなにゃべ・・・あったぁ」
小さな片手鍋を魔道コンロに乗せ、コップ経由で水を汲んだ。
強火になっていた大鍋の炎を中火に切り替え、小鍋に火をつけ、洗ったジャガイモを小さなナイフを使い、火が早く通るように半分に切断し鍋に入れる。
「バターとかがある、ぜいたくにゃ・・・・・・あとしお?」
ネレはベビーベッドからルノンの後ろ姿を穴があくほど観察しながら、調理器具と調味料の配置を覚えたのだった。
しばらくして、パタパタと足音が近づいていたが、ネレは一向に気にしない。
調理場にもどり、ネレの姿を見つけたルノンはその場に立ち尽くした。
「な、な、なにをしてっ――――」
ネレは振り返らないまま、野菜を丁寧に切り分けていた。
「あ、てつだってくだちゃい」
「――――は? えっ!」
ルノンの飛んでいった意識が戻った。
「これ、どうするんでしゅか?」
ネレは鶏肉の皮と、無惨な頭付きの鶏ガラを指さした。
「す、捨てるんだけど。使わないから・・・」
「じゃあぁ、つかっちゃってもいいんにゃれ?」
ルノンがゆっくり頷く。
「もうちゅぐ、こっちのジャガイモがゆであがりゅのでかくにんしちぇ」
ネレが指さす小鍋をルノンがビクビクしながらのぞいた。
「どうやって?」
既にルノンはネレの考査は諦めていた。
とりあえず、料理に集中することにした。
今は赤ん坊の不思議現象より、食事の準備が遅れた時のシスター長のカミナリの方が心臓に悪い。
「たけぐし、ありゅ?」
「たけぐしってなにさ」
「もくせいのながいくし」
「ああ」
会話を繰り返すことで、ネレの言葉遣いは段々と流暢になっていた。
ネレの指示通りに、ルノンは茹で途中のジャガイモに竹串を刺した。
その串を小さな手で受け取り、引っかからずにすっと串が通ったのをネレも確認した。
「じゃああついうちにかわをむいちぇ」
「いやよ、熱くて火傷するじゃない」
「しょうどくずみのキレイあふきんはなんにょためにありゅの・・・」
「・・・あ、そっか、ふきんで剥けば熱くないのね!」
「むけたら、そのふきんをいちどあらってからジャガイモをまっしゅして」
「マッシュ?」
「つぶして」
一瞬、滑舌もよくなり、シリアスな顔になる赤ん坊であった。
「あ~はいはい」
「それをそのままきのおさらにいれちぇ、こちょうとしおしょうしょうとばたーひとさじとまじぇて」
「わかったわかった。はい!」
ルノンは面倒くさそうにガチャガチャと混ぜた。
「スープをおたまはんぶんしょれにいれちぇまぜて?」
「はいかけたぁ! はい混ぜたぁ~!」
ネレはどこからか出した木のスプーンを右手に持ち、丸椅子に座り直し、ルノンの手からその皿を受け取った。
「いただきましゅ!」
一口頬張ると、丁度いいほっこり温度になったマッシュポテトが口内に広がった。
ネレは頬を少し赤らめながら、赤ん坊特有の天使のスマイルを見せた。
「ほいしい~」
「・・・っっつ!!!」
ルノンは鼻の頭を紅潮させながら、服の胸元をくしゃりと掴んだ。
「お・・・おいしいの?」
「るのん、あ~んする?」
ネレが皿を差し出す。
行儀が悪いと承知の上で、ネレの皿からマッシュポテトを指でつまみ、味見をした。
「んンぅ~! んま!」
もう一口、もう一口・・・結局半分こ、となった。
空になった皿の底をお互いに見つめ、次に互いの顔を合わせてから笑いあった。
野菜の皮と、味見用の皿をルノンが片付けたのを見届けると、ネレは椅子から降り、スタスタと再び自らベビーベットに戻った。
さすがにネレの身体では柵は戻せないが、気にせずそのままベビーベットに転がった。
「・・・え? ね、寝ちゃうの?」
ネレがベッドまで戻る一連の動作を、ルノンがポカーンと見送っていた。
ベビーベッドに近づこうと一歩踏み出したが――――。
「何をしているのです!? シスタールノン!」
驚きとともに「ひうっ!」と、息を吸い込んでしまった。
眉間に皺を寄せたシスター長は、今度は確実に調理場にドシドシと入ってきた。
ネレのいるベビーベッドと、流し台の前に立つルノンを交互に確認すると。
「何故ベビーベッドの柵がおりているのですかっ!」
「あ・・・いえ、ネレが自分で」
「そんなわけがないでしょう! ちゃんと柵の留め具は確認したのですか!? ネレが落ちてケガをしたらどうするのです! ちゃんと見ていなさいシスタールノンっ!」
「はっはい! すみませんでしたシスター長」
ルノンは身体を半分に折るように頭を下げた。
シスター長は鼻で長めにため息をこぼし、ネレの眠るベービーベッドの柵を上げて、留め具をカチャリとかけた。
今度は凛々しい所作で歩み、ルノンの隣にすっと並んだ。
きれいに刻まれた野菜と、小さめの一口大の鶏肉が大鍋の中でくるくると舞っている。
野菜の皮もキチンとまとめられ端に寄せられ、作業台は次の作業がやり易くスペースが空けてある。
「これはどうするのです?」
シスター長がネレと同じ動作で鶏ガラと、鶏の皮を指さした。
「あ・・・あの、鶏ガラは今夜の夕食用に煮込んでおいしい煮汁を作ります。鶏の皮はサッと茹でて細切りにし、生のキャベツとあえて、薄くスライスしたパンと一緒に出そうと・・・」
シスター長のこめかみがピクピクとする。
「なんと・・・」
「あ、あのいけませんでしたか?」
シスター長の深い緑色の瞳が、まっすぐとルノンの赤茶色の瞳を見詰めた。
「いったい・・・いつの間に勉強したのですか?」
本当の事を言えば、また怒鳴られそうだ・・・まさか「そこに寝ている赤ん坊に教えてもらいました」とは絶対に言えない雰囲気だった。
「さ、ここまでできていれば、すぐに終わるでしょう。ちゃっちゃと、私と仕上げちゃいましょう?」
シスター長は眉間の皺を消し、ルノンに向かって軽くウィンクした。
驚きの連続と、嬉しさと、少々の罪悪感も交じり、ルノンは背中をこそばゆく感じた。
その日の昼食時に、食堂に時間通りにそろったシスターたちに激震が走った。
「ど・・・どういう事!?」
「いつもは硬いパンとスープだけなのに・・・」
《本日のランチメニュー》
・鶏肉と野菜のスープ
・マッシュポテト
・鶏の皮とキャベツの和え物
・スライスされたパン
・お子様限定、りんごジュース付き
「二品も多いじゃない!!」
「え? 今日は何かの記念日だったかしら?」
コホン、と、シスター長が咳払いをする。
「皆さん、静かに席に着きなさい。子供たちが驚いていますよ」
子供は約一名を除いてだが――――。
シスターと乳幼児たちは、ぎこちない食前の祈りを捧げ、食事を始めた。
周りをチラチラと気にしながら、シスターのひとりがスープを口に含んだ。
「これはっ! ・・・子供たちの為に胡椒は必要最低限にし、一部だけ人参と玉ねぎは細かく刻みバターで炒めてあるのね? 具材のサイズもちょうどよくて食べやすい上、野菜の旨味が生きている!」
「しかも! 子供でも千切らずそのまま口に運ぶことができるように、パンがスライスされてるわ。なんという気遣い!」
「添え物のマッシュポテトと、鶏とキャベツの和え物で、こってり味とさっぱり味が交互に味が楽しめるわぁ~!」
――――なんか、食レポがはじまったよ?
先ほどつまみ食いをしたので、ネレとルノンは反省の意を込めて・・・少なめにしてある。
りんごジュースは熱を出したプラタの為に、すりおろしりんごを作ったついでだという。
残ったりんごのカスは、夕食の具材となるので、別にスタッフが美味しく頂いたワケではない。
ネレは、緊張しながら食事をする隣席のルノンを横目で見ながら、ひとりで行儀よく食べていた。
――――しかし、ルノンにあんな才能があるなんて知らなかった
りんごジュースはシスター長の許しを得て、ルノンが作ったものだった。
シスター長と昼食の準備をする二人の後ろ姿を、ネレは眠い目をこすりながら眺めていた・・・その時である。
ルノンは右手に取っ手付きのガラスピッチャーを持ち、左手に大きなりんごを掌に乗せていた。
次の瞬間、ルノンの掌のりんごはスルスルとしぼみ、ガラスのピッチャーには黄金色の液体が溜まっていった。
それはまさに、ネレが生まれて初めて見た魔法だった。
――――「なんとゆうことでしょう!」ってマジで声が出そうになったワ・・・
だがしかし・・・上には上がある。
ルノンが手際よくりんごを絞った事に触発されたのか、
「今回は特別ですよ?」
と、唇に人差し指を一本立てて、茶目っ気を醸し出しながら、後ろにある大きな作業テーブルに16人分のパンを並べた。
シスター長が小さな声で何かの呪文を唱えると、パンが宙を舞った――――かのように見えた。
一気にパンが見事に1センチ毎にスライスされていた。
――――ひいっ! かまいたちぃ!?
ふたりの会話に聞き耳を立てていると、ルノンは水魔法の才があるが魔力はほんの少しらしいという事が分かった。
シスター長は風魔法の才があり、魔力は・・・言わずもがな・・・らしい。
今日はネレの頭の中で“絶対に逆らっちゃいけない人リスト”が作成され、記念すべき第一号はシスター長が掲載決定となった。
10名のシスターと、5名の乳幼児を囲みながらの孤児院の食堂は、今日はなんだかいつもと違う意味で騒がしい。
その様子をシスター長はいつも通りの平静を装って伺っていた。
心の内は「あの赤ん坊が来てから、孤児院の様子が変わってきた」という不思議な感覚だった。
シスター長のソールは、いつも凛々しく孤児院内を闊歩している。
長い銀髪をきっちりと結い上げ、森を思わせる深い緑の瞳は、いつもほんの少し先の未来を見ることができた。
それなりの貴族の出身であり、貴族の子供たちの家庭教師をし、厳し過ぎて煙たがれることもあった。
我ながら、収まるべきところによく収まったものだと感嘆している。
シスターソールが教育すべき者は孤児ではない。
高貴な出身であり、魔力もあるシスターたちはクセの強いワケありばかりだ。
単身では生きる術を持たないくせに、中途半端に気位も高い。
そんなほぼ世間知らずな小娘たちを再教育するのが彼女の役目だ。
その再教育のターゲットは現在、シスタールノン。
何かにつけて、刺々しい態度が治らず、他人を労わるという事を知らないお嬢様が、そのまま二十歳を迎えてしまったようだ。
ルノンには魔力があるものの、1日にコップ1杯の水を生成するのがやっとらしい。
せっかく水魔法が使えるならばと、料理当番を任せたが・・・本人も知らないうちにスープに水を足してしまっているらしく「とにかく経験を積ませなければ」と、シスターソールはポーカーフェイスをしつつ、毎日が悪戦苦闘である。
「あの性格は治るだろうか?」と、試しに比較的大人しく、手のかからないネレの世話を任せてみたが・・・・・・。
料理の腕はまだまだだが、基本的な事は少しずつ自ら学んでいるらしい・・・「さて、ルノンがどう変わるか楽しみだ」と、思わず口元がニヤけてしまっていた。