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第3話 【人に頼り、大声で泣き、そして蛍雪を誓う】

 ふうっ・・・と、ネレは瞼を開いた。

 その視界に入ったのは、粗末だがきちんと掃除がされているカーペット。

 灰色、黄色、水色の髪をした幼い子供たちと、寒々しい白壁、馴染みのない服を着た人々がいる。

 そして、板に触れていた右頬に痛みがあったので起き上がり、頬に右手を当てた瞬間・・・彼女は自分の手足を確かめ、息を呑む―――。


「ういっす! ジャン、おつかれ~」

 青年兵士がヌーヴェル城の本館と、東地区の教会・孤児院・兵士宿舎などを分断する渡り廊下で、同僚とすれ違いざまに挨拶をした。

「お、ビーヴ! 兵舎の風呂上りか、さてはこれから街に繰り出す気だな?」

 ビーヴと呼ばれた青年の金茶の髪が艶々と濡れて光っていた。

「そ! 風呂でさっぱりしてから、キレーなオネーちゃんと美味しく酒を・・・」

 ビーヴの言葉を、風で運ばれてきた赤ん坊の泣き声が遮った。

 「うぎゃあぁぁぁぁっ~~~~っ!」と、新種の魔物か? という鳴き声に二人は会話を中断し、顔を見合わせた。

「な・・・なんだあ?」

「多分、孤児院の赤ん坊だ」

 爽やかな春緑の髪色をしたジャンが、思い出したかのように言った。

「あれ? 孤児院は人数オーバーでしばらくは受け入れないって話だったろ?」

 ビーヴは興味ありげに水色の瞳を動かし、それに答えるようにジャンの鳶色の瞳が一度瞬きをした。

「ああ、お前は一昨日に遠征から帰ってきたから知らなかったんだな。十日前に一人城外に引き取られて、翌日に旧東門に一人の赤ん坊が捨てられてたんだ」

「はあ? そんなのよく引き取ったな、敷地内の孤児院は出生が確認できるお貴族様の隠し子ぐらいだろ・・・」

 ジャンは慌てて同僚ビーヴの口を手で塞ぎ、辺りに誰かいないか確認する仕草をした。

「バカッ! それは城内では禁句だろう!?」

 モガモガとビーヴは文句を少々訴えながら、ジャンの手をなんとか外した。

「ぐぅ・・・スマン、そうだった」

「守秘義務ぐらい覚えとけ! 城内敷地内に兵舎がある理由を忘れるな!」

 城内勤務の兵士は、騎士に次ぐ名誉の戦士とも言われ、礼儀や城内での守秘義務は必然とされていた。

「クビが飛ぶところだった・・・物理的に・・・」

 ネレの大きな泣き声は、先ほどから止まなかった。

「その赤ん坊、よく声が通るんだな。魔力持ちか?」

「いや、トレフル様が水晶判定をしたんだが、まったくなかったそうだ」

「そうか・・・赤ん坊も気の毒だな、マナシ(魔力無し)とは・・・で? その赤ん坊の担当はどのシスターになったんだ?」

「プラタさんだ」

 彼はわかりやすく、自分の胸に両手で山を表現した。

「・・・ちょっと見てくる」

「どっちをだ?」

「赤ん坊をあやす、聖母プラタ様をだ!」

 即答だった。

「オレも行く!」

 青年兵士二人は我先にと、渡り廊下から横道に反れて孤児院へと駆け出した。


 勢いよく泣き出したネレは、周りから一気に注目された。

 老若男女問わず誰もが会話を止め、その癇癪に呆然とした。

 ネレは拾われてから一度も泣き声を発しなかったおとなしい赤ん坊だったので、何か身体の障害でもあるのかと周りが心配したほどだ。

 それがこの豹変ぶり・・・。

 赤ん坊の泣き声を聞いたプラタが、駆け足で孤児院の遊戯室に戻ってきた。

 靴を脱ぎ捨て、乳幼児専用のスペースにいたネレを抱き上げる。

「ネレ! ああよかった・・・あなたはちゃんと泣けるのね」

 ぎゃあぎゃあと泣き続けるネレを抱きしめ、プラタは嬉し涙をこぼしたのである。

 渡り廊下でネレの泣き声を聞いてやってきた青年二人が、同じく靴を脱ぎ、プラタとネレに近づき、風呂に入ってきたビーヴは迷いなくプラタの腕からネレを預かって抱き上げた。

もう一人は“いないいないばあっ!”とやり始めた。


 泣き声は段々と弱くなるが、むずがりながらエビぞりと縮まりを繰り返した。

「なんかこないだ池で釣ったでかい魚がこんな感じだったかな・・・」

 落ち着き払ったジャンが、ネレを見た率直な感想を述べた。

「ずいぶんと生きがいいっすね!」

「鮮度バツグン? みたいな?」

 ビーヴは抱いたネレの背中を“ポンポンポン”と一定のリズムで優しく叩き始めた。

 色素の薄い、イケメンハーフ風の顔が近づき、ネレは少し“はわはわ”していた。

「泣いていいのよネレ・・・ずっとガマンしてたのね?」

 ――――泣いて・・・いいの?

「プラタさん、この赤ん坊みてるから、早く白湯を準備してあげて! 声が枯れちゃってるよ」

 ネレを抱っこしている青年ビーヴは、必死にネレと一緒に身体を揺らし、あやし続ける。

「ああっ! そうね、すぐ準備してくるからよろしくね!」

 プラタの背中を、ぐずりながらネレは見送った。

 ――――泣いて・・・いいんだ・・・

「おっ、泣き止んできたぞ・・・」

 グスングスンと、ぼろぼろと後から後から出てくる大粒の涙で、ビーヴの腕と、よだれかけを濡らしていた。

「俺があやしたから効果が出たんだぞ?」

「はいはい、お前のお陰でもあるよ~・・・って、結構かわいいなコイツ」

 身体を揺らす度に、角度によって金と緑が交差する瞳、涙で濡れたワインレッドのまつげはキラキラとしていた。

「そだな、赤ん坊のくせにクッキリ二重とは羨ましいなあ」

「その発想はなかった・・・」


 三人に見守られながら、ネレは白湯の入った哺乳瓶からちゅくちゅくと水分補給をしていた。

 ――――あ~、白湯がうめー・・・

 赤ん坊のネレは、再びプラタの腕に抱かれ、落ち着きを取り戻しはじめていた。

 ――――涙を流すとストレス発散できるってホントだな~、あ~白湯がうめぇー

「それ、最新の哺乳瓶じゃないすか!? よく手に入りましたね?」

「おまえ、詳しいな・・・」

 手慣れた子守をするビーヴに、ジャンは感心していた。

「ふふふっ! この子を鑑定したトレフル様が寄付して下さって、ダフネさんが先ほどオシャブリを下さいました」

 青年二人の肩がピクリと反応し「トレフル様か・・・隊長はともかく、強敵だな」「ハードル上がっちゃったな」と、小さな声で語り合った。

「ネレって名前・・・どこから取ったんです?」

「・・・この子と共にあった装飾品に“ネニュファール”と」

「名前を印したってことは、親は迎えに来るつもりなのかなぁ」

「さあ、どうでしょう・・・この孤児院は特別なので・・・」

 うつむくプラタを見て「しまった!」と、また余計な事を言ったビーヴは、相棒ジャンに笑顔で後頭部をはたかれた。

 この孤児院には、実の親は決して迎えに来ないと言われている。

 毎月高額の寄付はあるが、訳ありの貴族や、貴族に媚を売る高額所得者の商人が多いのだ。

 防犯対策は常に万全に整えられ、表向きは慈善事業に力を入れているという国のポーズでもあった。

 そう、ここは・・・美しく飾られた貴族たちの“パンドラの箱“であった。


 先ほどから、ネレは授乳タイムになり恍惚とした表情を浮かべて栄養補給に勤しんでいた。

「痛った・・・!」

 ネレははっとして、口を離した。

 母乳を提供してくれている下働きの女性は、特に怒ってはいなかった。

 すぐに口を離したネレを褒めたのである。

「あらまあ、ネレ・・・偉いわね。言葉がわかるのかしら? 普通の赤ん坊は、痛がっても離さないわよ?」

 普通の赤ん坊は「痛い」と言っても言葉を理解しないので、授乳中は鼻をつまんで赤ん坊が息をする為に口を離すように仕向けるのだ。

 心配するような瞳でネレは彼女を見上げていたが、彼女はすっと素早くネレの口に人差し指を入れてみた。

「あら、やっぱり前歯が生えてきたわねぇ。おめでとう、お食い初めをしなきゃ! もうおっぱいは卒業よ?」

 さっと、ネレの口から指を抜き、ワインレッドの髪をなでた。

 ――――ガ~~~ン!? え、ちょっと待って下さいよ! この理想的な栄養補給食を断つなんてあんまりです!

 ネレは口を小さく開けたまま、この世の終わりのような顔をした。

 ――――だって、こんなに素早く栄養補給ができるんですよ? まだ、情報収集に時間がかかって、食事時間が惜しいんですよぉ!! こんな身体じゃ離乳食を食べるにも時間がかかってしょうがないでしょう? 離乳食って絶対まずいしぃぃぃ!

「ふ・・・ふえぇえええん! マンマ、マンマ、やややややあぁんんあ~!」

「これっばっかりは泣いてもダメよ?」

 ――――・・・ッチ! やっぱりこの場合は泣き落としは無理か


 離乳食が始まったネレは、食事の時間が不満であった。

 ぶっちゃけ、離乳食がまずいからである。

 薄めたスープに細かいパンが浸してあるだけのいわゆる“パン粥”に不服なのである。

 ――――せめて米のお粥はないのかな・・・

 スープはよく煮込んであるが、野菜と肉の姿は見当たらない。

 シスターたちのスープ皿を覗くと、そちらにはかなり野生的なサイズの具材が入っていた。

 ――――なんでやねん!

 口元に木製の小さなスプーンが当たった。

 プラタがアーンしてくれているのである。

 仕方なく咀嚼させていただく。

 ――――しかし、まずいなぁ・・・・・・


 孤児院での食事の補助が必要と判断される4歳ぐらいまでは、孤児院の食堂でシスターたちと一緒に取る決まりだ。

 また、5歳ぐらいで大人たちの手伝いができるようになれば、兵士が出入りする兵舎食堂で、城内の下働きたちと一緒に食事が出来るのだ。

 ちなみに、5歳以上の食事は孤児院内では申請制で、全員が揃う朝食の時に、孤児院で昼食・夕食が必要の旨を申し出なければ、原則食事は用意はされない事となっている。

 どうやら兵舎食堂の方が美味しいらしい。

 兵舎食堂の食事の方が美味しいのは理由は簡単、プロの調理師が作るからである。

 教会兼、孤児院とはいえ、司祭はシスターとは生活を共にしておらず、城外の神殿からの通いとなっていた。

 この孤児院での毎日の食事はシスターたちの当番制であった。

 あくまでヌーヴェル城の敷地内でのルールが確立されている。

 ヌーヴェル王国では宗教と政治は相容れない存在であった・・・特に王侯貴族の風習問題は、“この星の意思”を頂点と考える信仰とは、200年以上対立しているのが現状だ。


 ネレはシスターと乳幼児が集まる小さな食堂で、ムグムグとパン粥を無理やり飲み込んでいた。

 まずいのも当然だ、この世界では“うまみ”という出汁などの概念が根付いていない。

 具材を煮込み、その丁寧さで味を作っていた。

 ――――今日の食事当番は・・・

「あら、プラタ、早く食べちゃって? 片付かないでしょ?」

 顔を上げたプラタの視線の先には、空になった皿を持った女性が立っていた。

 ――――お・ま・え・かぁ~~~!

「ごめんなさい・・・ルノン」

 オリーブ色の髪と、赤茶の瞳のシスタールノンである。

 プラタは蜂蜜色の髪に、澄んだ水色の瞳をしていた。

 顔は幼さを残していたが、プラタは女性らしい体形がとても魅力的であり、兵士に人気があった。

「でも、ネレはまだ離乳食をはじめたばかりで・・・」

「ふん! よく他人の子供なんて丁寧に面倒みれるわね?」

「私は、子供が・・・好きだから・・・」

 その言葉を聞いたルノンが、意地悪そうに口の端を歪めた。

「ああそっか、子供大好きなのに、産めないからココに来ちゃったんだもんね?」

 ――――イジメか? これはイジメなのか? なんか腹立つな!

 傷ついたように、プラタがルノンと視線を外した。

 ――――しょうがないなぁ・・・

 ネレはプラタからスプーンを取り上げた。

「あ、だめよイタズラしちゃ・・・」

「だう、まんま、おう、おう、ここ」

 ネレはスプーンを左手に持ち替え、右手でテーブルの上をペンペンと叩いた。

「え? お茶碗を置くの?」

 プラタはネレの突然の行動に目を白黒させ、恐る恐る木製の茶碗をネレの前に置いた。

 その瞬間、ネレは素早く右手で茶碗を自分の身体の方へ寄せ、左手のスプーンで口にかきこんだ。

 そのスマートな仕草に、シスターたちは全員フリーズした。

 不満気な“不味い”と語るジト目と、空になった食器を一緒にルノンの方に差し出した。

「・・・ごぢ、そさあばぅ!」

 それを見たシスター達が椅子からガタガタと立ち上がり、孤児院食堂に、見事なスタンディングオベーションが起きた瞬間であった。


 


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