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第2話 【桜吹雪と命の期限】

 気がつけば病院のベッドの上で、左腕の点滴を取り替える看護師の女性と目が合った。

 白い天井、部屋の入口側と窓側はピンクのカーテンで仕切られている。

「あら、起こしちゃいました?」

「いえ、ちょうど夢から覚めたようで・・・」

「夜は眠れていますか? まだ、痛み止めは先生との相談次第で増やせますよ」

「いえ・・・頭がぼーとするので、増やしたくないです」

 彼女の病名は癌性リンパ管症、2年前に乳がんの手術を受けたが、骨に転移していた。

 余命は・・・ゼロである。

 看護師が一礼をし、個室から出て行った。

 せめて最後は静かに終わりたいと願い、きれいな個室を希望した。

 遠のく与薬キャスターを引く音と入れ替わりに、パタパタと軽く走るような足音が近づき、病室の扉を開く音、そしてカーテンを開ける手が見えた。

「お母さん!治療止めちゃうって本当!?」

 カーテンの向こう側から、セーラー服の少女が呼吸を乱して現れた。

「・・・・・・ユナ、卒業おめでとう。卒業式行けなくてごめんね」

「それよりも、治療!がん治療のお金ないなら、アタシ大学行かない!」

「もう払っちゃったわよ~? 4年分全額、払い戻し制度はありませ~ん」

「お母さん、その4年分・・・って」

 お察しの通り、という目で母は娘を見詰めた。

「保険金は私が掛けたから、本人受け取りで無税対象! そして、娘であるあなたの学費だから贈与税は発生しないのよぉ・・・バイトばっかりして、留年してるヒマなんかないからね!」

 そんな母を見て、ユナは大きなため息をこぼした。

 母が目を覚ましているならば、と、仕切りのカーテンを全て開き、外の景色を母と一緒に見ようとベッドの横のパイプ椅子に座った。

「はあぁ、めっちゃいい部屋だね。眺めなんか億ションレベルじゃね?」

 空は晴れ渡り、遠くには東京タワー、病室の窓の外には沢山の桜が咲き乱れていた。

 彼女は手元の備え付けのボタンを押し、電動ベッドで身体を起こした。

 セーラー服を身につけた健康と若さのある娘とは対象的に、青白い顔で点滴につながれた母親は白髪混じりの中途半端な長さの髪を手ぐしで直した。

「いい天気ねぇ、あんた日焼け止めは塗り忘れちゃダメよ」

「・・・・・・治療、どうして止めちゃうの?」

「ああ、髪の毛抜けるのやだし」

「なに言ってんの!母さん元々女子力ゼロじゃん!命とどっちが・・・」

「それに、命の期限もそんなに引き延ばせない。進行が早すぎて死神も同情するレベルよ、今は痛み止めと睡眠薬ぐらいかな」

「・・・そんな!」

「それよりユナ、そこのロッカーに入ってるビジネスバッグ出して」

 B4サイズの黒いビジネスバッグを、ユナはふらつきながらベッドのサイドボードに置いた。

「おっも~い! 何入ってんの?」

 彼女は鞄を開き、一冊のクリアファイルを取り出し、1ページ目を開いた。

 その1ページ目には“遺言状”と書かれた茶封筒が入っている。

「母よ、いきなりソレいきますか・・・」

「入っているのは写しね、この封筒に原本を預けてる弁護士の浦野さんの名刺が入れてあるから、私が死んだら・・・ま、今からでもいいや事務所に連絡をするように」

「用意周到ですか」

 彼女は次々とページをめくり、娘のユナに法的手続きを説明していく。

 そこにはマリアナ海溝のように深い訳がある。


 母親のケイコと、娘のユナは2人家族である。

 夫は現在行方不明であるが、離婚はすでに成立している。

 問題の原因はユナの父親・・・ケイコの元夫である。

 暴力団に接点があり、ギャンブルに酒、果ては違法な植物などに手を付け、暴力団に脅されて多額の借金を抱えて、ただ今絶賛蒸発中である。

 とりあえず、蒸発前に腹をくくり「正攻法で離婚成立させたことは褒めてやろう!」というのが母娘の感想である。

 それだけならただの不幸な母娘の話で、娘が幸せな結婚をしましたとさ・・・と無理やりハッピーエンドにできたのだが----。


「ユナ、私の兄が三度結婚した挙句、数年前に他界したのは知ってるよね?」

「ああ、あの女の敵?」

「うん、多額の借金を残して、妻と子供に大迷惑をかけて死んでしまい、不動産で失敗したから連帯保証人の妻が自己破産しても、借金がそのまま残るという地獄ルートが発生・・・更に子供にまで負債の相続という負のループが」

「ちょっと何言ってるかわかんないナ」

「んで、しょうがないのでその不動産を私が買い取りました」

「マジか!」

 ケイコは「それがその書類関係です」と、ページをめくった。

 また茶封筒が現れた。

「今度はなに?」

「土地の売買についての法的書類です。第三者に改ざんされるとエライことになりますから、必ず立会人をつけて開封してね! ちなみに封筒に行政書士の斉藤さんの名刺をくっつけてあるから、連絡とってね」

「ええ! アタシに負債の不動産残されても困るよ! つーか浦野と斉藤ってダレ?」

 ケイコは一瞬、右斜め上に目を泳がせた。

 「()()()()()()()()()()()」と、娘は察した。

「・・・実はその土地が農地から宅地に進化して、更に新しい路線計画があって商業地域になる発表がね」

「むずかしいよ! だから何?」

「負債不動産が、爆上げ不動産となりましたので、売るなり賃貸業するなり好きにして」

「はあああああぁ?」

「昨年度にユナに私が生前相続を済ませて、そちらの税金も支払済みだけど、持ち続けると固定資産税がかかるので、売るタイミングはプロに相談してね」

「そういえば、なんかサインした記憶が・・・」

 ケイコは更にページを開き、エンディングノートよりも重厚な紙の束を鞄から出した。

「え~、こちらが私が所有してる株の・・・」


 ケイコが自分の死期を悟り、正社員のフルタイムは諦めた。

 早朝のパン屋の短期間パートに切り替え、かなり自由になった時間をネットでの株式投資と、昔から憧れていたピアノの習い事などに費やしていた。

「あのぅ、お母さんの職業ってなんなの?」

「“販売士”だよ」

 そう、ケイコの職業は超マイナーな販売士だった。

 法に触れないものならば、楊枝からスペースシャトルの部品まで売買する職業である。

 震災時には職場でフル稼働ワンオペ当たり前、下着や非常食を某発電所に国家権力の下、10トントラックとともに手配した経験がある。


 一通り説明が終わったかと思って、ユナがほっと息を吐きかけたタイミングで、ケイコは色違いのクリアファイルを鞄から出した。

「なんだとっ! 更に続編が!?」

「まあ、ここからが大事だから・・・」と、そこからケイコは神妙な顔つきになった。

 ユナは落ち着いてパイプ椅子に座り直した。

「お母さんが死んじゃったらアタシは誰に頼ればいいの?」

「できれば利害関係のない人間がいい、お金の事で人間関係は壊れやすいから・・・特にお父さんには相談しない方がいいよ」

「しないよ~、たまにLINEくるけど既読スルーだね」

「いや、せめて返事はしてあげて」


 ケイコは18歳で家を出た。

 いわゆるスクラップ家族を懸命につなげていたが、祖母が亡くなり、お役目御免となったからだ。

 仕事一筋の父親も、まともに働いたことのない兄も、三度結婚を経験していた。

 兄は自分のコピーのような息子を残し、この世を去った。

 姉夫婦に子供はおらず、今後も予定はない。

 父親が死んだあと、数億円の資産相続争いでいとこ同士の対立をし、親戚中が騒ぎ出すだろう。

 娘はコミュニケーション能力が高く、跡継ぎに相応しい才能がある。

 長男絶対主義の実家で、女である為に要らぬ苦労もするだろう。

 これからそんな醜い親戚同士の争いを目の当たりにするのだ。

 ケイコは「まあ、その為の布石と、もしもの時の防波堤も人脈も準備オッケー」と呟く。


 「でも大丈夫、この名刺を頼りに様々な職業の人と関わっていきなさい。この時代はネットじゃなくて、電話1本で解決することが多いのよ?」

「うん・・・」

「ユナ、今からすごく大事なことを言うね」

 ユナは固唾を飲み込み頷いた。

「“税金は親の仇”!! はい、復唱!」

「ゼイキンハ、オヤノカタキ・・・?」

「そう、“税金は親の仇”なのよ! 親から受け継いだ財産は税金によって搾取され続け、やがてはゼロになってしまうのよぉっ!」

 ケイコは拳を握り、税金について熱く語り始めた。


 クリアファイルの最後のページを閉じた。

 ユナが立ち上がり、病室の窓を少し開けた。

 ----あ、この子・・・書類が飛ばないように気を使ってた?

 心地よい風が頬を撫で、ピンクの花びらが部屋に2、3枚入ってきた。

「今度こそ男に生まれ変わりたいな~。母さん前世も女だったのよ?」

「もう来世の計画? 話が進みすぎだよ!」

「・・・・・・“癌”っていいわね。命の終わりを予告してもらえるんだもの」

「お母さん、前世の記憶があるって本当なの?」

「あるよ〜」

「どん・・・・・・な?」

 興味津々と言った感じの眼をした。

「あんたの知ってるラノベ的な物じゃないけど?」


 彼女はベッドの脇にあったペットボトルの水で唇を濡らしながら、語り始めた。

 前世のそのまた前世は、魔女と呼ばれ、湖に身を投げて死んだ記憶がある。

 その次は世界大戦中の日本のようだったという。

 女性として生まれ、十代で嫁ぎ子供を産んだが、戦時中だった為、夫は兵士として戦地へ向かい、生死は不明のままだった。

 ----ん? 我ながら元夫と被る部分を感じるな

「街は燃え、焼夷弾の降る中を逃げ惑い、防空壕は定員オーバーで、入ることを拒否されたの」

「それで?」

「あら、いつもは信じない癖に」

「冗談かと思って」

「そうね、夢なのか記憶なのか私もゴッチャになってるかもね」

「それで死んだの?」

「・・・・・・・・・そう・・・ユナ、あなたが先に死んでしまった」


 只々、申し訳なかった。

 その時の娘は2歳ぐらいだったろうか、そこら中が火の海で娘を抱えながらケイコは逃げていたが、娘はすでに事切れていた。

 食べ物が足りず、体力のない子供はどんどん死んでいった。

 弱い者は死んでいく、それが戦争のセオリーだ。

 最終的にケイコは物乞いまでに落ち、道端でひとりで死んだ。


「それがさあ~聞いてよユナ~!」

「へ? まさか後日談があるの!?」

「私、小学生の時に花屋で正月飾りの内職してたのね」

「小学生で内職?」

「花屋の2階で正月飾り作ってたらさあ、70歳の友達がさ」

「70歳の友達・・・前世の?」

「いやいや現世の、妙に話が合ったからその時に仲良くなって」

「はあ・・・」

「その子も母親と逃げている時に、防空壕に入るのを兵士に一度は拒否されたんだけど」

「まるで朝ドラ!」

「母親がその時、砂糖水をやかんに入れて持っててさ、兵士に渡したら入れて九死に一生!」

「すげぇ! 当時の生きた証人を発見したんだ!」

「いや~、その時思ったね! ワイロは命を救う!」

「は~い、本日の“迷言”二つ目いただきました~!」

 半分泣きべそをかきながら、二人は笑い合った。

 ただそれだけの母娘の時間が、とても尊いと気がついた----。


 バタンッ----!

 「えっ!?」

 病室の窓と扉が同時に音を立てて全開になり、カーテンが勢いよく翻った。

 どこからともなく大量の桜の花びらが舞い、ケイコの視界を覆う。

 桜の花びらに溺れるように息苦しさを感じ、ケイコは娘の名前を叫んだ----。


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