第11話 【雨露霜雪(うろそうせつ)】 その5
「約束の10日だ、依頼していた提案書ができていなくても、これ以上ネレをティールームに閉じ込めておくことはできない」
兵舎食堂の厨房内で簡素な椅子に座り、トレフルは新しいデザート“ババロア”を口の端に付けながら語っていた。
「・・・トレフル様、これめちゃくちゃ美味しいですね!」
何故かロティスも同行していた。
「これはソースなどもあるのか?」
厨房内のおやつの時間に、業を煮やしたトレフルが現れたので、ネレ発案のババロアでシャドンが二人の足止めをしていた。
「ソースは現在、キャラメルとベリーソースの提案はありますが、ヴァニラビーンズを使用した基本のババロアだけでも予算オーバーなので、食堂メニューにはできませんね」
「そうか、この単体だけでも完成度がすごいな・・・」
「・・・という事になっていますが、なんとか原液をムース状態にして空気をふんだんに入れ込むことで、コストダウンが可能となりました。そして、こちらがムースバージョンです」
「・・・・・・ちょっと待て、ネレは書類作成の間に・・・まさかと思うが・・・」
プリンのように滑らかなババロアから、ムース状のふんわりババロアを別の皿に出した。
ロティスの手の動きが早かった。
「む・・・ロティス、先取りとはズルいぞ!」
「す・・・すみません・・・つい」
シャドンはゆっくりとした動作で二人に紅茶を出した。
バニラババロア・・・それは16世紀に、ドイツのババリア地方の領主に招聘された、フランス人シェフによって創作された冷菓だと伝えられている。
生クリーム・卵黄・バニラビーンズなどを惜しみなく使って作られた高級スイーツは、ネレの前世“ケイコ”の小学生時代に憧れた菓子だった。
前世の子供の頃の家族構成は、叔母の出戻り家族を含めての十三人の上、猫が四匹、シマリス一匹がいた為、家計は逼迫していた。
有名デパートの地下食品街を通る度に、高すぎて手が届かなかったそのスイーツは・・・ひとつ1800円という価格だった。
小学生には到底手の届かない存在・・・そして彼女は考えた。
「じゃあ自分で作ればいいじゃん!」と、食いしん坊のケイコは図書館で料理本を漁り、少ない小遣いを手作り菓子の材料費に充てたが、大抵は兄姉従妹の腹に入っていたのだ。
無論、メレンゲによる増量方法も自分で考え・・・料理本に載っている“メレンゲ”という言葉さえ辞書を引くレベルからスタートしたのだ。
後から「これ、ただのバニラムースになってない?」と気が付いたのだが・・・そこはご愛敬。
これが、現在のネレの“食への執着”・“学習欲”・“損得勘定”、そして卵料理の原点でもあった――――。
何故か貴族二人が厨房のキッチンテーブルでもてなされている様子を、ニジェル・調理師その1&調理師その2が遠目から伺っていた。
自分達のおやつが減っていく様を悲しく見守っているのだ。
トレフルがババロアのムースバージョンを先に口に含み、はっと目を見開く。
「おお! 先ほどのババロアはしっとりとして滑らかであったが、こちらのババロアムースは味がさっぱりしていて、幾らでも食べられそうだ!」
「本当だ!」
ロティスは上司のトレフルが先に口に含んだのを確認して、サッと自分もスプーンで一口含んだ。
「先ほどのババロアは卵の黄身だけを使用し、滑らかで濃厚に仕上げていますが、こちらのムースババロアは卵白をメレンゲ状にして加えたものです。材料費も大幅にカットできるのですが・・・」
「ふむ、さっぱりした分・・・つい多めに食べてしまいそうだ」
「そうですよね! 僕こっちの方が好きです!」
「ちなみに、男四人でバケツサイズは余裕でイケます」
シャドンがにこやかに言った。
「なんだその“悪魔のような菓子”は」
「そのうちネレがレシピをまとめて、トレフル様に確認を取りたいと言っていました」
「うぬ、平民の食堂で流行る前に、貴族側で流行らした方が価値が上がるからな。レシピ公開については改めて条件を提示した方が良さそうだ」
「トレフル様・・・そろそろお時間が」
「そうだな、どれ、ネレの様子でも・・・」
トレフルが椅子から腰を上げようとした瞬間、シャドンが一言――――。
「あと、先ほど出来た紅茶味と、パイナップルと白ワイン味のものが、そろそろ氷室で出来上がる予定ですねぇ・・・」
「なにっ!」
トレフルとロティスが上げかけた腰を再び椅子に下ろした。
「せっかくだ、いただこうか」
「ト、トレフル様・・・さすがに夕食が入らなくなりますよ?」
ロティスが心配そうに声を上げた。
「ん・・・だが・・・」
しれっとしているシャドンの方に、トレフルは視線を向けた。
「これは日持ちがしないので、後でスタッフが美味しく頂く予定です」
ニジェルが後ろで口の端だけ吊り上げていた。
「トレフル様! 誘惑に負けてはだめです!」
「ロティス・・・紅茶味だぞ?」
「そ・・・それは・・・」
「しかも、パイナップルと白ワインのデザートなんか食べたことあるか?」
「うぐっ! ない・・・です・・・。まるで狙ったかのように、トレフル様好みのスイーツですよね」
「苦労しました。油断するとパインの酵素のせいで生クリームが分離してしまうので、風味を殺さない程度の絶妙な熱の通し加減が大変でしてね、こればかりは “料理の才”でも大変難しく時間がかなりかかりました」
「またネレか・・・」
トレフルは苦笑いを浮かべつつも、少し嬉しそうに声を出した。
「はい、ネレの技です。最終的には、二ジェル副長の“才”で酵素の問題は解決しましたので、我々だけでも製菓は可能になりました」
「ところで、私はまだ食堂の昼食限定のシャーベットを食べた事がないのだが・・・」
「トレフル様!」
「シャーベットはすぐに溶けてしまいますからね、執務室までお届け出来ませんよ?」
「では、夕食はここで取る事にしようか」
「ちょっとトレフル様、ここに何しに来たんですかぁ!」
「金の話だ」
ニヤリと口角を吊り上げ、トレフルは二ジェルの方を見た。
『ええええええーーーーっ!?』
その場にいた全員が驚愕の声を挙げた。




