第11話 【雨露霜雪(うろそうせつ)】 その2
孤児院創設以来、初の女性院長にウェメレスが任命された。
国王からの直筆の書面によって、城内に正式な発表がされたのだ。
建国以来の初の試みは、瞬く間に城内で脚光を浴び、夜会にはウェメレスが招待され続けた。
当の本人は接待疲れで、本気で孤児院の院長執務室に籠るようになってしまった。
主に、現実逃避も兼ねてである。
そんなウェメレスの執務机に、一枚の依頼書・・・でなく、城内東側統括責任者のトレフルとしての通知が来た。
ウェメレスはその木製表紙の書面を眼で追いながら、段々と青ざめていった。
「どうしました? ウェメレス院長、お顔が・・・コホン、お顔の色が優れませんね?」
書類整理を手伝っていたソールが椅子から動かないウェメレスに訊ねた。
フルフルとその書面をソールに渡し「読めばわかる」と、涙目で訴えた。
「はあ」
ソールはその書面を受け取って一読した。
「な、な、な、なああああああっ!!」
思わず木製表紙の書面を壁に向かって投げつけた。
「ひえっ!」
ウェメレスは身を屈め、院長机の下に避難した。
壁に向かって投げられた書面が、彼女の頭を掠り、見事に壁に刺さっていた。
「おのれトレフル! まだ五歳にもなっていないネレに働けなどと、よくもこんな書面をっ!」
トレフルが孤児院院長宛に寄越した書類は「業務上決定した事なので断れません」というものである。
この場合は、貴族の爵位には関係なく、職務としての上下関係が物をいう。
トレフルはこの城内東側統括責任者・・・孤児院の運営に関わるの管理者にあたる。
ちなみに、城内管轄の区分けは簡単に言うと東西南北で分類されていて、トレフルの上司は国政に口出しをできるほどの権力を持つ、宰相補佐官であった。
肩で息をし、怒りをあらわにするソールを眺めながら、ウェメレス院長は低くしていた姿勢を段々と持ち上げ、椅子に座り直した。
「・・・何も、投げなくてもいいでしょう・・・」
ウェメレスは、壁に刺さった書類を引き抜いた。
「今の時間、ネレをここに呼ぶ事はできますか?」
「はい、今は年長組と手紙の書き方教室に出席していますので、呼んで来ましょう」
「ああ、それならちょうどいいから、私が教室に見学に行きましょう」
「え? 院長が自ら孤児のいる教室に入るのですか!」
「なにか不都合でもありますか?」
「いいえ、大歓迎です。ただ・・・」
「ん? ただ?」
「未だかつてそんな事を申し出る院長はいなかったもので・・・驚きました」
「あ、そーなの?」
ウェメレスはソールの言葉にポカンと口を開けた。
何やら騒がしい教室の前で、ソールは教室の中にいる児童に見つからないように、引き戸の前に張り付いていた。
その横に立っていたウェメレスは状況がよく飲み込めない。
「ウェメレス様、いいですか? 開けますよ、怪我をしないように色々と避けて下さいね。ここでの怪我は全て自己責任ですから」
「はい? 避ける?」
ソールがスっと右手を上げ、教室の中のプラタに合図を送った。
プラタがその合図と同時に声を張り上げる。
「皆さーん! ソール様とウェメレス様が教室のご見学に来ましたよぉ! ちゃんとお手紙書いてくださーい」
ガラガラ、と、教室の引き戸を開けたが、子供逹はお構い無しでふざけあっている。
ウェメレスは教室に1歩しか踏み込めず、ソールはスタスタと宙を舞う小物を避けながら、先程から後ろの席で船を漕いでいたネレのすぐ傍まで近づいた。
「ネレ、居眠りは感心しませんね」
ハッとして、ネレはソールの顔を見上げた。
「ご、ごめんなさい・・・」
子供達が奇声をあげながら大騒ぎをしてる教室の中で、ネレはペンにインクをつけて前もって配られていた紙に文字を書き始めた。
〔親愛なるシャドン様、こないだのミルクティーすっごく美味しかったです。次回は香り付け多めで、仕事抜きで飲みたいです。ネニュファールより〕
ソールがそっとその手紙を覗いた。
「ネレ、シャドンとは?」
「・・・食堂に務めている優しいお兄さんです」
「無理やり仕事を手伝わされてるのでは? あなたは幼いのだから、本来は労働の義務はまだないのですよ」
「無理やり? いいえ、本には書いていない色んな事を、食堂の調理師さん達が教えてくれて楽しくて、ついついボクがやりすぎちゃってます」
「そうですか・・・楽しいのですか・・・」
「ソ・・・ソール」
ウェメレスが宙を舞う石板や白墨を避け、走り回る子供にぶつかりながら、ようやくソールの隣に並んだ。
その姿に、ネレが椅子から飛び降りた。
「ウメさん! 元気だった?」
「は?」
ウェメレスの太ももあたりにネレはぽよーんと抱きつく。
「あの・・・ウメさんって・・・」
その瞬間 、教室で騒いでいた子供達が一気にウェメレスに注目した。
子供達が「ウメさん? だれ?」と、コソコソ話しはじめた。
「ネレ、院長先生に失礼ですよ?」
「はぁい、ごめんなさい! ウメさん」
ネレはウェメレスから身体を離し、ペコり、と軽く頭を下げた。
「まさかと思いますが・・・私、“ウメさん”?」
そう自分の顔を指さし、ウェメレスはネレに聞いた。
ネレはウンウンと頷く。
「これ! ウェメレス様の名前を勝手に改名するのではありません。失礼ですよ?」
ネレはソールに注意されたが、もじもじしながらウェメレスの顔を見上げた。
「ダメですか? ウメさん・・・」
その幼い上目遣いに、ダメとは言えない空気が流れた。
教室の子供達がその様子を大人しく見守っている。
「え、ダメではない、ですよ・・・」
ネレはニコリと表情を変え、大きめの声を出した。
「ウメさん! お手紙教室にようこそ!」
『ようこそ~っ! ウメさん! 』
子供達が声を揃えた。
そんな子供達の様子を見たソールはプラタと顔を見合わせた。
「ウェメレス様」
ソールに名を呼ばれ、ウェメレスはハッとして彼女の方に向き直した。
「いけなかったでしょうか?」
「いいえ、お見事です」
「え・・・なにが?」
「貴方は今、孤児達の心に受け入れられましたよ?」
子供達はわらわらと、教室の自分の席に着き始め、授業の体勢がようやく整った。
ソールとウェメレスは教室の後ろで見学していたが、どうも孤児達が席に着きながらも、ソワソワしながらチラチラと後ろを振り返る。
「なんでしょう? 子供達が落ち着きませんね」
ウェメレスがソールにこっそりと話しかけた。
「さあ、私もよくわかりません・・・」
教室全体を見ていた教師役のプラタが教壇の上でくすりと笑い、こう言った。
「書けましたか? それとも質問がある子はいませんか? 分からない言葉などちゃんときいて下さいね」
「プラタ様!」
1人の子供が手を上げた。
「はい、なあに?」
「ネレに聞いて、相談しながら手紙を書いてもいいですか?」
「あらあら・・・ネレ、あなたは大丈夫?」
書き終わった手紙を見つめていたネレが顔を上げた。
「あ、はい、大丈夫です。ボクは食堂のお兄さん宛の手紙が書けたので」
「じゃあ、いいかな、立ってネレの席の近くに行っていいわよ」
と、プラタが言い終わる前に、数人の子供が我先にとネレの席に走り寄った。
「ネレ、カプシーヌ様の名前つづりが分からないんだ、教えて!」
「次にあたしにジャンさんの名前の文字を・・・」
ウェメレスはその様子を見て、驚きを隠せなかった。
「え・・・どう言う事? ネレは授業に出始めて日が最も浅いのでは?」
「ええ、そうなのですが、いつもネレの子守りを買って出ていたルノンが、授業の先の先まで教えていたようで・・・私も最近知った事なのです」
「ええ! 一体いつ?」
「はあ、実はルノンが食事当番の時など、台所のテーブルでいつもネレが大人しく、文字の練習をしていたようで」
「“ルノン”! やはり彼女はあのルノンだったのですね!」
「あのルノン?」
「翻訳作家のルノン様です!」
「ルノン様?」
「あの人のお陰で私は! 外国の耽美本をっ・・・コホン・・・珍しい物語をたくさん、読む事が出来ました」
「なるほど・・・確かに彼女は結婚当初、才女と呼ばれ、様々な他国の本を翻訳したと聞いたことがありましたねぇ」
次々と来る子供達の質問に答えながら、二人の会話にネレは聞き耳を立てていた。
「ネレはすごいわね、一生懸命そんなに勉強して、将来は先生にでもなるのかしら?」
プラタが微笑ましく声をかける。
「あ・・・いえ、ボクは・・・」
「ネレが先生? うん、ネレならきっとすごい先生になれるよ!」
子供達がワヤワヤと話し始める。
「プラタ様、ネレはすごいんだよ! 遊戯室の本の内容を全部覚えてるんだ!」
「まあ、それはすごいわね!」
「まだオレが読んでない本とか、難しくて分からない内容も優しい言葉で教えてくれるんだ!」
ソールの表情が曇り始めた。
ウェメレスはそれに気が付き、胸騒ぎがした。
「そうだよ、それにあんな“才”がなくても生きてける方法を教えてくれ――――」
「ネレっ! 貴方はそんな事を他の子達に教えたのですか!?」
大きく声を上げ、ソールは小さなネレの両肩を掴んだ。
「ソールさ・・・ま・・・」
ネレは“叱られる!”と察して身体を強張らせ、周囲の子供達は後退りをした。
「あんな“才”とはなんですか! “才”がこの国の歴史と、全てを創ってきたのです! あなたは今現在、国を動かし支える“才”の力を否定するのですか!」
ネレの両肩を揺さぶるソールの手を、ウェメレスは払い除け、怯えているネレを抱きしめた。
「ソールやり過ぎです! ネレはただ賢いだけの子供です“才”の意味や国の情勢をまだ理解していないだけです!!」
“才”の無い人間は力無き者として・・・教会は情けをかけることが専売特許であるような皮肉に、ネレは護られていた。
彼女はウェメレスの腕に庇われながら、眉間に深い皺を作り小さい唇を震わせていた。
「国の情勢・・・“才”の意味・・・ボクの考えは――――」
この国を動かす大きな力・・・“才”を使用せずにそれ以上の結果を出してしまうという事は、マナシの活躍が“蝶の羽ばたき”に等しいことを暗に示していた。
――――ああ、だから「消される」と・・・トレフル様は言ったんだ
“才”を持たないとされる者が活躍すれば、国家権力や信仰心の均衡が崩れる場合もあり得る。
力を持つ者の順番が入れ替われば、国の混乱を招くのだ。
“才”の否定は“反政府思想”と捉えられ、下手をすれば“国家反逆罪”の引き金になると、ネレははじめて気がついた。
「“マナシ”は可哀そうだから」と、護ってくれる場所に・・・母親は自分を・・・置いていったのだ。
喉の奥が苦くなり、それが眼に伝わって沁みたのか・・・じわりと眼のふちが熱くなった。
「ソール様! ネレを怒らないで!」
「ごめんなさい! ネレに“才”がなくてもどんな事ができるか、無理やり聞いたのはオレだから!」
子供達がソールに近づき、泣きながら訴えはじめた。
「ソール様!」
プラタが足元をふらつかせているソールの身体をそっと支える。
子供達が皆ネレの事を想い、涙目で次々を訴えはじめた。
「だって! だってアタシ達は親の望む“魔力”も“才”もなかったから、ここに捨てられたんでしょうっ!」
叫ぶような少女の一言がソールの心をえぐった。
「ちがう! 違うよ! 半分は親の都合かも知れないけど、みんなの産まれは特別で・・・そのせいで、悪い大人達に利用されないようにここで護ってもらってるんだ! ボクもそうだ、護ってもらう為に! お母さんはボクをここに置いて行ったんだ!」
ネレは頬を伝う水を払うように、力を込めてそう言った。
そう、ここは国家権力者のパンドラの箱・・・その血筋ゆえに、表に出る訳には行かない子供達の出自を、真っ白に塗り潰す為の場所だった。




