90.別れの涙と噛みしめの唇
「七瀬がそんなにいいのかよ。他の女子と簡単にキスする男のどこが……!」
「……」
簡単じゃない。アレは七瀬の油断だし。具合悪くした七瀬が油断しただけのこと。あのことがあってから、たぶんわたしの為に七瀬は体を鍛えてるみたいで、風邪とかひかなくなってた。それだけのことなのに。
「――っ!?」
七瀬にすぐにでも会いたいって思ってた一瞬の油断が、決定的になった。七瀬になんて言えばいいの? わたしの唇が汚されるなんて思わなかった。沙奈とのキスのことも、もう言えなくなったしそんな資格も無くなってしまった。
「俺は綾希、お前だけしか好きじゃねえし。だから、それがお前への気持ちだ。綾希、お前だって俺のこと――」
「無理、絶対ムリ。もういいし、付きまとわないで――」
「あっ、おい!?」
気付いたらカバンも七瀬も、教室に置いたままで雨が降ってる外に走り出してた。さとるにされてしまったコトを雨で洗いたくて全て流してしまいたくて、たぶん後にも先にもこんなに全力で走ったことが無いくらいに走ってた。
「七瀬、ごめんね。わたし、七瀬以外の男にキスされた……」
後ろも振り向くことなく雨の中をずっと訳も分からずに走り続けてた。何かの失恋映画で走る場面があった気がしたけど、自分の場合は失恋じゃなくて油断と後悔と悲しみだったかもしれない。
「ね、七瀬。わたし七瀬のことがずっと好きだったの。わたしと……」
「悪いけど、俺が好きな女子は綾希だから。だから誰の告白も受け付けない。それに、綾希に心無いことを言う女子のことは大嫌いなんだ。だから俺とあいつに構わないでくれる?」
「――え」
「俺、いつも綾希のこと見てるから分かるんだよ。あいつ、最近元気ないし落ち込んでたし、そういう風にした奴は男でも女子でも許すつもりなんてないから。てか、バレバレだったしな。さっきの授業だってそうだろ? そんなわけだから、安佐とは付き合いたくないし付き合えない」
「……あ」
そんな感じで七瀬の方も色々あったみたいだけど、わたしはどこに向かえばいいのかな。とにかく雨に濡れたくて、速くも無い足を走らせ続けた。




