49.その手の距離が届かずに。
「あなたは?」
「あ、はい。B組の上城です。失礼します」
「そう、ありがとう。葛西さんは体調が優れないみたいだから、教室に戻ったら伝えてくれる?」
「分かりました」
保健室に連れて来てくれた比呂。彼は言葉通りに、保健室の前まで来て中には入らずにいてくれた。保健医も珍しくいたということもあるけれど、その気遣いと優しさがすごく嬉しく思えた。
わたしはと言うと、現実を認められずその場に立ち尽していたというのもあるけれど、怪我をしていないのにも関わらず、どうしてか歩くこともままならなくなっていた。そこに通りがかった比呂がここまで連れて来てくれたのは幸いともいうべきものかもしれない。
体調が悪くなったわけでは無かったけれど、しばらく保健室のベッドで横になっていた。ここには以前、輔が寝ていたということを思い出すけれど、今はそれがとても辛く感じられた。
放課後になって、保健室に来てくれたのはもちろん輔だった。比呂がきっと、担任に伝えたのを聞いたからだと思う。
「……輔、あの、あのね……わたし」
「無理するなよ。お前、歩けなくなってたんだろ? 上城から聞いた。あいつのおかげでここまで来れたってことも聞いた。そういう意味じゃ、感謝するしかないな」
「……ん」
「今日出てた課題とかは、俺がやっておいてやるから。綾希はゆっくり休んでいいから」
「輔、ごめん、ありがと。わたし、輔が好きだから。だから――」
「ようやくお前、俺のこと名前で呼んでくれるようになったな。それとも弱まってるからか? 分かってるよ。俺だって、綾希だけだ。でも、今はとりあえず……休んでていいから」
輔の優しい手がわたしの手を掴んでくれるかと思っていたのに、彼はそのまま立ち上がって保健室を出て行ってしまった。すごく近くて、腕を伸ばさなくても届いていたのに……今は、その手がすごく遠い。
大丈夫……だよね? わたしと輔、離れないよね。だって、好きな人は輔だけだから。
「あや。迎えに来たからね。立てる?」
「ん、立つ」
学校自体を休んだのは5日くらいだったけれど、教室に入ったその時から大きく景色が変わってしまっていた。夏休み前に、そしてわたしが休んでいる間に席替えがされていた。
恐れていたことが起きるとは思っていなかったのに、起きていた。わたしの隣は彼ではなく、比呂だった。由紀乃が近くになったのは良かったのか、そうではなかったのかは分からないけど、輔とは離れてしまった。
以前彼は、席替えしてもそれでもわたしの隣に座ってやる。なんてことを言っていたのに、それは叶わなかったのか、それとも?
輔の席近くには、沙奈とあいつとそして、今まで名前を覚えることの無かった女子が輔の隣に座って、楽し気に話をしていた。彼も、以前と違って沙奈とも普通に話をしているし、隣の女子とも笑いながら話をしていた。
あー……そっか。そうだよね、彼ばかりがわたしを好きで離さなくて、ずっと傍に居てくれていたけれど、彼に離れて欲しくなかったのはわたしだったんだ。ずっと隣にいたからそれが分からなかった。だけど、距離も気持ちも離れてそれがどんなに苦しくて、辛いのかなんて……ようやく自覚したんだ。
「あやきち? どした、まだ具合悪い?」
「葛西さん、具合悪いなら保健室に……」
「違う……違くて、わたし、わたしは……」
誰も悪くないけれど、再び、涙を流してた。もう、どうしようもないくらいに彼のことを好きになっていた。
「あ、あやきち……えーと、ど、どうする? 比呂くん……」
「え? いや、えと……で、でも、どうすることも出来ないし」
溢れる涙で周りのことが見えなくなっていたけれど、由紀乃と比呂の声が途中から聞こえなくなっていたのは、何となく覚えていて、ぼやける視界の中から誰かの姿が微かに見えていた。
それが誰なのか分からずに、涙の視界で見えないままわたしは廊下に連れ出されてた。見えづらくても、声を聞いて、すぐに分かるくらいの距離で彼はわたしの手を握っていた。そして――




