40.渇いた笑顔の裏側に
「……綾希」
「……ん」
「今すぐ起きないとキスするけど、いいか? 綾ちゃん」
「……よくない」
「なら、顔を上げて机顔……っ、はははっ! やっぱ、お前最高だな! 綾希」
七瀬が綾ちゃんとかって、なんか似合わない気がした。言われても嫌じゃないけれど、まだそれは許可したくないな。
「ってか、なに?」
顔を上げたら、七瀬だけかと思ってたのに、ちょっと後ろの方にニヤニヤしている由紀乃と、苦笑いをしている上城くんが立ってた。
「あ……そっか」
「そういうことな。流石にここでキスはしないし。残念だったか?」
「さぁ……?」
七瀬は由紀乃の言う通り、甘えてくるようになった。それに加えて、わたしに挑発的なことを言って来たり、やってきたり。これはどういうことなのだろう。キスのお預けをくらっているから、わたしにそれ以上の思いを抱くようになったのかな。
「あやきち~ここ、学校なんだからね? そういうのは他でやりなさい! 純な上城くんも困ってるよ?」
由紀乃のすぐ隣に立っている上城くんは何とも言えない表情で、わたしたちのやり取りを見ていた。
「上城くん、ごめんね?」
「えっ? あぁ、き、気にしてないから」
「あやきちが謝るとか珍しい……」
「それはどうも?」
「ま、綾希が起きたことだし、行こうぜ」
七瀬が先に教室から出て行こうとするのを、由紀乃も焦りを見せてわたしを引っ張って来る。
「そだね、さっさと外に出ようよ。ほらほら、綾希も」
「上城くん、行こう」
「……そうだね。行こうか、葛西さん」
何かの考え事をしていたのか分からないけれど、わたしが声をかけるまで上城くんは動くことをしなかった。具合でも悪いのかな?
「……で、どこ行く?」
「えーと、私から誘ったといて近場で済ませるのはどうかなと思うので、電車乗ります~」
「え、どこ行くの?」
「いいからいいから、あやきちはついて来るだけでいいの」
別に電車で移動とかするのはいいけれど、一駅だけの移動は何か嫌だ。橋一本だけの距離には、思い出したくも無いアレがいるから。狭くない街でも、どういうわけか会うこともあるわけで。
心配してたら、一駅どころか結構通り過ぎてた。それならいいや。会うこともないし、会ったとしてもどうということは無いんだけれど。
「人、多すぎ……」
「夕方だしな。そこは仕方ないだろ。綾希、ほら……」
「……ん」
迷子になる心配もあるだろうけれど、七瀬は自然とわたしに手を差し出して来る。それに抵抗なく、わたしも彼の手を握る。彼と手を繋ぐことはとても好き。一度触れてしまえば、それ自体は難しくない。いつも繋いでいるわけでは無かったけれど、その辺で七瀬に安心を覚えているのかもしれない。
「……」
「上城くん? どうしたの?」
「いや、何でもないよ、泉さん」
「あやきち、七瀬くん。目的地、ここの中の水族館だから。ついて来てね~」
「分かった、綾希をはぐれさせないようについて行く」
「おけおけ、じゃあ行きまーす」
「おい、上城……泉さんについててやれよ」
「分かってるよ」
何だか乗り気じゃないのかな? そんな表情をずっとしていて気になってしまう。それとも実は、わたし以上に人見知りなのかな? 由紀乃のためにも上城くんとは楽しんで欲しいんだけれども。
「……葛西さん、七瀬から離れちゃ駄目だよ?」
「ん、ありがと」
「うん、じゃあ泉さんの所に行ってくるね」
そう言うと、上城くんは笑顔を見せてそのまま由紀乃の所へ駆けて行く。彼の笑顔は満面でもなく、何となく、何とも言えない笑顔に見えた。それが何なのかわたしには分からなかった。




