19.じゃあ、そういうことで。
わたしも七瀬もお互いが好きってことが分かった。それはいいけれど、沙奈が七瀬にしたことをすぐに聞かされて、好きがそのまま消えずにお互いが盛り上がるかと言うと、そうでもないわけで。
「綾希。怒ってるよな?」
「……」
「アレは俺の油断であって、そのまま抵抗なく、されたわけじゃないんだ。だからその……」
「なにが?」
「いや、だから」
「ベッドに寝ていた。それで合ってる?」
「うん」
沙奈が休み時間に保健室に行った時には、たぶん寝始めて意識がぼんやりしていた時だよね。それでキスされて、目覚めて告られた。だと思う。
「不意打ちには誰も勝てない。武士とかもきっとそう」
「は? 武士?」
「昨日、時代劇見てたから」
「はは……相変わらずだな、お前。まぁ、その、ごめん」
「ずっと残るわけじゃ無いし、気にしてない」
気持ちが変わることの方が気にする。沙奈にしてみれば、わたしよりも先に告ってキスをして、それで奪おうとしたのかもしれない。たとえフラれても、キスしとけばそれが証拠にもなるし。たぶん、それかな。
「あぁ、まぁ。俺は口にじゃないけど、綾希の口はすでに付けられたわけだし、それで守られた感じで」
「わたしの口はバリア?」
「ある意味な。それがあったから良かったかもだし、汗かいて熱も下がった」
「そうなんだ」
会話が弾まない。雨も冷たいけれど、どうにもならないもどかしさがあるような、そんな感じ。しばらく時間なんて気にしてなかったけれど、結構歩いてる気がする。気付いたら、七瀬は傘を閉じてた。
「あ、屋根のある所に着いてたんだ。どこ、ここ?」
「俺の家の近くのバス停」
「あー、家にしては小さいって思った」
「綾希って、面白いってか、自分じゃ気付かない天然か? それも可愛いけどさ」
「んん? なにが」
「まぁ、いいや。ハンカチタオル出して」
「あ、出番?」
七瀬の家の近くなら、家で色々乾かしたほうがいいと思うけど、何でバス停で?
「はい、これ」
「いや、えと、俺すげー濡れたんだわ。それ使ってくれると嬉しいっつうか、綾希に傘傾けての貸しを返してもらおうかなと。お前、濡れてない。俺、すげー濡れた」
「……貸し借りなしにしたいってこと?」
「だって、嫌だったんだろ? 傘を借りるのも、傾けられるのも」
そういうことをしてくる男なんだ。やっぱり、七瀬は子犬。わたし的に子犬。しょうがない子。七瀬の差し出したハンカチタオルを使って、七瀬の頭と腕とか水滴が付いてる所を拭いた。
「家に行けばちゃんとしたタオルあるよね? お風呂入って温まるべき」
「そうする。面倒なことさせちまって、ゴメン。でもこれで、風邪は悪化しない。約束する」
「まだ濡れてるとこある」
「ん? そりゃーシャツとかは仕方ないだろ」
「違う」
七瀬のハンカチタオルは絞れる位になってたし、頭を拭いたから使えなかった。だから、わたしは自分の指を七瀬の唇に付けた。指をなぞらせて、七瀬の唇を拭いた。
「なっ!? な、なな、なにしてんのお前……」
「そこ、汚れてたから雨で濡れたわたしの指で拭いてあげた」
「汚れって……あ、そ、そうか。そうだけど、お前……あいつは友達じゃなかったのか?」
「敵」
「マジか」
本当はわたしも対抗して、彼の唇に重ねれば良かったかもしれない。でも今、そんなのは嫌だ。雨の滴に紛れて、七瀬に付いた沙奈の……を、拭いて消したかった。今はそれだけでいい。
「じゃあ、そういうことで」
「んん? 付き合うって意味で合ってる?」
「合ってるけど、好きから嫌いじゃないに格下げしたから、それでよろしく」
「綾希、お前……やっぱり怒ってんじゃねえかよ。はぁ~~マジかよ……」
「じゃ、また」
「あ、あぁ。またな、綾希」
雨も小雨に変わったし、ここにこれ以上いても何か嫌だった。七瀬と関係がすぐにどうこうになるとは限らないけれど、付き合うってことにはした。安心を覚えるまで、七瀬を守るしかないっぽい。