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それぞれの想い人

君の心を覗かせて

作者: 鈴本耕太郎

 グラスに残っていた氷が音を立てて崩れた。少しだけ残っていたはずのアイスコーヒーは、今では溶け出た水と、ほとんど同化してしまっている。

 さっきから喋っているのは僕ばかりで、対面の席に座っている若菜わかなさんは、退屈そうに窓の外を眺めている。外に何かあるのかと、視線を追ってみたけれど、何を見ているのかなんて、さっぱり分からなかった。せっかく勇気を出して喫茶店に誘ったのに、なんだか空回ってばかり。上手くいかない関係に、溜息が出そうになる。


 若菜さんは今、何を想っているのだろうか。どうしたら、気を惹く事が出来るのだろうか。出来る事なら、若菜さんの心の中を覗いてみたい。そう思った。



 *****



 夏休み。

 偶々出かけた本屋さんで、まさか片思い中のいつき君に出会えるなんて思ってもみなかった。さらに良い事は重なるらしく、話の流れから喫茶店へと誘って貰えた。

 なのに……。

 緊張でほとんど喋れない私は、恥ずかしさから目を見る事さえ碌に出来ない。目の前で楽しそうに喋っているいつき君は、外ばかり見ている私をどう思っているのだろうか。

 きっと、つまらない女だと思っているに違いない。

 あーあ、私は何をやってるんだろ……。


 自己嫌悪に陥っていると、窓の外を浴衣を着た人達が通り過ぎていった。男女二人ずつの四人組で、みんなで楽しそうにおしゃべりをしている。

 きっと夏祭りに行くのだろう。

 羨ましいと思ってしまう。樹君と行きたいけれど、誘う勇気なんてこれっぽちもない。それどころか、まともに喋る事すら出来ていないのだ。どうして私はこんなにも意気地なしなのだろうか。


「そう言えば今日は、夏祭りだったね」

 突然変わった話題に驚いて、チラリと樹君の方を見れば、さっきの四人組を眺めていた。

「うん」

 せっかくのチャンスなのに、出て来た言葉はそれだけ。

 終わっちゃったよ会話。

 本当に情けない。

 でも、こんな私に奇跡が起きた。

「せっかくだから、一緒に行こうよ」

 爽やかな笑顔の樹君に、私は小さく頷いて返した。


 喋れよ、私!



 *****



 茜色に染まった道を若菜さんと並んで歩く。今日の若菜さんは、いつも以上にクールで物静かだ。僕と一緒にいる事が退屈なのかもしれない。

 でも、だったらどうして、夏祭りへの誘いに応じてくれたのだろうか。隣を見れば、若菜さんは真っ直ぐ前を見つめている。うん、分からない。たぶんきっと、ただの気まぐれな優しさからなのだろう。勘違いしてしまわないようにと、自分に言い聞かせた。

 夏祭りの会場までは、まだ少し距離がある。道中の会話を少しでも盛り上げようと、とっておきのネタをいくつか披露してみるが、その全てが空振り。若菜さんは「面白いね」と言って、遠くを見ていた。

 やばい、夏祭りが始まる前に挫けそう……。



 *****



 樹君は天才なのかもしれない。

 聞かせてくれる話全てが面白い。気を抜けば、馬鹿笑いしてしまいそうで、必死で堪えていたら、さっき以上に無口で不愛想になってしまった。普段から明るい樹君が、心なしかへこんでいるように見える。

 たぶん、私のせいだよね。ごめんなさない。


 ちょっとだけ気まずくなってしまった雰囲気の中、のんびりと歩いていると、ようやく会場が見えて来た。さっきから必死で考えていた言葉。「もうすぐだね」の一言を言おうとして、タイミングを計っていたら先を越された。

 私は結局「うん」と呟いて頷いただけ。

 あれ?今日って樹君に会ってから、他の言葉を口にしていない気がする……。

 コミュ障過ぎるぞ、私。


 会場である神社に到着すると、高い木が生い茂っているせいか一気に暗くなったように感じる。この暗さなら大丈夫かもと、隣を歩く樹君をこっそり見上げる。うん、今日もカッコいい。これでようやく顔が見れた。

 満足していると、樹君が不意にこちらを向いた。それに反応して、咄嗟に顔を逸らしてしまった私。

 危なかった。ってバレバレかな?

 そんな事を考えていたら突然手を握られた。驚いて振り向けば、樹君が恥ずかしそうに頬を掻いていた。

「はぐれるといけないから」

 私の方を見ずに、そう言った樹君の耳は赤くなっていた。


 えっと、これって……。



 *****



 ありきたりな言い訳を口にして、若菜さんの手を強引に握った。

 嫌われたらどうしよう。恥ずかしさと、気まずさでまともに顔が見れない。勇気を出して、こっそり覗き見れば、若菜さんは下を向いていた。

 やばい。

 失敗したかもしれない。

 いくらなんでも、いきなり手を繋ぐなんて事をするべきじゃなかった。今更反省したところで、とっくに手遅れ。だからと言ってここで手を離す訳にもいかない。夏祭りの賑わいの中で、僕らは手を繋いだまま黙って歩く。

 会話のきっかけを探すように、辺りを見渡せば様々な屋台が目に飛び込んで来た。手を繋ぐ事に必死で、周りが全く見えていなかったらしい。気持ちを落ち着かせるように、小さく息を吐き出して、若菜さんへと話しかけた。



 *****



「せっかくだし、何か買おっか」

 手を握られた事が嬉し過ぎて、完全にトリップしていた私を樹君の言葉が、現実へと引き戻してくれた。そんな樹君に、相も変わらず私は「うん」と答えてしまう。

 あっ、でも今回は仕方ない気がする。そういう問いかけだったし……。

「若菜さんは何か食べたい物ある?」

 自分に言い訳をしていると、樹君から質問がきた。今度こそちゃんと答えなくちゃ。そう思って周りを見渡せば、目に付いたのはリンゴ飴。

 昔、好きだった事を思い出して迷わずそれを指差した。


 だから、喋れって!


 優しい樹君は笑顔で頷くと、私の手を引いてリンゴ飴を売っている屋台へと向かってくれた。樹君はリンゴ飴を一つだけ買って、私に渡してくれる。

 なんで一つだけなのだろう?Why?なぜ?もしかしたら樹君はリンゴ飴が苦手だったのかもしれない。少し残念に思いながら、お金を出そうとしても受け取って貰えなかった。

「後で何か驕ってよ」

 再度、私の手を握りながら、本気なのか冗談なのか分からない表情の樹君。

 私はただ、頷くだけしか出来なかった。


 私って、やっぱりダメダメだ。


 落ち込みながらも、買って貰ったリンゴ飴を舐めれば、懐かしい甘さが口の中に広がった。少し溶け出した所で、上の方に齧り付く。

 美味しかったけれど、樹君が見ている事に気付いて食べ辛く感じてしまう。なんとなくリンゴ飴の棒の部分を、竹とんぼみたいに片手でくるくると回して遊ぶ私。子供みたい。

「ちょっとちょうだい」

 突然かけられた予想外の言葉に驚いたけれど、買ってくれたのは樹君だから、断る訳にはいかない。そもそも断る気なんてさらさらないんだけど。

 それにしてもリンゴ飴、嫌いじゃなかったんだね。ちょっと安心。


 私が、黙って差し出したリンゴ飴。

 空いている方の手で受け取ってくれると思っていたら、私が手に持っているリンゴ飴へとそのまま噛り付いた。ビックリしたけれど、あーんってしているみたいで、なんだか嬉しい。恥ずかしさと嬉しさで、頬が緩む。ニヤけそうになってしまうのを必死で堪える私に、樹君が追い打ちをかけた。


「間接キスだね」


 その言葉、反則。



 *****


 

 無表情に僕を見つめる若菜さんは、一体何を考えているのだろうか。かなり強気で攻めているつもりなんだけど、戦果はいまいち。正直言って、そろそろギブアップ寸前だ。僕としては、ここまでしてしまったから、勢いで告白までしたい所だけど、本当に自信がない。


 どうしたもんかな。


 見上げた空に花火が開いた。

 今日のこれが、この辺りでやる今年最後の花火だったと、ふと思い出した。

 まだまだ暑い八月の後半に、不意に感じた夏の終わり。夜空に開いた大輪を見ていたら、意味もなく少しムカついてきた。もちろん、ただの八つ当たりだ。


 ここまで無反応だなんて、思いもしなかった。

 もういいや……。



 *****



 夏の日の夜、好きな人と手を繋いで、リンゴ飴片手に花火を観る私。

 素晴らしき初恋!

 これぞ青春!

「ねぇ、若菜さん」

 自分の世界に入っていた私を樹君が呼んだ。

「なに?」

 口から出たのは、この日初めての『うん』以外の言葉。頑張った気がする。

 そんな私の反応に樹君が少し驚いた顔をした。

 何を驚いているの!?

 私だって日本語喋れるんだよ?

 声に出せないだけで……。

 心の中の声は決して聞こえないはずなのに、樹君は小さく苦笑した。


 なによ……。


「僕と一緒にいると退屈?」

 思ってもいなかった問いかけに、目の前が真っ暗になる。そして自分のこれまでの行いを思い出して、全力で後悔。


 違う! 退屈じゃない!


 そうやって咄嗟に心の中で叫んでみたところで、声にはならない。黙ったまま首を振った私を見て樹君は溜息を吐き出した。

「喋りたくない?」

 それも違う!

 否定しようとして、またもや首を振るだけの私。

「分かったよ」

 絶対に分かってない。

 でも声にならなくて……。

「もう良いよ。そのままで大丈夫」


 ああ……。終わりだ。

 本当に何をやってるんだろう。

 私はバカだ。


 ばいばい、私の初恋。

 ばいばい、私の青春。 


 私って最低。 



 *****



 冷たい言葉で突き放してみても、一切表情を変えない若菜さん。ここまでくると逆に清々しい気持ちにさえなってくる。

 なんだかもう、どうでも良くなってきた。


 こうなりゃ自棄だ。



 *****

 


 すぐ近くで揚がっているはずの花火の音が、遠くに聞こえる。

 せっかくのチャンスを棒に振ってしまった私は、本当にバカだ。せっかく樹君が誘ってくれて、手まで繋いでくれたのに、私はまともに目を合わせる事も、喋る事も出来ないまま。

 本当にダメダメだ。

 深く深く沈んで行く私の気持ちを、樹君の言葉が引き止める。


「あのさ……」


 樹君が慎重に言葉を選ぶように喋る。

 私は続きを聞く為に、耳を澄ませる。


「退屈かもしれないけど、頑張るから」


 何の話?


「僕の彼女になってよ」


 へ?

 今なんて言ったの?

 あまりに突然の事に理解が追い付かない。


「若菜さんが好きなんだ」


 私達の頭上で大輪が花開き、大きくて鈍い音が辺りに響き渡る。光に照らされた樹君の瞳が、今の言葉が本気だと物語っている。風が吹き、樹君の前髪を揺らす。ほんのりと色づいた頬は、花火の光だけが原因ではないはずだ。

 何の反応も出来ずにいる私を見て、樹君が諦めたように息を吐き出した。


「返事は?」


 がんばれ、私。

 頷け、頷け、頷け!


 カムバーック! 私の初恋。

 カムバーック! 私の青春。


 頷くんだー!



 *****



 壊れたおもちゃみたいに、何度も何度も頷く若菜さん。どうやら捨て身のつもりの告白が、上手くいったようで、僕は安堵の息を吐き出した。

 ホッとしたら欲が出て来た。未だに頷き続ける若菜さんを強引に引き寄せ、抱き締める。

 暗がりだから、バレやしないと願いながら。

 僕の腕の中で、動きを止めた若菜さん。その小さな顔を両手で挟めば、特徴的な琥珀色の瞳が揺れていた。

 

 そして……。



 *****



 むりむりむりむり……。

 恥ずかし過ぎて死にそう。

 顔を固定されて逃げ場がない。そんな状態で樹君に真っ直ぐに見つめられて、どうにかなっちゃいそう。

 ねぇ、ちょと待って!

 もしかして……。


 近い、近い、近い、近い……。


 待ってって、ねぇ……。


 ――あっ。


 ……。


 ……。


 もう一回、して。



 *****



 ゆっくりと顔を離せば、若菜さんの綺麗な瞳に花火の光が反射して見えた。若菜さんは相変わらず無表情のまま。

 でも。

 今は不思議と、さっきまでとは違って見える。

 

 心の中を、ほんの少しだけ覗けた気がしたんだ。


 だから僕は、若菜さんの想いに沿えるように、真っ直ぐに僕を見つめる彼女の頭を、そっと撫でたのだった。











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― 新着の感想 ―
[一言] 多分だけどノクターンに引っかからないスレスレの内容にできるっしょ?
[一言] エロエロ展開も追加で頼む!
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