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05話 魔術学院の落ちこぼれ


――死にたいと、そう思ったことはありますか?


 例えば、断崖の端に立った時に、落ちてしまったらどうなるのだろうと興味を抱くように。

 例えば、滴り落ちる血を見て心が落ち着き、ぼんやりとその様を眺めてしまうように。

 例えば、人生の全てを台無しにするような選択が、魅力的に見えてしまうように。


 人には総じて破滅願望、死へと向かう欲動がある。それが大なり小なりの程度の違いがあるとしても。


――わたくしには常に。これはきっと罰なのだと思う。


 自分はあの時死に損なったのだから。

 父も母も兄も死に、自分だけが生き永らえてしまったのだから。

 あの雨の降り続ける崖下で、死神の手を振り払ってしまったのだから。


 だから、この心に巣食う破滅願望は罰なのだと。


――あぁ、今日はこんなにも空が青いから。


「死にたい」


 爽やかな早朝の春の空気と青空。窓の外に広がる、陰鬱な要素一つ無い晴れ渡る明け方の蒼穹を眺めながら、リリアーヌは口癖のように呟いた。




◆◇◆◇◆◇




 “それ”が始まったのは、リリアーヌがルードヴィヒに敗北した次の日からだった。


『ザコ』


 リリアーヌの机の上に黒く大きく書かれた文字。軽く指でこすれば滲むので、消えない塗料で書かれた訳ではないのが救いと言えば救いだった。


(……ぶざま、ですわね)


 この様な事をする輩も、わたくしも。リリアーヌは自嘲と共にそうつぶやく。


 ――あの敗北は、どん底に思えたリリアーヌの状況を更に悪化させた。「ルートヴィヒ殿下に手も足も出ず負けたそうだ」「主席と言っても偶然だったんだ」「神童も、歳を重ねれば只の人か」噂は噂を呼び、それはその日のうちに広まった。

 結果がこれだ。今までは報復を恐れてリリアーヌに直接の被害は与えられていなかった。だが彼女が敗北した結果191期生最強と目されるのが移り変わり、直接の嫌がらせを行うものが現れ始めた。勿論勝利はルードヴィヒのものであって、その他大勢のものではない。曲がりなりにも主席を取る魔力と知識と技術を持つリリアーヌに、先の決闘と同じルール下でも勝利を納められる人間など片手で数えられる程だろう。

 リリアーヌはため息をついて、机の文字もそのままに席に座る。今から布巾を持ってきて文字を消す時間も、気力も無かった。周りから聞こえるヒソヒソ声は嘲笑を多分に含んだもので、睨み返す元気も無い。


(……逆効果にも程がありますわ)


 トーテス・トリープ家の特異魔術の有用性を示す、リリアーヌの目的はそれだ。だが今の状況は無様に敗北し自身の評価を、ひいてはトーテス・トリープ家の評価を落としているのが現状。

 昨夜のリリアーヌの様相は酷いものだった。食事も取らずに泣きはらし、そのまま疲れ果てて寝入る始末。朝起きて鏡を見た時は一日休むことを選択肢に入れるほどであったが、クロエの化粧の腕が優秀だったのは僥倖だった。


(ですが、いつまでも落ち込んでいられません。挽回の機会はまだあります)


 問題は致死性の低い攻撃方法が少ないせいであって、そこを解決すればあの王子様に勝つことも出来る。“焼尽の統治者(シアリング・ルーラー)”、赤白く燃え盛る精霊化したドラゴン――自立稼働するそれを突破してルードヴィヒに一撃を通す。難しいが、出来ない事は無いはずだ。


(最悪手か脚は諦めてくださいませルードヴィヒ様!!)

「……あれ、寒気が」


 復讐(リベンジ)に燃えるリリアーヌの熱意と引き換えにルードヴィヒには悪寒が走った。




――魔術には大分して二つの種類がある。

 一つは、リリアーヌの“鮮血の教示者ブラッディ・チューター”やルードヴィヒの“焼尽の統治者(シアリング・ルーラー)”のような“特異魔術”。これは使おうと思って使えるようになる魔術ではなく、血統や突然変異、先祖帰り等の要因で使えるようになり、一人に一つしか授かることのできない文字通りの特異な魔術。習得自体が困難かつ、血統で継ぐ以外狙ったものを授かれない分、魔術自体の強度は高い。魔術師同士の戦いにおいては、特異魔術の強さがイコールその魔術師の強さと言っても過言ではない。

 そしてもう一つ。魔術師であれば万人が万人共に同様に使うことの出来る“汎用魔術”。これは詠唱と術式の組み方さえ知っていれば誰でも同様の効果を得ることが出来る。例えば指先に点火用の小さな炎を灯したり、例えば遠くのものに声を届けたり、例えば傷を癒したり。効果のほどは小さく地味だが、汎用魔術の名の通り汎用性の高い魔術の数々だ。

 今、リリアーヌ達が受けている授業は、後者を学ぶ“汎用魔術学”。魔術師としての汎用性はこの魔術の取得数に依るところが多い。詠唱を覚えるだけで火打石も松明も薬草も持ち運ばなくて済む。荷物を減らすことが出来る事は有事の際に大きなアドバンテージになるし、万が一の生存率を格段に上げることが出来る。


「其は火種を落とすもの。『ファイア』」


 リリアーヌの指先に小さな炎が灯る。酸素を必要とせず、湿気をもろともせずに灯す事の出来る魔法の火種。魔術を扱える年齢になった子供たちが、もっとも最初に習得する汎用魔術、それがファイア。これを習得できないものは魔術師になることを目指す事は無く一生を終えるであろう、入門の入門だ。

 あまりにも簡単な課題に手持無沙汰となり、リリアーヌが周囲を見渡すと他の生徒たちも退屈そうにそれぞれの灯火と掲げていた。ぼんやりと眺めていたけれど、人によってその灯火の色や形、大きさが違うことに気付く。隣の気の弱そうな少女は、橙色の小さく柔らかく灯った炎。反対がわの活発そうな少年は、赤白く燃え盛る炎。そして自身のものを見れば、青白く静かに、だが全てを燃やし尽くす熱量を持った炎。


(結構、違いが出るものなのですね)


 術者の気質は魔術の気質。なるほど、こうやって見れば相手の性質を見抜くことも可能なのかと、リリアーヌは関心をする。


「はい、最も基本的な汎用魔術ですね。皆さんも最初に習得したと思われますが……」

「えっと、その、すみません」


 説明を始めようとする教員の声を遮り、おずおずと一人の少女が挙手をする。


(あら、あの食堂の。同じクラスでしたの)


 手を挙げていたのは、黒い髪を肩口できりそろえた、小動物を思わせる小柄な少女。先日、貴族用の食堂に迷い込み、リリアーヌが叱りつけた少女だった。クラスメイトの顔を殆ど見ていなかったリリアーヌは、あの少女が同じクラスだったことに今更ながらに気付いた始末。もっとも、向けられる殆どが視線か敵意か悪意のものである為、その顔をわざわざ注意深く見ようとは思わなかったせいであるが。


「貴女は…… アイリさん?」

「はい、フソウ領のアイリです…… ごめんなさい、私、汎用魔術が苦手で」

「苦手、って……初歩も初歩のファイアで?」


 少女の告白に、教室がにわかにざわめいた。


「……ありえない」


 思わず、リリアーヌが呟く。そう、ありえない。初歩の初歩、つまり殆どすべての汎用魔術を扱えないものがここに居る事など、有り得るはずがない。


「おいおい、何の間違いだよそれ」

「ファイアも使えないやつが入学したの?」


 湧きあがる嘲笑。つくづく不幸な少女である。

しかしリリアーヌは、いや、このクラスでも数人は静かに戦慄していた。


(汎用魔術が使えない。……なら、一体何を使えるというの?)


 この学院に入学する試験、王国中のエリートが目指し、その中で選りすぐりが選ばれる試験。それを、汎用魔術の項目を全て落として合格する。……可能性が無いとは言えないが、リリアーヌ自身やれと言われて出来るとは到底思えない。だが、学院は汎用魔術を捨ててもこの人材が欲しいと判断を下した。それほどまでに、彼女に特別ななにかを見たのだ。

恐らくは、“特異魔術”。一人に一つしか授かれないそれは、特殊で特出したものであれば他の要素を全て押しのける強みとなる。


(警戒すべき人物ですね。特異魔術と仕上がり次第ではわたくしの領に来てほしいですが……)


 トーテス・トリープ家の統治する領土、そこにも勿論数人の魔術師が居る。先領主である父に仕え、その娘である自分にも忠誠を捧げてくれる彼らだが、誰もが比較的高齢であり、数年のうちに引退を選択せねばならない年齢。

 リリアーヌ本人にとってはオマケのようなものであるが、領主代理として卒業までに有望な魔術師をスカウトすることも、彼女がこの学院に入学を決意した理由の一つだった。


「ふぇぇ、ごめんなさい……」

(警戒すべきですわ…… 騙されてはだめよわたくし……)


 ……半泣きでべそをかいている同年代とは思えない少女に、学院がミスをして入学させたのではないかという可能性も考慮しておこう、と思うリリアーヌであった。


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