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01話 始まりの日、過ちの日


 “悪役令嬢(ヴィラン)


 そう聞いて思い出すものはどんなものであろう。


――気の強そうな顔立ちの美少女?


 確かに波打つ金色の髪はせせらぎを思わせる程美しく、その吊り目がちな碧眼は宝石の様で、肌は水を弾く瑞々しさ、そして15歳ながらも整った顔立ちはその内面の気丈さを表すように凛とした美少女だ。

 残念ながらドリルではない。


――貴族然とした立ち振る舞いと価値観、そして高いプライド?


 確かに彼女の立ち振る舞いは貴族のそれに相応しく、上品で、可憐で、華々とし、その価値観も貴族としての自負と責任と誇りを持ったものだ。


――重ねられた血統に裏付けされた、高い魔力と特殊な魔術?


 確かに彼女の魔力は同年代のものと比べても最高クラスに位置するほど高く、何よりその特殊な血統による魔術は、替えのきかない貴重なものだ。


――他人を怒らせ、蔑み、侮蔑する言動?


 確かに彼女の言動は何人もを罵倒し、侮蔑し、敵を多く作った。それが望まれぬものであったとしても。


――では、彼女は悪役令嬢として適切か。


 それは、否だ。悪役令嬢は没落の日まで、配下を侍らして支配していなければならない。そして彼女は…………


 バシャリと、派手な水音が鳴り響く。考え事をしていたせいで防御の魔術が間に合わず、頭から盛大に水をかぶってしまう。金色の美しい髪も、白く美しい肌も、卸したての制服もローブも、全てが水浸しだった。慌てて扉を開くも既に下手人は立ち去った後で、遠くから嘲るような笑い声が聞こえるだけ。今から追いかけても捕まえるのは不可能だろう。

 大きなため息が漏れる。汲みたてといえトイレの水を掛けられたのは気分的に不衛生であるし、春の陽気の下といえ、濡れ鼠の状態では風邪をひいてしまってもおかしくはない。

 着替える為に寮へ戻ろうか――そう思った瞬間、無慈悲にも次の授業を知らせる鐘が鳴り響き、そんな時間は無いのだと告げる。少女は諦めと共に髪の水気を払い、ローブや制服を絞って最低限垂れる水を極力減らすことで妥協して、授業に向かう。

 これが一度目の事ではない、とはいえまだ“慣れる”程受けたわけでもない。どん底に沈んだ気分と共に、少女は口癖のように呟いた。


「あぁ、死にたい」



 ……彼女は、皆から“悪役令嬢(ヴィラン)”と呼ばれる少女は、どうしようもなくボッチで、イジメを受けていたのだから。



◆◇◆◇◆◇



『王立エグリゴリ学院』


 世界の根幹を為す要素に、魔術の存在があったとしたらどうなるか?

 かつてどこかの世界で人が科学を発展させたように、人は魔術を研究し、研鑚し、研磨するだろう。そしてここは、魔術を研究する為、国中の優秀な少年少女達を集めその知識と才能を国栄に生かすという意図を以て建てられた、王国最高峰の魔導研究機関。あるいは教育機関である。

 魔術、精霊術、錬金術、呪術、法術、陰陽術、召喚術――数多ある魔導の術技を時には協力し、時には相反しながらも高みを目指す学院。

 この日はその華々しき入学式だ。才気溢れる少年少女達はこの学園で15歳から20歳という青春時代を注ぎ、名誉と叡智を得る――そんな晴れ舞台で、その少女は浮かない表情を浮かべていた。


「ねぇ、クロエ。本当におかしいところは無い?」

「えぇ、問題ありませんお嬢様」


 姿見の鏡の前でしきりに服装と髪型をチェックしている少女は、何度目かの同じ質問を従者の少女に問う。フワリと舞うボリュームのあるウェーブがかかった金色の髪は丁寧に梳かされ、身に纏う紺色の学生服とチェック柄のスカート、漆黒のローブはしっかりと整えられており、従者の腕が良い事が一目でわかる。

 15歳ながらも気の強そうなキリとした眼は不安に揺れており、緊張からかそわそわとした様子は微笑ましさを感じさせる。

 リリアーヌ・トーテス・トリープ。知る人がその名を聞けば「あぁ、トーテス・トリープ辺境伯の神童か」と、そう答えるであろう少女。若くして魔術の才能に目覚め、その能力と才気で知られた……悲劇の少女。


 “トーテス・トリープ家最後の生き残り”。……それが彼女を示すもっとも有名な名だった。


「まさか代表者スピーチに選ばれるだなんて、主席を取ったのに貧乏くじ」

「光栄な事ですよ、お嬢様」


 そうズバリと切り捨てる様に慇懃無礼に返すクロエと呼ばれた少女は、辺境伯の位を持つトーテス・トリープ家に仕える侍女。クラッシックメイドの衣装に身を包んだ少女の齢は18、9で、リリアーヌよりも幾分か上だ。黒髪は後ろで簡易に結ばれ、表情は凛として――むしろ人間味を感じさせない、無表情と称するべき感情の籠らない面持ちだ。従者としてどうかと思う、とはリリアーヌのいつも抱く感想だった。


「わたくしは目立ちたくないの。スピーチ中に“発作”でも起きたらどうするのよ」

「……洒落になりませんわ、お嬢様」

「そうよねぇ…… 今からでも断れないかしら」


 リリアーヌがその持病に付いて憂慮する。彼女を悩ませる発作、それが代表者スピーチの時に起きた時に起こった場合を想像して、ぶるりと身体を震わせる。そして、だからこそ(、、、、、)、発作が起こる可能性が低くはないのだと実感してしまう。


「クロエ、わたくしは緊張で体調を壊したとでも説明を……」


 コンコンと、逃亡を決意した瞬間その決意を砕く扉をノックする音が響く。


「……どうぞ」

「失礼します、リリアーヌ・トーテス・トリープ様。式が始まりますので案内致します」

「…………分かりました」

「頑張ってください、お嬢様?」


 何故か苦虫を噛み潰した様な表情をする辺境伯令嬢と、何か粗相を犯したのかと不安げな様子の案内人に、クロエは哀れなものを見る視線を向けていた。





「……さすが王国の誇る最高魔術学園ですわ」


 思わず、ため息が出る。

 案内された中庭には既に式典の準備が済まされており、華々しく絢爛な装飾に彩られ、平民出身の出席者や職員であろう人々が所定の位置に座っている。辺境伯令嬢であるリリアーヌは、平民のものが座っているものとは幾分も豪華な椅子に案内され腰を落とす。優秀なものは身分を問わず、平民であれ貴族であれ平等に評価するとはこの学園の理念だが、待遇は貴族のものの方が当然上等であった。

 辺境伯――つまり辺境である彼女の家の領地は、国防の要であると言え、経済的に余裕がある土地では無かったため、これほどの豪華な式典に出席するのは彼女の人生でも大きなイベントの一つだった。


(まぁ発作の事があるので避けていたのもありますが……)


 例え神童と天才と呼び持て囃されても、年頃の少女であるリリアーヌにはそのような華やかな場が楽しく、そして羨ましく思ってしまうのは仕方の無い事だった。

 リリアーヌよりも位が上であろう貴族達も全員集合し終えたのか、僅かなざわめきの後「静粛に!!」という叫び声が響きわたる。


「これより、王立エグリゴリ学院、第191期新入生の入学式を行う!」


 司会である先生の気合の入った叫び声のあと、大きな拍手が沸き起こる。


「まずは学園長モクロス氏からの式辞!」


 そう呼ばれて壇上に上がってきたのは白いローブに全身を包んだ、立派な白いあご鬚の老人。


(……あれが、『賢者モロクス』。実物を見るのは初めて)


 この学園の設立者の一人にして、賢者と呼ばれる偉大な魔術師――そんな彼からいったいどんな言葉を掛けられるのかと今回の式で期待している。……期待、していた。


 …………

 …………………。


「――えー、学園が設立される前は……」

(…………ねむい、ですわ……)


 落ちそうになる意識を寸でのところで引き止める。とろんと微睡んだ表情は貴族として、いや、女として人前に出すものではないと分かりつつも、この凶悪な睡眠誘導魔術(魔力不要)に完全に抗える人間は居ない。周りを見るに、既に意識を手放している人の方が多いのではないか。

 春の陽気が気持ちいい。これが正午過ぎであったなら自分ももたなかった。いや、これ以上続くならそろそろ…… リリアーヌが終わりの見えない持久戦に白旗を掲げようかと思った辺りで、時間切れという援軍が到着した。


「であるからにして……」

「学長、そろそろ時間が圧してますので」

「む?そうかの?ホッホ、歳を取ると話が長くなっていかんのう。皆のものの研鑚を期待しておるぞ」


 パチパチ……と、小さく拍手が鳴り響く。リリアーヌも辛うじて音が出るか出無いかの微かな拍手をならす。今ここで拍手を鳴らすことが出来ているのは、あの凶悪な睡眠誘導魔術(魔力不要)を乗り越えた歴戦の猛者達である。微かにでも意識があっただけでも褒めて欲しいくらい。


「続いて、新入生代表者挨拶――入学試験主席、トーテス・トリープ家第一令嬢、リリアーヌ氏より挨拶!」

「ふぐっ?!」


 微睡みに包まれていた頭に唐突に名前を呼ばれ、貴族令嬢としてあるまじき呻き声を小さくあげる。幸い誰にも聞こえなかったようだが、意識しないように心の片隅に追いやっていた事実を突きつけられ、寝ぼけていた意識に冷水を掛けられた気分だった。


(大丈夫、大丈夫ですわ。貰った原稿は数分で読み終わるもの。それくらいであれば、我慢できますわ……)


 しっかりと読み上げる原稿を握りしめ壇上に向かって歩く。


「あれが、トーテス・トリープ辺境伯の神童か」

「一人で連合国軍の一個大隊を追い返したとか」

「7歳にして事故死した辺境伯の代わりに領地経営を回したとか」

「領地に現れたドラゴンを退治したとか」

「綺麗な人だけど、なんか怖いね……」


 (せめて聞こえない声量で言って下さいまし……!尾ヒレが付いて脚色されてますし!)と、僅かにヒソヒソと聞こえるリリアーヌの噂話を、叱り飛ばして訂正したくなる気持ちを心の中で留める。聞こえる範囲でこれなのだから、聞こえないところでは、どんな化け物に仕立て上げられているか分かったものではない事にげんなりとしながら壇上に登り、所定の位置に立つ。

 幸い、新入生に背を向ける形での発表だったので、視界に映るのは掲げられた校旗と何人かの教員、そして来賓の姿だけだった。


(発作の気配も無いですし、なんとか乗り越えれそうかしら)


 そう思うと幾分気が楽になり、リリアーヌは渡された原稿通りに挨拶をこなしていく。

 挨拶の内容もあたりさわり無く、7割がたの内容を読み上げた時だった。それが目に入ったのは。来賓席に座る貴族然とした男性。数えるほどの社交界しか経験していないリリアーヌでも知っている、有力な公爵。此処に居るという事は彼の娘である公爵子女も入学なのだろうなと思い……


 そう、思ってしまった。



――自分よりも遙かに位の高い貴族も居るこの場を、滅茶苦茶にしてしまったらどうなるのだろう。



 ドクンと、心臓の高鳴りを感じた。


 考えては駄目だと、そう自分に言い聞かせても、心に僅かによぎった疑問は消えない。むしろ意識の全てを持っていく様に同じ疑問が浮かんでくる。



――彼らを罵倒して、侮辱したら、私はどんな目にあうんだろう。



 まるで寒さに震えるように肩を抱き、湧き上がる衝動を堪える。

 荒く息をし、無理やり肺に酸素を送り込む。痛みをこらえる様に俯き、うずくまりそうになるのを堪える。

 様子のおかしいリリアーヌに、周囲の人間は僅かなざわめきと、声を掛けるべきかの逡巡を巡らせはじめた瞬間。


「この、栄誉ある、王立エグリゴリ学院の第191期新入生。そんな中で主席の席を頂き……」


――あぁ、だめ。


  我慢、できない。





「はっきり言って興醒めですわ」





 ………………は?


 誰の顔に浮かんでいるのも、その言葉を声無く語る表情だった。唯一他の表情、頭痛を耐えるかのようにこめかみを抑えるクロエが、視界の端に映る。

 やってしまった。そう後悔しても、一度堰を切った感情と言葉は止まらない。


「少しは骨のある人が居るのかと思ったのだけれど、どれも凡骨ばかりのようで。

 つまらない。つまらない。あぁ期待外れもいいところ。学力も並、魔力も並、頭の回転に至っては――」


 勿論、心からそう思っている訳ではない。国が威信を掛けて設立している魔術学院だ。そこに入学しているのは正真正銘のエリート達。自分が主席を取れた事も幾つかの偶然の上に成り立っているものだと、彼女はそう認識している。

 振り向けば、唖然とした顔が並んでいるのが見える。晴れの舞台で唐突に罵倒され始めたのだ。困惑して当然だろう。


「未だに呆けた顔して。頭の回転が遅すぎではなくて?」


――あぁ、だけど!


 嘲笑う表情を浮かべたリリアーヌが生徒たちを見下す。彼らは今まで優秀なものとして積み上げてきたプライドを傷つけられてどう思うのだろうか。悲しむ?傷つく?――怒る?当然だ。怒る。憤怒する。憎悪する。今この瞬間から彼女の事を好ましく思うものは皆無だろう。

 そして破滅の針を一つ進めた事が、それが何よりも気持ちいい(、、、、、)!!


「この5年で少しはわたくしに一矢報いる事が出来る者が現れるのを期待していますわ」


 時間と共に唖然と呆然から立ち直り、にわかにざわめき始める会場を背に、リリアーヌは飄々と去って行った。


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