最悪な二人
三話、四話続けての投稿です
帰宅早々ディアナは、エリーゼから借りた占い雑誌の頁を震える手でめくった。生まれた歴と、月日。自らのそれを表に当てはめ、聖人を調べる。ディアナが導きだしたのは、自分の誕生日ではなく、それより十日後、四の月の二十五生まれの聖人だった。
あの夜会の日、アレンからダンスに誘われたのは、『昨日十六歳の誕生日パーティーをした』とエリーゼと話している時だ。パーティは確かにあの日の前日だったが、ディアナの実際の誕生日はその十日前なのだ。
誕生日当日は、父は仕事が忙しく不在、兄にも急な仕事が入ってしまった。さらにはリリアナまで熱を出し、パーティに出たかったとベッドの中ですすり泣き。母が仕切り直しね、と残念そうな顔でパーティの日にちをずらしたのだった。事情を知らないアレンが、ディアナの誕生日を四の月の二十五日だと誤って認識したのは間違いない。今年十六になる人の四の月の二十五日の整色聖人は、やはり藍の詩人。アレンは、ディアナを藍の詩人だと勘違いしている――。
ディアナは本を閉じてしまいたくなる気持ちを、何とか堪えた。続けてそれぞれの整色聖人の相性の欄を探し当てた。黒の賢者と藍の詩人の相性はイヴリンの言っていた通り最高。ではディアナの本来の聖人である緋の呪術師と黒の賢者のそれは。
それを見たときディアナの目の前は真っ黒に染まった。誕生日を間違えたどころの話ではない。
数ある組み合わせの中でも、恋愛の相性は最低最悪。両者の頑固さが、嫌な形で前面に出てきて対立、似ているからこそお互いの存在を疎ましく思ってしまう。相容れない二人は、一緒にいても決してうまくいかない。この相手も知り合っても、愛を深めようなどと思わない方が賢明だろう――。
ぱたん。
今度こそ耐え切れず、本を閉じてしまった。
「そんな……」
かすかな呟きが、やけに大きく響き渡った。
◆◆◆
ディアナは今月分の占い雑誌を取り寄せた。アレンに会えない日は黒の賢者の頁を開き、その日一日の彼に思いを馳せるのが日課になってしまった。
占いなんてくだらない、そう一笑に付してしまえればどんなに楽だったか。
だが、本当に彼が占いの導くがまま運命の相手として藍の詩人を求め、不幸な勘違いからディアナを選んでしまったのだったとしたら。
どんな風に彼に本当のことを打ち明けたらいいのだろう。藍の詩人のはずのディアナが、実は相性最悪の緋の呪術師だったという真実を知ってしまったら、彼は一体何を思うだろうか。
アレンに誘われ歌劇を見に一緒に出掛けた帰り道。季節の花が咲き始めた様子を見ながら、二人で並んで歩く。繁華街は活気で溢れ、頭上に降り注ぐ光は穏やかなのに、ディアナの心は地の底に沈んだようだった。
「歌劇」「散歩」「臙脂色」今日のアレンの整色聖人の占いのキーワードだ。偶然にもディアナが着ているドレスは臙脂色で、アレンがつけているタイもやはり臙脂色。図らずもおそろいの色を身にまとってしまったのだが、素直には喜べなかった。
ある宝石店の前に来たとき、ディアナは通り沿いの飾り窓に陳列された物に目を奪われた。アレンの瞳の輝きによく似た琥珀のブローチ。恋人の瞳と同じ色の装飾品を身に付けると、永遠の愛が約束されるのだとか。最近は貴石占いにのめりこんでいるエリーゼに教えてもらった話だ。
「あれ、気に入った?」
立ち止まって見入ってしまっていたらしい。アレンの声で我に返る。
「い、いいえ。すみません、見ていただけで……、気に入ったわけでは」
「分かった。待ってて、すぐ注文してくるよ」
ディアナの返事を聞いているのかいないのか、即座に店内に入っていこうとするアレンを慌てて止めた。
「待ってください。この前も贈り物をいただいたばかりですし、もう、だ、大丈夫です」
こんな風ににディアナを大事に扱ってくれるのは、大変な誤解のためだと思うと頷けるわけがなかった。
「そう?」
「はい」
「でも……」
そう言ってアレンは、じっとショーケースの中のブローチを見つめていた。永遠の愛――。それが、例えばああいうブローチを付けることで約束されるのだったらどんなにいいだろう、とディアナは思い、すぐに否定する。分不相応、という言葉が浮かんだ。そもそも自分は彼の隣に立てる人ではなかったのに、永遠の愛を望むなんて図々しい。
こんなにも彼を好きになってしまった今、彼の傍にいるためにできることがあるならばどんなことでもするだろう。しかし、誕生日ばかりはどう足掻いても変えられない。やるせない思いで隣をちらりと見れば、美しい横顔があった。ディアナの視線に気付いた彼は柔らかく微笑んだが、ディアナはぎこちない笑顔しか返せなかった。
「どうしたの? 今日はなんだか元気がないね」
「なんでも、ないです」
弱々しく首を振ると、アレンは心配そうに眉をひそめディアナの額に手を当てる。
「熱はないみたいだけど。体調が悪いんだったら、早めに帰ろう。寒くはない? 気付かなくてごめん」
「ほんとうに、大丈夫です。それより、お聞きしたことがあるのですが……。整色聖人のことで」
このままではいけない。ディアナは勇気を奮い立たせて切り出すことにした。
「整色聖人?」
「はい。あの……、アレンさまはそれを信じていらっしゃる、と耳にして」
「うん、まあ、信じているよ」
アレンはあっさりと認めた。
「ただ、占いなんていつでも婦人の間での流行ごとだろう。ディアナにどう思われるか不安で。いつか言おうとは思っていたんだけどね」
照れ臭そうにするアレンに、核心をつく質問がディアナの喉元までせりあがってくる。
――では、私を選んでくれたのは、聖人の占いで相性が最高だったからですか?
「なぜ、それを信じるようになったのですか」
しかし、口から出てきたのは全く違う質問だった。
馬車に乗り込んだ後、アレンはつまらない話かもしれないけど、と前置きをして喋り始めた。
「僕には兄が二人いるんだ。二人とも、とても男らしく凛々しく、数々の武勲を立て、武のロンシーヴ伯爵家の名に恥じない人たちだ。父は元より、そんな二人に囲まれて貧弱な自分を少々恥じていたときもあった」
アレンの細められた瞳に映るのは、馬車上からの流れる景色だけではないのだろう。どこか寂しげな表情の彼だが、口調だけは明るく続ける。
「いや、少々じゃないな。ひどい劣等感を抱えていた。その頃は体も弱くてね。ロンシーヴ家の男として求められるのは、陛下のためにいつでも身を投げ出し楯となれるような強さなのに、僕は体を動かすより机に向かって本を読んだり、数式を解いたりする方が好きだった。運動全般が壊滅的で、ダンスさえろくに覚えられなくて教師にお手上げだって言われたこともある。兄達のようになんてなれるはずがない、情けない、自分はなんて駄目な人間なんだろうって思っていたんだ」
ダンスが得意ではない、と気にしていたアレンを思い出し、ディアナの胸は痛んだ。
「そんなとき、たまたま、本当に偶然手にした本が整色聖人の本だったんだ。母が持っていた本だったんだけど興味本位で自分の聖人を調べてみて、まず黒の賢者っていうのに惹かれた。子供ながらに賢者っていうのが恰好よく感じて。そこには、黒の賢者は優柔不断でくどくどと頭の中で考えてしまう。でも色々思い悩まず、自分は自分のままでいいと開き直ってしまえ、と書いてあったんだ」
その言葉は自らも意外なほどにアレンの心に重く響いた。自分は自分のままでいいんだ、と自信を持って文の道へと精進し、辛いときは黒の賢者の運勢のとおり幸運品や幸運色を取り入れたりすると前向きになれた。いつしか、父や兄達とは別の道を志すのを周囲に認められるまでの成績になった――。
「聖人の占いは、僕の心の支えみたいなものかな。――ディアナ?」
かすかに震える手で口元を覆うディアナに、アレンが心配そうに声をかけた。
「……アレンさま」
「ひどい顔色だ。やっぱり具合がよくないんだろう」
もう少し黙っていれば、結婚さえしてしまえば、優しいアレンはたとえディアナが緋の呪術師だとしても受け入れてくれるのではないか、と考えていた卑怯な自分にディアナは気付いた。しかし彼の話を聞いてしまった今、そんな大切なアレンの根底を支えるものを偽ってまで、彼の伴侶になることなどできない。
ディアナは顔をふせたまま首を振る。今アレンの顔を見たら、本当にみっともなく泣き出してしまいそうだった。




