近づく距離
結婚を申し込まれてから数日後。ルシエント伯爵家の庭園に面した一室で、改めてディアナはアレンと顔を合わせた。あの日、アレンの言葉にどうにか頷くことはできたが、狼狽えすぎたディアナは、あろうことか水と酒を間違って飲んでしまい、ろくに会話もできないまま夜会の会場をあとにしたのだった。
窓辺からふり注ぐ春の光は柔らかく、アレンの淡い金髪をさらに際立たせる。ディアナは眩しくて思わず目を細めた。
「急な話で、驚かせてしまったようだね」
硬い表情のアレンに戸惑うディアナだったが、彼の真剣な様子に居住まいを直し、正直に答えることにした。
「あの……、はい。私のような者が、あんな申し出をしていただけるなんて、驚くばかりで」
申し込みがあった当時は夢心地だったが、時間が経つにつれて何故という思いが強くなってきて、ディアナは今日までずっとその理由を考えてきた。思い浮かんだのは、道ならぬ恋の隠れ蓑に必要なお飾りの妻を探している、そんな男性の話だ。その点では、家柄も釣り合いが取れていて対面は保てる上、ディアナは自己主張するのが苦手だから、夫の行動にあれこれ言わない、うってつけの人物かもしれない。もしそうだったらどうしよう、と悪い予感は募るばかりだった。
「こんなことを言うのは勇気がいるな」
アレンが重い口を開く。一瞬身構えてしまったディアナだが、その言いづらそうに様子にもし求婚の理由が「隠れ蓑」だとしても受けて入れてしまうであろう自分がいるのに気が付く。
けれど、告げられた内容は意外なものだった。
「君に初めて会ったときから、惹かれていた。運命だと、そう思ったんだ」
「う、運命ですか」
アレンは生真面目な顔でうなずいた。
「結婚する相手は君以外には考えられない。もっと距離を縮めてからにするべきだったのかもしれないけど、君ほどの魅力的な女性が、他の男にとられてしまうのも時間の問題だと思って」
魅力的? とられてしまう? 自分のどこを見てそんな風に思ってくれたのか、ディアナにはまったく想像もつかない。どう反応したらいいのか何も返せないでいると、アレンはわずかに目元を緩ませた。
「ディアナは、よく固まってしまうんだね」
ディアナは頬が熱くなるのを感じながら必死に言葉を紡ぐ。
「わた、私も。アレンさまほど優しくて素敵な方はいないと思います」
「……素敵かな。ダンスのときに可愛らしい令嬢を上手にリードできなかった男が」
「あれは、私の練習不足で」
「いや、君には何も問題はなかった。僕は踊るのは苦手で、いつもどうやったって相手の足を踏んでしまう。何というか、体を動かすのが全般的に駄目なんだ。……自分で言っていて情けなくなってきたな」
どうやら、あのワルツを共に踊った時の言葉は、ディアナへの気遣いなどではないようだ。彼は本気で自分のダンス作法について悩んでいるらしい。
「私はそんな風には思いませんが、もしアレンさまが気に病んでいらっしゃるのだとしたら、その必要はないと思います。ダンスが苦手な人が少しでも踊れるようになるまでには、多くの時間と努力が必要です。私もそうですし……。だから、アレンさまだって一生懸命に頑張ってこられたのでしょう」
必死で言い募るあまり、徐々に声が大きくなるディアナを見ていたアレンが、やがてふっと頬を緩めた。
「そうだね、ありがとう」
二人の間に暖かい空気が流れる。ディアナは彼のことを何の欠点もない完璧な人だと感じていたけれど、彼も自分と同じように思い悩むのだと知った。そうすると自然に、アレンに対して前以上に愛おしいという感情がわいてくるのだった。
◆◆◆
両家の間で正式な結婚の約束が交わされ、式の日取りも数カ月後に取り決まった。
アレンはまめな男性で手紙や贈り物は欠かさず、仕事の合間を縫ってはディアナと会う機会を設けてくれた。
会う回数が増すごとにに緊張は解けてきてはいるが、近くで見るとまだ動悸が激しくなってしまうこともある。しかし、彼の持つ柔らかい雰囲気は一緒にいるだけで心地よい。「風が暖かくなって来たね」だとか「花が綺麗だね」だとか、それがどんなに些細なことでもディアナに話してくれ、そのたびにディアナは笑ってうなずく。彼と同じ景色を見て、同じ気持ちでいるのだと思うと、とても嬉しかった。
◆◆◆
ディアナの末の妹リリアナも、アレンの人当たりの良さには安心できるようで、きょうだいの中で特によく彼に懐いた。ルシエント家の年の離れた長兄は豪快な気性の持ち主だ。兄としては末っ子可愛さあまりなのだが、リリアナにとっては頭をぐりぐりと乱暴に撫でられたり突然肩車されたりと、荒々しい愛情表現に少々辟易していたようだ。優しいアレンが義兄になることが、よっぽど嬉しかったのだろう。
今日はそんなリリアナのかねてからの望み『アレンお兄さまとのお茶会』が叶い、三人で卓を囲んで各方面から取り寄せた茶葉を楽しんでいた。
アレンの誕生日から家族構成、好きな食べもの嫌いな食べもの、根ほり葉ほり聞くリリアナに、彼は嫌な顔ひとつせず答えた。一通りの質問攻めが終わったあと、リリアナは甘い焼き菓子を口にし、つやつやの頬をさらに輝かせて嬉しそうに言う。
「来月はわたしの誕生日のパーティがあるの。ディアナお姉さまはもちろんだけど、アレンお兄さまも絶対にいらしてね」
「ああ。もちろん楽しみにしているよ」
「リリアナ、またはしゃぎすぎて風邪をひかないようにね」
「わかっていますよー、だ」
リリアナは何か行事があると全力で楽しみにしすぎて、知恵熱のようなものを出すことがしょっちゅうあった。先日のディアナの誕生日パーティのときも、高熱を出してしまったのだ。
「そういえば、ディアナの誕生日は終わったばかりだったよね。来年は一緒に祝おう」
「え? あ、ありがとうございます」
自分の誕生日のことを言った覚えはないのだったが、アレンのとびきり優しい眼差しを受けて、いつものようにディアナの鼓動が高鳴った。そんな見つめ合う二人に、頬に手をあてた夢見るような表情の六歳児は質問を投げかける。
「アレンお兄さまとディアナお姉さま、ほんとうにお似合い。ため息がでちゃう。ねえお兄さま、お姉さまのどこが一番好き?」
「リリアナ……! やめてちょうだい」
ディアナは慌てて止めたが、アレンは間髪入れずに答える。
「ディアナのことは全部好きだけど、一番は、そうだな、うーん。優しいし、意外としっかりしているし、一緒にいるだけで、なんだか幸せになれるところかな。あと、可愛い。ああ、一番がたくさんになってしまったね。僕はディアナに出会えて、本当に運命に感謝してるんだ」
きゃあ、と両手で覆った顔を左右に振るリリアナを見て、自分も同じように顔を隠してしまいたい、とディアナは切に思った。運命という言葉をアレンはしばしば口にするが、なんだかこそばゆくそのたびに胸がつまって呼吸が苦しくなる。耳まで赤く染まって俯くディアナをアレンはただ見つめつづける。結構な時間がたち、顔を上げたリリアナが不思議そうに言った。
「お二人とも、固まっちゃってる」
「アレンさま。あ、あまり見つめないでください。みっともない顔をしているので」
アレンは言われたとおりに視線をはずした。
「ごめん、ディアナがあんまり可愛いから、いつもつい見とれっぱなしになってしまう。呆れられないか、そろそろ心配になってきた」
彼の真剣な声音に、ディアナはあらためてアレンと向かい合った。冗談に聞こえそうな彼の台詞はよく聞けば、本気で言っているのだと分かってきた。こんな時、いつも彼は自信なさげな、まるで迷子のような顔をしている。そのたびにディアナは全力で励まさずにはいられないのだ。
「ただ恥ずかしかっただけです。呆れるわけありません。私はあなたの傍にいられるだけで幸せなのですから」
「わたしは、ちょっと呆れてきてしまったかも……」
その様子を見ていた幼い妹は、再びぴっちりと顔を覆った。




