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運命の始まり

 ディアナは目の前に広がる光景を、どこか諦めに似た気持ちを持って、ただ眺めていた。

 驚いたように目を瞠る婚約者の横顔。彼の美しい琥珀色の瞳が優しげな風貌の令嬢を映し、彼女も切なげな表情で彼を見上げる。薔薇が咲き乱れる庭園で、二人が見つめ合う姿はまるで一枚の絵画のようだ。


「君が、僕の――?」


 問いかけに、令嬢がゆっくりとうなずいた。

 風が花を揺らし、舞い散ちらされたとりどりの花びらは、「運命」が彼らを祝福しているかのように見える。


 耐えきれず、ディアナはそっと視線を落とした。


 彼と一緒に過ごした日々が、鮮やかに脳裏に浮かぶ。あの瞳がかつて自分に向けられていたこと、二人一緒に笑い合ったこと、彼がディアナを運命の人と言ってくれたこと。きつく噛みしめた唇が痛かった。


◆◆◆


 二人の出会いは三ヶ月ほど前、ディアナが十六歳の誕生日を迎えた直後のことだった。父親であるルシエント伯爵と一緒に、社交界デビュー後初めて高位貴族主催の夜会に行ったあの日。着飾った紳士淑女が行き交うきらびやかな様子にディアナは圧倒され、半ば伯爵の後ろに隠れるようにそっとホールを見回すしかなかった。

 さんざめく会場内で、ディアナの目線はある一点から離れられなくなった。まるでその人の周りだけが一際輝いているよう。照明の光を浴びきらめく金髪、貴公子を絵に描いたような繊細な美貌なのに、笑うと屈託のない感じが素敵だ。

 そんな様子に気づいたのだろう、娘が眩しそうに見つめている先を父も追いかけ、そして教えてくれる。彼の名前はアレン・ロンシーヴ、数々の功績を残してきた武門の名家、ロンシーヴ伯爵家の三男。父や兄たちは軍部の中枢へ仕えている中では異色だが財政省に務め、年はディアナの三つ上だという。


「そうですか……」


 ディアナはそれだけぽつりと答えた。引っ込み思案な自分とは縁のない遠い存在だと思った。美しい顔立ち、立ち姿はもちろん、ふとした動作ですら洗練されていて、ディアナの口からはため息が自然とこぼれてしまう。そのとき、不意に多くの人に囲まれ話していた彼がこちらを向き、視線が合った気がした。不躾に見すぎていたのかもしれない、とディアナが慌てて目を逸らしたとき、


「閣下、お久ぶりでございます。ディアナ! お誕生日おめでとう。パーティに行けなくてごめんね」


 かけられた声に振り向くと、親同士も仲が良く普段から親しくしているギルフォード子爵令嬢エリーゼが立っていた。彼女は先日婚約が決まったばかりで、幸せな空気も相まって輝かんばかりの美しさだ。ディアナと二歳しか違わないのに、とても大人に見える。


「どうしたの? ぼうっとして」


 ディアナの父親とそつなく会話していた彼女が、明るく笑いかけた。


「ディアナ、その水色のドレスとっても可愛らしいわ。すごく似合ってる」

「エリーゼこそ相変わらず素敵。今日のドレスの色も、この前言っていた花びら占いの幸運色?」

「ふふ、あれはね、もうおしまい。飽きてしまったの。今日はね、頭文字占いの幸運色!」


 エリーゼは占いに目がないが飽きっぽく、様々なものに手を出しては離れ、会うたびに信じるものが変わっているのもよくある話だった。


「頭文字占い? 今度、私にも詳しく教えてね」

「もちろんよ。それで聞いて。その占いのおかげで、イーサンさまがね」


 近況報告に花を咲かせていると、ディアナは父伯爵が近くからいなくなっているのに気が付いた。不安な様子だったディアナが友人と談笑しているのに安心して離れて行ったのだろう。

 目線で父親を追うと、それに気付いたエリーゼが苦笑する。


「ディアナったら。大丈夫よ! 私がそばにいるんだから」

「ええ、大丈夫。でも私、場違いなんじゃないかって先ほどからすごく心配になってしまって」


 周りでは年頃の男女が楽しげに各々の会話に興じている。ディアナが目を奪われた男性、アレン・ロンシーヴも艶やかな令嬢たちと、ほほえみを浮かべ話をしていた。ディアナといえば、デビュー後間もないとはいえ父の後ろについて回るばかりで、気の利いた会話なんてできそうにもない。母親が今日のために仕立ててくれた流行のドレスで最低限の体裁は取り繕ってはいるが、どうやっても肉付きの良くならない体は貧相と言わざるを得ないと思っている。周りと比べてしまって不安に駆られたのだ。


「場違いだなんて。もっと自信を持つべきだわ。こんなに素敵になって……ディアナがもう十六だなんて、時がたつのは速いわ」


 エリーゼはディアナの両手を握った。彼女は、小さな頃からディアナの成長をまるで本当の姉のように喜んでくれるのだ。その手の力強さに、ディアナの心もじんわりと暖かくなる。


「どうだった? 昨日の誕生日パーティは素晴らしい時間を過ごせた? イーサンさまのご両親との約束がなければ私も駆けつけられたのだけれど」

「エリーゼ……、ありがとう。ええ、昨日は、遠方から叔父様家族も来てくださって、とても楽しかったわ」

「それはよかった――」


 突然、エリーゼが口を噤み、ディアナの後ろに視線をうつした。つられて振り返ったディアナは息をのんだ。そこにはつい先ほど、見惚れてしまった貴公子、アレン・ロンシーヴその人が立っていたのだ。


「まあ、アレンさま。ご機嫌麗しゅう」

「ご機嫌ようエリーゼ。また近々寄せてもらうよ」


 気安い笑みを寄越すアレンに、それが向けられた先は自分ではないと分かっているのに、ディアナの頬は赤く染まった。

 エリーゼがはきはきとお互いを紹介してくれる。聞けばエリーゼの兄とアレンは学生時代の友人で、家を行き来するほどの仲らしい。

 そんな説明を聞きながら、ディアナは自分の乱れる鼓動をうるさいくらいに感じていた。涼やかで耳に心地よい声。さきほどの距離では気付かなかったが、瞳は琥珀色で、その奥に星さえきらめいているように見える。


「エリーゼ、彼女を少し連れていってもいいかな。レディ・ディアナ・ルシエント。一曲、僕と踊っていただけませんか」


 その星を宿した瞳がディアナを真正面からとらえた。思考も体の動きも完全に止まってしまったディアナは、エリーゼに肘でそっとつつかれ我に返る。


「え……。あ、あ、はい。私でよければ、喜んで」


 蚊の鳴くような声しか出なかった。しかし周囲のざわめきの中でもそれはしっかり彼の耳に届いたようで、アレンの顔には喜色が浮かんだ。


◆◆◆


 夢のようなひと時だった。アレンにリードされ、ワルツのステップを踏む。得意ではなかったダンスの授業も、今日こうやって何とか踊ることができているのだから、無駄ではなかった。間近で彼を直視したら卒倒してしまうのではないか、と本気で心配だったが、倒れたらこの時間が終わってしまう、と思うと逆に気が引き締まるのだった。   


「きれいな瞳ですね」


 ぎこちない動きで踊っている最中に、不意にかけられた言葉。母譲りの澄んだ水色の瞳は、小さな頃からよく褒められたものだった。しかし、慣れているはずの褒め言葉も、アレンに言われると、嬉しさと恥ずかしさで頭が破裂しそうになった。


「ありがとう、ございます」


 自分の抑揚のない声がどこか遠くから聞こえる。

 

 ――その琥珀色の瞳だって、綺麗です。まるで星が瞬いているみたいで――。

 そんな風に言えたらどんなにいいだろう。けれど臆病なディアナの口は滑らかには動いてくれず、何の飾り気もない言葉しか出てこなかった。それどころか、アレンの言葉によって意識しないようにしていた、距離の近さや繋がれた手の感触を痛いほどに感じてしまい、ディアナは動揺した。途端に、手の隙間から水がこぼれるように、ワルツの踊り方が頭の中から消えていく。そこからはもう全く駄目で、お互いの動きが合わずに体はぶつかり、転びそうになり、何度も足を踏んでしまう。

 アレンの足を踏むたびに彼は「こちらこそすまない」と心底申し訳なさそうに謝った。居たたまれなさと自分の出来の悪さにこぼれそうになる涙をこらえながら、何とか踊り終えた。悲壮な顔をするディアナに、しかしアレンはそれ以上の憂い顔で意外なことを口にしたのだった。


「実は、僕はダンスはあまり得意ではなくて。君に負担をかけてしまったかもしれない」

「そんなことありません。アレンさまのリードがなかったら、もっとひどいことに」


 なんでも完璧にこなしてしまいそうで、しかも女性から引く手数多であろうアレンがダンスに慣れていないはずがない。みっともない、ダンスもろくできない、アレンさまはなぜあんな冴えない子を――。先ほどから耳に届く周囲の令嬢たちの囁き声もあり、気遣って言ってくれたのだろう、とディアナは自分が情けなくもあり、同時にアレンのやさしさに心を打たれた。


 それから数日間も、アレンのことを思い出してはディアナは余韻にひたっていた。あの日のわずかな時間のふれあいで、ディアナはすっかりアレンの虜だった。とはいえ、あの美貌に家柄、加えて穏やかで優しい心の持ち主である彼の心を射止めたいと願う令嬢は山ほどいるだろう。エリーゼから、アレンが女性をダンスに誘うなんて今までなかったことだ、とは聞いたけれど、終始赤い顔で戸惑うばかりだった自分がアレンの目に留まるなどと考えもしなかったのに。

 次に会ったとき、親しげに話しかけられたことに心を高鳴らせてはいたものの、まさか三度目に夜会で顔を合わせたとき、突然に結婚を申し込まれようとは思いもしなかった。ディアナはそのとき一切の動きが停止してしまい、反応を待つアレンも同じく微動だにせず固まっていて、二人して石像のようだ、と遠くで見ていたエリーゼに後で笑われた。

 ディアナはそれ以来、自分の頬をつまむのが癖になる。これは夢なのだろうか。最悪夢でも醒めなければ、それでいい。しかし頬の痛みはこれは現実なのだとしっかり教えてくれたのだった。

 

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