10月、彼の語る過去
「君がフィー・レッダ?初めまして、私はハルド・ファエラ。良ければ話し相手になってくれないかな。」
春の空を切り取ったような青の瞳に、対照的な赤みの強い橙の髪。遠目にもハッと目を引くような、どこか中性的な儚さを纏った人だった。
「本当はね、いけない事なんだろうけれど…私は養子だから、家名で呼ばれることに慣れていないんだ。」
だから名前で呼び合おう、そう悪戯っぽく笑う姿は、フィーにとって、普段の彼より何倍も輝いて見えた。養子とはいえ侯爵家の人間が、どうして自分なんかに興味を持ったのか、フィーには全く心当たりなど無かったが、気が付けば差し出された右手を取っていた。
ハルドと行動を共にするようになってからは、同じ年とは思えない冷静な考え方と、フィーにはどうしてそうなったのか理解の追いつかないような突拍子もない考え方のギャップに振り回された。けれど、フィーはそれを楽しんでいる自分が居ることに気が付いた。そして、そんな彼と対等に渡り合いたいと思ったのだ。
ハルドには変に鈍いところがあって、それが却って彼に人間らしさを与えていた。けれど自分の傷や負荷にも無頓着であったから、自然とフィーはハルドを癒し、助けになりたいと思うようになった。彼と仲の良いルカでは、出来ない事だろうから。
そうやって一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年も過ぎるうち、体つきが男性らしくなっていくにつれ、フィーは父親からきつく当たられることが増えた。己が妻の面影が息子から薄れていくことに、酷く怯えていたのだ。父親はフィーに、妻のように嫋やかで美しくある事を求めた。
好都合だ。
心の底でささやく声が、その時のフィーには聞こえた。
いつからなのか、きっかけは何だったのか。はっきりこれと言えるものは無いが、彼の心には確かにハルドに対する恋慕の情があった。
自分でもどうかしていると思った。けれど、その時に彼は閃いてしまったのだ。
1人を除いて男しかいないあの学園でなら、女性らしく振る舞えば、もしかしたら彼の気を引けるかもしれない。
幸い、唯一の女子生徒であるルミィとは友好な関係だった。彼女とその侍女を手本にすれば、演じることも難しくないように思えた。
そこからフィーは身嗜みに気を遣い、言葉遣いを少しずつ変えていった。けれどハルドの態度は悪い方にも、良い方にも変わらなかった。やはりだめなのかと諦めがフィーの心に溜まっていく反面、どうして気付かないのかと憤りが生まれてきた頃、それは起きた。
「ハルド・ファエラはある目的の為にお前を利用しているだけだよ。騙されて、可哀相に。」
そう言って笑う生徒が居たのだ。加虐と愉悦の映る紫の瞳が、フィーにはこの上なく恐ろしく見えた。フィー自身が頭のどこかで疑問に思っていたことを、ずばり当てられたからかもしれない。だからきっと、その時のフィーは冷静でなかった。でなければ、否定の言葉を欲してハルドに詰め寄るなんてことはしなかっただろう。
そして、その必死さこそが、ハルドに諦念を抱かせ、真実を語らせたのだった。
ハルドがフィーに近付いたのは、ハルドが兄と慕うディン・ファエラの目の怪我を治させるため。そう明かされたフィーは、もちろん憤慨した。けれど時間が経つにつれ気持ちが落ち着いてくると、ある考えが浮かんできた。
これを逆手にとって、自分に都合のいいような状況に出来ないか。
思い返せば全く気持ちは落ち着いていなかったし、むしろ感情が変な方向へ振り切れていたのだろうけれど、恋は盲目とはよく言ったもので。さらに言えば、物心のついた時から父親の歪んだ愛情を受けて育ったフィー自身もまた、ある種の歪みを抱えていることにまだ気付いていなかった。
「ねえ、それなら、アタシも協力してほしい事があるの。それでお相子にしない?」
フィーの提案に、ハルドは心底救われたように笑った。フィーが詳しい事情を知る由も無かったのだが、ハルドにとっての唯一の希望が繋ぎ留められたのだ。
そのあまりにも人間味の感じられない笑顔に、フィーは何か言い表せられないものを感じたものの、案の定それは形になる前に消えてしまう。そしてフィーには、その違和感の正体を探すよりも優先すべきことがあった。
気を取り直して、実は、と父親の話を切り出せば、ハルドはすべて心得ているとでも言うように頷いた。
それから、何日か経った頃。
黒の日の午後だった。フィーがお気に入りのガゼボで過ごしている所に、ハルドが飛び込んできたのだ。
「フィー、フィーどうしよう、兄様が、私、フィーに、フィーがせっかく、どうしよう、ダメだって、そんな、」
普段のハルドからは想像もできない姿だった。失意と困惑と動揺。それらがありありと見て取れた。フィーがなだめようと声をかけるも届かないようで、どうしよう、どうして、とばかり繰り返すハルド。
どうにか聞き出したのは、一言。
「兄様が、治療、受けないって、」
ああ、この子は、囚われている。
フィーは唐突に理解した。
ハルドが過去に、何かの出来事に、囚われていると。消す事の出来ない過去を、無理やり上書きしようとしているのだと。そうやって、フィーの袖に取り縋るようにしてどうにか立っているハルドは、フィー自身と重なって見えた。
そう。だから、どうしようもなく惹かれたのだと。似ていたから、彼を愛することで、自分も救われたかったのだと。
「…馬鹿ね。」
霧が晴れた様な気分だった。或いは、夢から覚めた様な。
利用したと言うなら、それはフィーも同じだったのだ。けれど、それでも。こうして自覚した今となっても。目の前の彼を変わらず愛おしく思うのは、何故だろう。そう思って、否と内心で首を振る。変わってはいるのだ。今までよりも、もっとシンプルで穏やかなものに。
「ハルド、まずは座りましょう?お茶を淹れるわ。」
気付かれずとも、実らなくとも。ただこの子の笑顔の傍に寄り添っていたい。そして、望むのであれば、その笑顔が、フィー自身によって咲かせたものであればと。
少なくとも、負い目に付け込んで自分に縛り付けようなどと、フィーにはもう思えなくなっていた。
「ねえ、ゆっくり考えましょう?きっとアタシ達、急ぎ過ぎちゃったのよ。」
そのためにも、父親との関係は自分自身で変えていかねばならない。フィーは心の内でそっと決心したのだった。




