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攻略対象の事情。  作者: 冬晶
ルナ・グレイスコールという私
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10月、所長室

 

 ゆらり。絹のような湯気を生み出す注がれた琥珀色。私が普段飲んでいる物より赤みが弱いだろうか。香りもどこか瑞々しく、なるほど朝にはぴったりの紅茶と言える。

 それぞれがカップを手に取る様子を見渡した所長が、一拍おいて口を開く。


「…何か訊きたそうね、レッダ?」


 名指しされたフィーはいくらか躊躇った後、この場で言う事ではないのですが、と前置いて、


「ハルドが、もともとルナ・グレイスコールだったと聞いて…一体どういう意味なのだろうかと。」


 それを受けて、所長はあら、と小首をかしげる。


「ルナ、貴女きちんと話していなかったの?」


 咎める、と言うよりは意外、という表情だろうか。ううん、あまりうまい運び方ではなかったかな、なんて思いながらひょいと肩を竦めてみせる。


「途中だったんですよ。所長から言っていただく方が変な誤解を招かずに済むかと思いまして。」


 そう言うと、所長はそう、とひとつ頷く。ではどこまで話したのかと問われたので、さっきの話をかいつまんで述べる。所長はまたひとつ頷いて、少し考えるように視線を滑らせてから口を開いた。


「…そうね。グレイスコールの双子は優秀だと、皇館には知れ渡っていたから、二人を同時に入所させることはできなかった。だからグレイスコール公は慣習を逆手に取り、貴女をファエラとして入所させることにした。ファエラ家の存亡も決めあぐねているままだったから、議会にとっても都合がよかったのね。」


 取り潰しにはしたくないが、かといって縁付くにはリスクが高い。そこでグレイスコールから養子に入れば、形だけでもグレイスコールの政治的影響力は削がれ、ファエラの侯爵家としての品位は保たれる。それで不都合が起きても堂々と責任を問える相手が出来る。という所だろうか。ルカがツッコんでこないからたぶん合ってるのだろう。

 心の内でふむふむと頷いていると、けれどね、と所長が言う。それを良しとしない者もいた、と。


「他ならぬピンクドラウト公よ。」


 当主として立つに際して必要な、公爵家独自の習わしやその手順。前当主の急逝により大部分が中途半端なまま滞ってしまったそれらに、父様は助力を惜しまなかったそうだ。それを大変な恩義に感じているピンクドラウト公は、私が身分を落として生活することを心苦しく思い、せめて将来の選択肢を残してやってはどうかと訴えたらしい。

 …実際の所、私が駄々をこねて父様を振り回していただけなのだけれど、まあ、そこは、父様が都合のいいように話を整えたのだろう。大人の世界ってこわい。


「公自らの訴えともあって、それは受け入れられたわ。その結果、ルナ・グレイスコールは姿と呼ばれ名を変えて入所はするものの、籍は変わらず、卒業する際にどちらを取るかを本人の意思で決めることとなった。」


 だから入所時から、生徒名簿にはルナ・グレイスコールとして登録されているのよ。そう締めて所長はカップを傾けた。


「…シエラテンプス領の寄宿学校に通うというのも、その為の布石だったのか。」


 ほとんど確認のようなイメラからの問いに、そのようですねと答える。訝しげに見られたので、私も知ったのはつい二か月前の事だと素直に言えば、彼は何とも言えない顔になった。しいて言うなれば、何考えてんだあの人…と驚くやら呆れるやらで思わず額に手を当てるような、そんな顔。


「想定外の出来事のせいで、父様たちの考えていたより早く決断の時が来たのですが、私は、ルナ・グレイスコールとしてこの中央魔術園を卒業することを選択しました。これを公表するのはもう少し後に予定していましたが…」


 まあ、想定外の出来事なんて割とよく起こるものですよね。と笑えば、ルカが半目でここまで劇的な想定外割とよくあって堪るかと訴えてくる。いやいやほら、人生は小説よりもと言うじゃないか。


「ですので、私が姿と本籍を明かしても、手続き的には何の問題も無いのですよ。」


 お分かりいただけましたか、と笑んで締めれば、フィーが、あの親にしてってところね、と溜め息を吐く。ええ、酷いなぁ私まだあんな腹の底が見えないようなキャラじゃないって。

 そんな私たちのやり取りを見て、そしてルミィの様子を窺うように見遣って、所長はカップを置いた。


「…では、残っている問題を片付けましょうか。」


 まず、昨日起きた婦女暴行未遂。いやもうアレ未遂のレベルじゃないだろと思うけれど、そこを騒ぎ立てるとルミィの評判に関わってくるので我慢。これについては、私が歪曲して公言したため、学園側から改めてアナウンスすることは無いとのこと。


「…そのような卑劣な行為を、見逃すというのですか。」

「エザフォスティマ、気持ちは解りますが堪えなさい。改めて公表して、エディスに益がありますか?」

「それに、今朝のアレ見てほとんどが察したでしょ。実際の所何があったかなんてさ。」


 そして、その共同正犯者三名については、今年度で強制卒業(たいがく)が決定したそうだ。さらに、今朝の呼び掛けに自ら応じなかった場合は除名処分となると。被害者本人であるルミィからの直訴ならばもっと大々的に処罰が下せたが、訴えの元が私である以上、即時退学にはできないのだそうだ。

 ちなみにあの三人の身元は昨日のうちに特定済みだったりする。あれだけばっちりお顔を拝ませてもらったのだから、割り出すのは簡単だったのだ。


「自ら名乗り出た場合はその日のうちに。そうでなければ来月、昇級試験結果の発表と同時に実名を公表します。」


 にっこりと笑う所長から、二月の終業式まで針の筵ですわね、なんて聞こえた気がしたのは私だけではあるまい。


「ですが、今年度残りおよそ二ヶ月、彼らがどういった行動に出るか解りません。特にルナ、貴女には。くれぐれも用心すること。状況を作り上げた責任はきちんとお取りなさい。」


 向けられたエメラルドを挑むように見返して、承知していますと答える。これでも腹は括ったつもりだ。三人分の将来を踏み潰して、それでも平然と生きて往くと。


「…そう。では、この話はこれで全てとします。ルナとエディスは残って頂戴。」


 フィーやイメラはまだ何か言いたげだったけれども、所長に促されるまま席を立った。ルカは大体予想がついていたのだろう。特段反応を残すでもなく部屋を出る。兄様は兄様でこれまた何か言いたそうな顔をしていたけれど、結局溜め息に変わったようだった。

 そうして兄様が扉をくぐったのと入れ替わる様に、今度はメイアが入ってくる。彼女は何やら大きなカートを押していて、その表情は心なしか輝いているような…


「貴女の制服を急いで仕立てさせたの。」


 そう言う所長に、メイアの態度の合点がいく。あれは新しい服を着せたがる母様の笑顔に似てるんだ。

 いそいそと衝立やら踏み台やらと場を整えていくメイアを見て、脳裏に過去の光景がふっと過ぎるが、しかしこの場合は制服なのだからあんな着せ替えショーにはなるまいと心を持ち直す。


「…ごめん。」


 そんな中で、隣に座るルミィが呟いた。


「なにに対して?」

「今回の事、私、何もしてない…守ってもらってばかりで、迷惑かけて…!」

「ルミィは、巻き込まれただけだよ。ハルドを疎ましく思ってた奴に、利用されただけ。」


 主犯のあの生徒にしてみれば、将来のための手札を揃える一環だったのだろう。彼のしたことは、まあ間違いともいえない。自分が有利に立ち回るために恩を売るか弱みを握るかしようとするのは、貴族社会を生きる上での必然ではあるのだから。

 ただ今回目を付けた“付け込む弱み”だと思って握ったのが、眠れる獅子の尾だった。彼にはそれを見分ける目がなかった。さらにやり方も雑で、果てに詰めも甘かった。だから彼は報復を受ける羽目になった。それだけだ。


「謝らないといけないのは私の方。ごめんねルミィ、私が自分の立ち位置をきちんと把握できてなかったせいで、怖い思いをさせた。」

「でも、それだって私がハルドと仲良くしてたから誤解されて、ルナは助けてくれたのに、こんな、逆恨みなんて、」


 言葉に出来ない感情を、それでもルミィは形にしようとしてくれる。それは喜ばしい事だけれど、しかしこの場合はどうにも平行線をたどるばかりのようだ。互いが互いの問題に相手を引きずり込んだと思っているこの状況では。


「…じゃあルミィ、こうしよう。」


 両手を握り込んで俯いてしまった彼女の視線を取り戻すように、ぴ、と人差し指を立てて言う。


「“ハルディナ・グレイスコールは、その真名を以て貴公の謝罪を受け入れる。私は之を赦し、以後追求しないものとする。”」


 さすがに予想外だったのか、ぱっと顔を上げたルミィはその大きな瞳を瞬かせる。返答を促すようにじっとそれを見つめれば、しばしうろうろと彷徨った後、


「“アルテミア・エディスは、貴公のご宥恕(ゆうじょ)この身に有難い事と感謝いたします。またその真名を以て、頂いたご高配を無下にする事のないよう努め申し上げます。”」

「よし。もうこれでお互いこの件については水に流したとして。これからを考えよう。ね?」

「うう…先に折れるのはずるいよ…」


 ルミィがへたりと眉を下げたところで、準備が整ったのかメイアから声がかかる。呼ばれるままに衝立の内側に入る寸前、ちらとソファを振り返れば、にこやかな所長とルミィがなにやら言葉を交わしていた。きっと所長ならうまくルミィを言いくるめてくれるだろう。そう安心して、メイアに向き直った。


「さ、お嬢様。これでやぁっと思う存分お嬢様を磨いて差し上げられますわ。」

「…オテヤワラカニオネガイシマス。」


 メイアのその笑顔に、そっと顔を背けたくなった。




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