10月、昇降口前広場‐2
さぁっ、と声を乗せた風が吹き抜ける。その余韻を追うように、今一度周囲をぐるりと見渡して。さて、この格好で淑女の礼は滑稽だけれども、だからとこのまま場を辞すのも無礼。一拍、考えに使って右足を引き、簡単に礼の形をとる。
「…では、これにて。」
口角を持ち上げ笑んで見せて、校舎へ進む。申し合わせた訳でもないのにルカが隣に付く。そのまま足を進めれば、私達の通り過ぎたところからざわめきが生まれていくのが何だかひどく心地よかった。
「えげつないことするわねアンタ。」
「うん?」
数歩遅れて追いついてきたフィーが呆れ顔で呟く。
「あんな言い方、アチェアロの半分は容疑者だって言ってるようなものじゃない…替え玉でも出されたらどうするのよ。」
「そうしたら完全に処罰の対象だろうね。今はまだ生徒同士のちょっとしたいざこざで済ませられるけど。」
あー怖い怖い、とルカは肩を竦める。そう。これで大人しく出頭すれば、喧嘩両成敗で済む。彼らがこの先貴族社会で半永久的に冷遇されるだけだ。
けれど、もし名乗り出なかったら。公爵家のご機嫌を損ねたら。特に、挙げた特徴に引っ掛かる者にとっては笑い事じゃない。手違いで、或いは生贄として差し出されては堪ったものじゃないだろう。
だからきっと、彼らはとても積極的に協力してくれる。うまくいけばグレイスコールに恩を売れるのだから、なおさら。
「我が身可愛さにか、功を急いてか。違う奴出してくるのも居るだろうけど、どうせ正確に覚えてるんでしょ?」
視線で問うルカににこりと笑って返して。
実の所どっちに転んでもいいのだ。ああして宣言した時点で、その三人がグレイスコールに喧嘩を売ったことが知れ渡った。認めようが、逃げようが、彼らに付いた不敬愚者のレッテルは剥がしようがなくなったのだから。
その上で、生贄を立てようものなら。当事者以外を巻き込むのなら、それはもう喧嘩ではなくなる。許しがたい策略だ。堂々と処罰できる。
そもそも、先に手を出したのが向こうで、相手が私であった時点で向こうに勝ち目など無いのだ。ルミィを殺して私も半殺しにして、極限の恐怖で支配しようとされれば、もしかしたら判らなかったかもしれないけれど。
「で、でも!あんなことして、ハルド…ルナは、大丈夫なの…?」
ぱたぱたと追い駆けてきたルミィに、足を止めて振り返れば。その後ろには意外にもイメラを伴っていた。
「…そうだね、どう説明しようか……」
彼まで追いついてくるのを待って、再び踵を返す。向かう先は所長の元だ。
「…私は、私の我儘を叶えるために此処に入った。その際に父から提示された条件は、全くの別人として、身分も名前も性別さえ偽って生活すること。」
けれど、果たして、本当に。そんなことがこの皇族の御膝元で可能なのだろうか?況して、私に掛けられていた魔法は公式に記録されているのだ。閲覧できる者は限られているが、だからと言って調べようと思えば不可能なことでもない。生徒はまだしも教諭陣、或いは親たち。その誰もが疑問に思うことは無かったのだろうか?
まさか。そんなはずはない。
「…それなら、どうして。」
「逆だったんだよ。周囲を欺くために偽ったのではなく、納得させるために偽る必要があったんだ。」
入園条件が年齢できっちり線引きされていないこの学園で、同学年に同じ家の者が多数在籍していたら。そしてそれが地位の高い家だったら。その誰もが優れた能力を有していたら。J以上の階級の定員はそれぞれ片手で足りる程だというのに。
そんな上位階級の独占を防ぐために、暗黙の了解として公爵家や王族の慣習というものが存在するのだそうだ。即ち、一学年に在籍するのは各家ひとりまでにしようと。
だから、納得させる必要があった。そこまでするなら仕方ないな、と思わせる必要があった。
「…待って頂戴。」
「はい、フィー。」
「それじゃあ、大人たちは…皆納得ずくだったってこと…?」
「全員かどうかは判らないけれど、少なくとも転換と抑制の二重魔法の使用申請は問題なく通ったね。」
あれだけとんとん拍子に事が進んだのには、そういう訳もあったのだろう。私がそれを知ったのはつい二か月前のことなのだけども、私の正体など、最初から教諭陣の中ではいわば公然の秘密だったのだ。
「だがそうなると、姿を明かすのはむしろ下策ではないのか。」
思っても見なかった声に、思わず足を止めて振り向く。
「…なんだ。」
「いえ、エザフォスティマ様からそのようなお言葉を頂くとは思いも寄らず。」
「……言いたいことは山とあるがな、オレが友人の身も案じないような人間だと思っているのか。」
ゆうじん。ぽかりと反芻した言葉はどうやら音になっていたようで、彼は大仰に溜め息を吐く。
「なんだ。」
「あー、いえ、いや…友人、そっか、」
隣でルカが意地の悪い笑みを浮かべているのが解る。良かったね、ってか。うるさいうるさい、喋ってないけど!
緩む口元を隠すように、誤魔化すように再び、足早に所長室へと歩き出す。私も気持ちを落ち着けようと、一度大きく息を吐く。
「それで、ええと…姿については、実は何の問題も無いんです。」
いくつか廊下を曲がって、教室棟を抜け、渡り廊下を進んで、特殊科目棟の端。一見何ともない木製のドアを、規定回数。決まったリズムで叩けば所長室に繋がる。
「私は最初から、ルナ・グレイスコールだったんですよ。」
ドアを開いたその先は、応接室と表せば一番伝わりやすいだろうか。
大きな革張りのソファに、磨き抜かれたマホガニーのテーブル。絨毯は繊細な模様を描きあげ、飾り棚は優美な匠意を誇る。そして、正面に設けられた大きなガラス窓の脇。ドアのほぼ対角線上に置かれているデスクも、おそらくマホガニー。アンティーク調でありながら機能性にも優れる洗練されたデザインは、それを使う者をまさしく表していた。
「御機嫌よう、みなさん。」
深緑の瞳をゆるり和ませ、所長は泰然と笑む。それに応えようとして、デスクの傍らに立つ人と目が合う。
「お早う御座います、所長、ディン兄様。」
にこりと笑えば兄様はわずか目を見開いて、それから溜め息を吐いた。わぁ呆れられてる。
それぞれ礼をとって、招かれるままにデスクの前に並ぶ。
「朝から興味深いお話を聞かせてもらいましたわ。」
「おやお恥ずかしい。ここまで聞こえておりましたか。」
にこり、にこり。笑顔で見つめあうこと暫し。折れたのは所長の方だった。
「…取り決め通り、女性寮に貴女の部屋を用意させたわ。今メイアに整えてもらっている所よ。」
「ありがとうございます。」
「それから…そうね、事の次第を説明しましょう。エディス、いいかしら?」
急に水を向けられたからか、それとも別の意味でか。びくりと肩を揺らしたルミィは、けれど何度か大きく呼吸を繰り返し、やがてはい、と小さく頷いた。
それを受けた所長が、一限は私が免除しましょう、と手元のベルを振る。ちりりん、とガラスの澄んだ音がして間もなく、ドアがノックされ人数分の紅茶が運ばれてきたのだった。




