10月、昇降口前広場
「…ええ、そうね。その程度なら何の問題も無いわ。」
所長の表情は“何の問題も無い”からはかけ離れていたけれど。
「血によって引き継がれる特性があるとしたら…貴方は間違いなくヘルバグラスティの女ね。」
見たことも無いほど綺麗に笑っているわ、と彼女は目を伏せたのだった。
そうして、翌朝。いつも通りにメイアに紅茶をもらって、朝食を摂って。女性寮にルミィを迎えに行ったけれど既に出た後だと言われ。
一抹の不安を覚えながらも校舎へ向かう道すがら、ルカには昨日の経緯とこれからの予定を話す。案の定ドン引きされた。えげつない、と言いたげなルカを笑顔で黙殺して、ふと視線を上げれば昇降口前の広場がやけに騒がしいことに気付く。
いや、騒がしいと言うのは少し語弊があるか。確かに常にない程の人口密度だし、人だかりにはなっているものの声を荒げる者は居ない。それぞれが交わす囁きが、小波のようにその場を満たしていた。
誰もが歩調を緩める中で、私とルカは目配せ合うと足早にその中心へと進む。
果たして、そこにはルミィの姿があった。
石畳に座り込み、見たくない、聞きたくないと言わんばかりに目も耳も塞ぎ、微かに震えていた。ああ、と溜め息が漏れる。やはり昨日あんなことがあって、男ばかりのこの空間に平気でいられるわけがないのだ。向かい合うように膝をついて、イメラが必死に呼びかけているものの、今の彼女には逆効果だろう。
「…エザフォスティマ殿。」
「ファエラ…これは、一体どういう事なんだ。彼女になにがあった?」
ルミィが怯えていることは十二分に解っているのだろう。その声は潜められ、彼女を気遣う心が見て取れるほど。けれど私を見る銀の瞳は、滲み出る様な怒りで研ぎ澄まされているかのようだった。私はそれが嬉しくて、思わず頬が緩む。
「…おい。」
さらに鋭くなった目付きが私を射抜く。いやいや申し訳ない、そういう意味で笑ったんじゃないんだよ。緩く首を振って、ルミィの傍らに腰を下ろせば、ものすごく渋々という体で場所を開けてくれた。
「ルミィ、」
彼女の耳を塞ぐ手に力がこもるのが解った。
「…もう、せっかく迎えに行ったのに、先に行っちゃうなんて酷いなぁ。」
あたしの喋り方ってこんなんだったよなと思いながらかけた言葉に、ぴくりとルミィが反応を返す。それは、怯えからくるものではなく。
「昨日の実技の感想とか、試験の結果とか話したかったのにさ。」
「……ぁ、」
「ほらルミィ、教室行こ?まだ授業まで時間あるし。」
「………ハ、ルド。」
「うん。おはよ、ルミィ。」
そろそろと下ろされた両手と逆に上げられた瞼。湖のような瞳は涙を湛え、まだ震えの残る両手が束の間宙を彷徨う。そっと掌を差し伸べると彼女はくしゃりと顔を歪ませ、それでも涙は溢さずに私の手を取った。
「よくここまで一人で来られたね。」
その手を引いて立ち上がらせ、偉い偉いと頭を撫でる。されるがままになっている彼女の制服をぱたぱたと軽く払って、ルミィの顔を覗き込む。
「…ねえルミィ、私、今から余計なことするから、嫌だったら後で怒ってね。」
「……え?」
きょとりと目を瞬かせた拍子に転げ落ちた涙をチーフで拭い、手は握ったままでイメラを呼ぶ。
「エザフォスティマ殿。」
「……なんだ。」
「ご覧の通り私は彼女を泣かせてしまいました。」
「何が言いたい?」
「ルミィを、お願いします。」
「…貴様、泣かせたまま彼女を手放すと言うのか…!」
ああ、この人は、本当に。本当に優しいまま年を重ねている。苛烈とも言える気性は、ゲームの彼には無かったものだ。
「いいえ。もちろん、彼女の傷が癒えるよう尽くします。けれど、私は今までのように彼女を護ることが出来なくなるから。」
怒りと、疑念。それを経て当惑。しばし私の真意を測るかのようにぐっと顰められた眉は、いくらか寄ったまま、けれどルミィに威圧感を与えない程度には緩められて。イメラは一歩、こちらへ歩み寄る。
繋いでいた手を引いてルミィを促せば、こちらも当惑顔ながら恐る恐るイメラに歩み寄った。彼女の手を離してもう一度、頭をぽんと撫でて、踵を返す。校舎に向かって3歩。
「“運べよ風 その身に乗せて この声届け”」
詠唱を口ずさむ。
「この声の届く皆様に、お尋ねしたい!」
ざぁっと、音をたてて、視線が集まってくるようだった。それをある程度待って、再び口を開く。
「このような素晴らしい朝を騒がせる無礼を先ず詫びよう。その上で、さらに厚かましい願いを口にすることをどうか許していただきたい。私は――」
首元に手をかける。それは呆気なく外れる。刹那、視界がぶれる。
「――私は、グラーアル所属階級J、星付き候補を頂いておりますルナ・グレイスコール。公爵家の慣習により、これまで身分と姿を隠しハルド・ファエラと名乗っておりました。」
ざわりと。今度こそ音をたてて空気が揺れた。それがに形になったように風が吹き抜けて、髪を纏めていたリボンをさらっていく。弄ばれて翻るそれは、途中まで地の色をしているのだろう。
「実は、私は今、人を探しております。昨日、とある方々より有難い御忠告を頂きました。非常に身につまされるお話しでしたので、もう一度お会いして直接お礼申し上げたいのですが…」
言いながらゆっくりと群衆を見回す。呆気にとられた顔、訝しげに顰められた顔、様々あるものの皆足を止めている。これは上々だ。
「非常に奥ゆかしく謙虚な方々で、お恥ずかしながら昨日は家名すら頂けず、途方に暮れていたのです。実習着の胸章からアチェアロ所属で、紫の目に茶の髪の方、黄の目に黄の髪の方、銀の目に橙の髪の方。このお三方を探しております。もし、心当たりがおありの方がいらっしゃいましたら、どうか私までご教示頂きたくお願い申し上げます。」




