10月、試験会場‐2
――普段から人通りの少ない建物の陰は、昇級試験の興奮も冷めやらぬ今となっては世界から取り残されたように静まり返っていた。
こんなものに応じる必要はないと、頭のどこかで冷静な自分が言っている気がする。きっと、それが正しいのだと思う。けれど、もし。もし、本当なら。
(確かめないと。)
握り込んだ便箋がかさかさと音をたてる。手が、震えていた。
(確かめ、ないと…!)
緊張か、恐怖か、ぎゅっと目を瞑る。視覚が遮られた分敏感になった聴覚が、こちらへ近づいてくる複数の足音を拾った――
…アレは、何処だ。
控室を飛び出した勢いのまま、試験会場の周りをぐるっと回る。ハズレ。実技棟裏。違う。特殊科目棟裏。居ない!
アレはほぼ強制イベントだ。昇級試験最終日、朝食時に手紙が届く。その内容は開示されないまま、実技披露へ移行する。披露の出来はどうであれ、自分の手番が終わると、ヒロインはどこかへ走り去る。そしてどこか、薄暗い場所に場面が移る。何か大きな建物の陰、足元はあまり整備されておらず草がそこかしこに繁茂している。それは、何処だ。
「“風よ、どうか探しておくれ。あの子をどうか、見付けておくれ。
風よ、どうか教えておくれ。私とあの子を繋いでおくれ。”」
悪態づくのを堪えて詠唱を吐き出す。心中とは裏腹に、空の色は美しく澄んで輝いて、やがて一枚の羽根になる。ふぅわりと煽られるように宙を漂うそれは、しかし自然には無い軌道を描いて私から離れていく。見付けたのだ。
「っ、」
ぎ、と奥歯を噛み締めて、地を蹴る。間に合え。ただそれだけを思って。
ヒロインのピンチに颯爽と駆けつけるヒーロー。さぞかし心躍る展開だろう。これもその類のイベントだ。ルート分岐決定イベントと言ってもいいこれは、その時点で最も愛情度の高い攻略対象が助けに入る。
では今、最もルミィに対して愛情度が高いのは?
交流の密度から見ればフィー、ここしばらくに重きを置くならルカ。さらに最近で見るならイメラも無くはないが…前者二人の割合が圧倒的に高い。けれど。その二人は今控室だ。もしかしたらイメラが向かっているかもしれないし、私の全く予想していない人物が既に彼女を助け出しているかもしれない。
それならそれで一向に構わないのだ。むしろ、そうであってほしいと。そう、強く願うのは、それが起きていないだろうという予想が容易に立ってしまうから。
援軍が喜びを以て迎え入れられるのは、それほど切羽詰った状況だから。颯爽と助けに入るヒーローが格好良く映えるのは、それだけヒロインが窮地に立たされているという事。
空色の羽根はひらりふわりと庭園を漂い、やがて管理用具の仕舞われている倉庫の陰に姿を消す。
それを蹴散らす勢いで回り込み、
「―――!」
「――!――――!」
言葉を、失った。
黒い実習着が四人。一塊になっている。その誰もが大口を開けて、何か言っている。言葉としては聞き取れない。お粗末な防音魔法だ。
「―――!!!」
塊の中心、山吹から銀に抜ける髪を振り乱して、彼女が叫んだのが見えた。
かつん、と音が消えた。その足は確実にそこへ近付くけれど、足音さえ聞こえない。
「…何を、している。」
それなのに、やけに底冷えするような声がする。
「随分と、お楽しみのようだが。」
ああ、私の声か。
「…私にも、教えてくれないか。」
ルミィを後ろから拘束していた男子生徒が、ひっと息を呑んで後ずさる。おい、どうせならその手を離せ。斬るとルミィに血が付くだろ。
見据えると情けないほど震えあがって、手の力を抜く。倒れ込んできたルミィをそっと抱き留める。
「…る、な?」
よしこいつらころそう。
引き裂かれた実習着の前を掻き合わせて、焦点の合わない虚ろな目のまま、彼女が求めたのはハルドではなくルナ。それが、全ての答えだった。
野外実習用のコートを羽織ったままで良かった。ゆっくりとした動作を心がけながら外套を脱いで、ルミィの肩にかける。
「うん。ごめんねルミィ、遅くなって。怖かったね。」
「……ぁ、う、ハルド…?ごめ、わたし、」
「…ううん、大丈夫。助けに来たから、もう、大丈夫。」
極力柔らかい声で話しかけるけれど、それが耳に届く度彼女は身を固くする。腹の奥からせり上がる感情を飲み下し、そっとルミィの目を掌で覆って簡単な魔法で意識を奪う。普段なら眠気を誘う程度のそれが、いとも簡単にルミィの意識を刈り取ったことにまた歯噛みする。
「…退いてくれないか。」
ルミィを抱き上げて視線を上げれば、ついさっきまで塩をかけられたナメクジの様だった男子生徒三人がそこに立っていた。
「一方的に邪魔をしておいて随分な言いぐさだな?ファエラ。」
「…ほう?」
まず最初に口を開いたのは、眼鏡をかけて一見知的な印象を与える真ん中の生徒。山吹の瞳を濁らせている感情が何かなんて知りたくもないが、大体想像できて吐き気がする。こいつがたぶん、主犯。
「このような場所で三人がかり…とても同意の上だとは思えないがね。」
「合意…?ああそうだとも、合意の上さ。その女、随分と懐が深いようでな?」
「あぁそうさ。最近では特に手広く男と親しくしているじゃないか。」
「お前も飽きられて可哀相に。出の卑しい者同士お似合いだったのにね。」
そいつらはくすくすと嘲笑の形を浮かべる。こいつらは一体何を言っているんだ?この男子生徒しかいない学園で、一体どうやって男と交流せずに生活することが出来るというのだ。
「…意を、量りかねるのだが?」
悔しがって欲しかったのだろうか。勤めて冷静に発言すると、山吹の目の生徒は解りやすく顔を歪める。実習着の胸章はスペードのマーク。こいつら全員アチェアロか。
「貴様らのような下賤の輩が何故星などを賜っているんだ?そこの女ならばまだわかる。ここの教諭方はお優しいからなぁ?懐に入られても強くは言えなかったんだろう…」
私から見て右側。軽薄そうな見た目をした生徒が、銀の瞳をにたりと歪ませて言う。こいつは、ルミィを抑えていた奴。
「しかし、そうなると不思議だなぁ?貴様のような拾われの白の徒が何故…ああ、そこまで見越してファエラ教諭は貴様を拾ったのか?流石公爵家の面汚しのご当主、考えることが我々とは違う。」
けたけた。耳障りな、壊れたオルゴールのような音だ。でも、そうだな、これならちょっとやり方を変えようか。
「…まるでファエラ教諭が私を使って何か企んでいるような言い方をする。」
「ほぉ?そう聞こえるという事は、そういう事なんじゃないか?」
「根拠を、訊いているのだが?」
人の話を遮ってまでの言葉がそれか。そんな呆れを隠しもせず溜め息を吐くと、彼は面白いくらいにイラついた様な顔になる。
「生意気な口を…」
「まあまあ、せっかくだし教えてあげようよ?」
そう言って一歩前に出てきたのは、いかにも大人しそうな見た目の、紫紺の瞳を持つ生徒。
「というか、そもそも、お前が怪しいんだよね。今まで難攻不落の高嶺の花だったルミィ・エディスをある日いきなり落として。それでなくてもお前の周りってお前に相応しくない方々ばかりだろ?昨年の終わり頃から、かなり密にファエラ教諭と二人っきりで会ってたみたいだし…なにかあると、思うよね?」
にっこりと笑う姿は、傍目には可愛らしく映るのだろう。けれど、私は、そんな事よりその発言。ああ、兄様の言っていた意味がようやく解った。なるほど、そうか、事情を知らない者から見れば、そうも見えたのか。
「…そうか。」
であれば、これは、私の招いた結末だという事か。
「つまりこれは、私の為に用意してくれた茶番だという事かい?」
「ま、釣れたらラッキーくらいの気持ちだったけどね。白の徒がこの学園をうろついてて目障りなんだ。ついでにファエラの弱みも握れたらなお良し。ね?」
あたりー、とそいつは無邪気に笑う。はい、言質頂きました。ふと上がりかける口角を誤魔化すために俯けば、何を勘違いしたのか。勝ち誇ったように中央の生徒が言う。
「訴え出たければそうするが良い。その女を晒し者にしたいのならな。」
「…私自身へ向けた侮辱だと、受け取ってもいいんだね。」
「はっ、何だよ取り澄ましたような顔しやがって…!」
「おい、あまり煽るな。貴様も、今後の身の振り方をよく考えることだ。」
「御忠告痛み入る…ではそろそろいいかな?彼女を暖かなベッドまで運んでやりたいのだが。」
ルミィを抱いていてなお優雅に心がけて礼をとれば、呆気にとられたような鼻白んだ顔が三つ並ぶ。紫紺の目に山吹のハイライトが入った柔らかな栗毛、山吹の目に紫の混ざる山吹の髪、銀の目に橙の髪。うん、覚えた。
「…どうぞ、お大事に、ね?」
特にこの、紫の目の生徒。訝しむような眼を向けてきたこいつは、おそらくこのメンバーの言いだしっぺだろうから。
うっかり逃さないようにしないと。にこりと笑んで見せて、その場を辞した。




