ここと呼べるようになった箱庭にて
麗らかというには少し時期が外れているものの、日差しの柔らかく差し込む午後。エザフォスティマの港町に彼女を見付けた。濃紺の狼を連れ、使用人と話しているようだ。
「やあ、久しぶり。調子はどう?」
「お久しぶりです。おかげさまで心安らかに暮らしております。」
「それは何より。君のおかげで随分とスムーズに流れてくれてるからね。」
「僕には勿体無い言葉です。図々しくも…最近は、坊ちゃんから届く手紙が楽しみで。」
「誇って良いことだよ。彼が純粋で言葉を惜しまず、真摯に人と向き合う心を保ち続けてくれたから、あの子も前世の記憶に呑まれなかったんだから。」
「そのせいで、本来よりいくらか幼い印象を持たれてしまっていたようで…かの方には、弟のように思われているのではと悩んでおられました。」
「あっははははは。いやいや、そのおかげであの子が絆されてくれたんだから無問題無問題。」
彼女は私と話している時より楽しそうだ。あんな空々とした笑い声は聞いた事がない。
「…これで、少しは罪滅ぼしになったでしょうか。」
「さてねぇ。世観の一族は魂の循環は管轄外だからなぁ…とはいえ、生者の善行が死者の逝く先に影響するケースなんて稀でしょ。」
「おいおい、今回の功労者に何て言い草だよ。そこは慰めてやれって。」
「そう言うのこそ管轄外ですー。救いが欲しけりゃ自分で見つけるしかないんですー。」
「ほんっと神も仏も無ぇよなお前…」
「…いえ、いいんです。僕が勝手にそう思っているだけなのですから。」
「ほらね。」
「社交辞令って知ってっか?なあ。」
「きこえなーい。」
「そーかよ…おい、兄ちゃん、確かに生者が死者に出来ることは殆んど無ぇ。けどな、縛り付けてたアンタが消えたことで、循環の流れに戻れたことは確かだぜ。」
「本当、ですか。」
「ああ。ぜーんぶキレイさっぱり、みんな纏めて来世行きだ。誰もお前の事なんざ覚えて無ぇだろうよ。」
「ええ、それ言っちゃうの…」
「そうですか…良かった…」
「ええ、君もそれで嬉しいの…ちょっとわかんない…」
使用人の顔色は優れない。でも彼女は楽しそうだ。
「…やはり、僕のしたことは、許されない事だったのでしょうか。」
「世界規模での大量虐殺?別に人間限定だったら二生くらい最底辺で過ごすだけじゃない?生命撲滅まで行くとさすがに処罰対象だろうけど。」
「…人を殺めるのは、罪ではないと?」
「同族間での内紛まではいちいち関与できないってー。そう言うのは世界の管理者が決めるところであって、私らが直接どうこうしなきゃいけない事じゃないし。」
「世界から魚が絶滅したら世界は破綻する?魚食う奴らが困るだけだね。そんなのは管理者が後始末すればいいだけの話。でも、魚が絶滅することで海や川が残らず干上がるってんなら、私らの関与すべき事象だ。けれど、その関与ってのは、魚を絶滅させる原因を罰することじゃない。時系列の前後を観て、配役を整頓して、流れを滞らないようにすることだ。その時の世界の状態によって、絶滅しないような流れにもっていくのか、絶滅した後、それに代わる生命を分化させるのか、まあでも、原因が個体だったり単一種族だったりする場合は、それを取り除くのが一番簡単ではあるけど。とは言っても、それなら管理者でも出来るから、大抵の場合私らが呼ばれる時って、それじゃもうどうしようもなくなった時なんだよね。全く苦労の多い役回りだよ。」
「…では、僕を取り除いたのは、貴方ではないのですね。」
「そそ。君のとこの管理者とは顔見知りだったから。ちょうどいいと思ってこっちにもらったの。」
「…貴方は…」
「ま、こーいう奴だ。人間の見た目してっけどな、各世界で最も目立たない姿に変換されてるだけでヒトじゃねぇ。」
「そうなんだよねー。管理者とか、世界に近い種族なんかは解ってくれるんだけど、どうにもニンゲンって見た目に引っ張られるみたいでさ。勝手に思い込んで勝手に暴走すんの。魔女狩りとかさー、異端狩りとかさー、もー、せっかく整頓したってのに整えた奴ら自ら散らかしてくんだもん。毎回毎回説明してもきりがないから、諦めることにしたの。」
「…それは、一体、」
彼女はにんまりと笑う。
「“世観彩花、及びサイファ・アレジデントは対象B02の記憶保持を【認めない】。”」
使用人が倒れ込む。彼女はそれを近場のベンチに乗せる。
「さーて、事後処理しゅーりょーっと。B対象はこれが面倒なんだよねぇ…」
「直接行動指示ができる利点には代えがたい、だろ?しゃーねぇっつの。」
そうして彼女は濃紺に溶けて消えた。私は別の場所に視点を移す。
今度は、皇都。ねえ神様と嘆いていたあの子が、その瓶覗の瞳に強い光を湛えて、大人の男女と向かい合っている。傍らにはあの子の片割れも居る。
「…ルナを、ウェントサネモスから帰したいと思っています。」
「…ほう?」
「今の私を支えるのは今や不安定な術式のみ。いつ何があって解けてしまうかわかりません。」
「園を辞めれば良いのではなくて?」
「いいえ。私は、こんな中途半端な状態で降りたくないのです。」
「それは、君の中の記憶が関係しているのかな。」
「…ご存じだったのですね。」
…この子は別の世界のことを随分広げてしまっている。彼女が何もしないという事は、きっと問題がない事なのだろうけれど、少し心配。せっかく綺麗に織り治されてきている私の世界に、私の知らない色がどんどん広がっていくんじゃないかって。
「あたしのことも多少はあります。けれど、それ以上に、私が、このまま身を引くことだけはしたくないと、そう、感じているのです。」
「…では、ルナを呼び戻すとして、どうやって園に入れるんだい?ハルドの処遇は?」
「それが、ルカと考えてもいい案が出なくて。お力を借りたく今日の場を設けました。何かいい方法はありませんか?」
迷いも無く、淀みも無く、あの子は言って笑う。対面する男女は、とても驚いているようだった。お互い顔を見合わせて、それから、笑った。とても、しあわせそうに。
「…そうだね。じゃあ、まずは所長に生徒名簿を見せてもらうといいよ。」
「悪戯が成功したみたいな顔してるね、あの人。」
彼女の声がする。私は慌てて視点を戻す。草花のレリーフが施された飴色のガーデンテーブル、その向こう。白亜の鳥籠に沿うように垂れ下がる藤紫を潜り抜けて、彼女が飴色のチェアに座る。後を追って来る濃紺の狼の足元で、常磐色がさわさわと揺れていた。
「…あの子は、」
「問題ないよ。というかアレがあの子の原動力になってるから、取っちゃダメ。」
彼女が言う。手には琥珀色のステンドグラスクッキーを持っている。
「美味しいですか?」
「うん。色もきれいだし、いやぁ順調順調。もう手を出すことも無いかなー。」
「なぁフラグって知ってっか?」
「まあまあそう言いなさんなって。最終分岐期間も見えてきたし、ちょっとくらい良いじゃんか。」
彼女は少し疲れているみたいだった。でも、満足げに紅茶を二杯飲んで、また戻って行った。
「あとちょっとだからさ、君もそのつもりでいてね、ザフィリ。」
きゃらきゃらと、琥珀の声が笑って行った。




