臥待月 3
「では最後に。これからのことよ。」
ロゼルティナ様はそう言って、手元の紙に何やら書きつける。
「貴方はまだ目が覚めたばかりだから、明日にしたいと言うならそれでもいいわ。」
すっと目を細めたロゼルティナ様は、伯母でなく所長の顔をしていた。
「…私、は、この学園をやめるつもりはありません。」
とっさに答えたそれを、では体の問題はどうするのかと所長が跳ね返す。
八年前、ヒトに対してあれだけの魔法を施すことが出来たのは、父の根回しと、エルド・グレイスコールの名があってこそなのだと、今では理解している。
それだけではない。もうほぼ出来上がっていると言っていい体を作り変えるのはあまりにもリスクが大きいのだ。そもそもの成功率が高くない上に壮絶なまでの苦痛を伴い、そうまでして作り変えても満足に体を動かせるようになるまで、個人差はあるものの一週間から一月かかると言われる。
言ってしまえば、ハルド・ファエラに戻るのは不可能だ。
「見た目を取り繕うことは、可能ですよね。」
「…そうね。体に刻み込むのではなく、一時的なものならば可能よ。」
なんだか入園前に両親と話し合った時みたいだなぁなんて頭の片隅で思いながら、所長から視線を外さずそう言う。
「けれど、そんなその場凌ぎであと一年半過ごすつもり?」
射抜くような深緑に、否と返す。
「八月末までには、今後どうするか決めます。けれど、それがどんな結論であっても、高等部は修了したいのです。半年、時間を頂けないでしょうか。」
事情はどうであれ、中退のような真似はしたくない。そう告げると、所長は暫し紙面を見つめ、やがて息を吐いた。
「…メルティナの言った通りね。」
「母様が?」
「ええ。本当に…芯の所があの子そっくりだわ。」
困ったような、懐かしむような。そんな笑顔を浮かべて所長はすっと立ち上がる。
「メイア、この子のチョーカーはあるかしら。」
はいと淀み無く応じたメイアがサイドテーブルから箱を取り上げて、所長に渡す。中を確かめた所長が飾りの宝石は何かと問うのでソーダライトだと答える。感情と思考のバランスを整えると言われる青い石だ。
手を出すように言われたので、両手を揃えて差し出す。メイアより先にルカが支えてくれた。私の掌にチョーカーが置かれる。所長はバインダーの一番下から紙を一枚取り出すと、その上にそっと被せた。
「“空往くものの耳塞げ
地を往くものの目を塞げ
秘するものの口塞げ
蜃気楼の衣をここに”」
翳された右手を中心に、紫、黄色、青緑。三色の淡い光が、黒い光で編まれていく。それは被せられた紙に描かれている魔法陣を正確になぞり、レースのように繊細な形を成す。出来上がった陣は紙に吸い込まれるように消えていき、描かれた陣に三色の彩が加わる。
かと思えばそれすらも解けるように消えて無くなり、チョーカーがほんの一瞬、熱を持つ。正確にはその一部。白紙になったそれを所長が取り去って、発熱したのが飾りの宝石だと気付く。ほとんど不透明な石だから見た目には判らないけれど、きっとこの中に魔法陣が刻まれているのだろう。
出来上がったそれを所長が確かめて、問題ないと頷く。メイアの手に渡ったので、おとなしく着けられる。ふっと刹那、視界がぶれた様な気がして、目を眇める。そうして今一度見た髪は、見える限りで橙だった。
「どう?…うん?んん、声、こんなだったっけ?」
発した声に違和感を感じてルカとメイアを見れば、二人とも揃って難しい顔をしていた。
「…病み上がりだと考えましたら、その程度の差異ではありますが…」
「なんかちょっと違う。体つきもちょっと痩せた…衰えた?細くなった。」
髪は長いままだよとルカが言う。女性体の上から男性体の虚像を被せているのだろう。あくまでそれらしく見せる魔法であり、それ以上はやはり望めないようだ。
「相当危ない状態だったもの、治療の代償で言い訳がたつ範囲だわ。」
怪しまれた時の対応は自分でせよという事ですねわかります。それにしても髪は切らなきゃか…これを機にいっそ短くしてもいいんじゃないだろうか。
「短髪はダメだからね。」
「あ、バレた。」
「前より似てる気がするから、髪型いじるの止めてよ。」
「解ってるって。」
私が弄っているのとは別の所から一房、髪を掬ってルカが言う。あちょ、引っ張るの禁止、痛くないけど将来禿げたらどうするの。
「…?」
無言の訴えは悲しくも届かず…というかルカは私の髪を凝視したまま動かない。若干首を傾げてはいるけれど。
「…目が、ちかちかする。」
そう言ってルカは私の目の前で橙の毛先を振る。途端眉根が寄るのが解った。確かに、ちかちかするというか、そう、ぶれて見えるのだ。
「ええ。この魔法はあくまでもまやかしを纏わせるだけのものよ。手指の動きならばまだしも、そうやって不規則に動く細部には綻びが見えやすい…とは言っても、やはりこのままでは少し不安が残るわね…。」
外してちょうだい、と言われるままチョーカーを外し、所長に渡す。さらにいくつか魔法を重ね掛けして精度を高めるとのこと。ついでにいくらか頑丈に加工し直してくれるそうだ。明日中には出来上がると言うので、それまでに髪を切ってしまわないとなぁ。
部屋に戻るという所長を見送って、同じく部屋に戻るというルカに屋敷への連絡をお願いして、改めて。メイアに鏡を持ってもらい、全身を眺める。うん、違和感しかないね。
「そんな顔をなさらないでくださいませ。お美しいじゃないですか。」
「ありがとうメイア…」
いやでもしかし、そこそこなグラマラスボディに垂れ目、口元黒子って濃くないか…?よく見る顔が、ルミィのクーデレ風ほんわりヒロインフェイスかメイアのすっきりキャリアウーマンフェイスだからかもしれないけど…声が低めできりっとした質なのが救いか逆効果か。着飾るのに苦労しない体だと思えばいいのだろうか。
何とも言えず溜め息を吐いたところでフィーとルミィが訪ねてきた。それと入れ替えにメイアが何か消化に良いものをと部屋を出て行く。そうすると残るのは、これまた何とも言えない気まずい沈黙。
「知らせて頂戴って、言ったわよね。」
勧めた椅子にも座らず、フィーが言う。大人しく頷く。
「だったら…だったらどうしてあんな真似したの!」
フィーの泣きそうな顔、今年はよく見るなぁなんて。思ったのがまさか伝わったわけじゃないだろうけれど。ぎっとこちらを睨んでくる彼に、私も顔を引き締めて応える。
「その点に関しては、本当に申し開きのしようも無いよ。完全に私の判断ミスだ。」
「ルミィの御相手役として、それが一番だと思ったって?」
詰る様な声色にももちろんだけれど、思ってもみなかった切り替えしにきょとりと目を瞬く。
「…全部、話したの。」
すっとルミィに視線を移せば、どことなく申し訳なさそうで、それでいて決意に満ちた表情を浮かべて彼女はそう言った。
「日本のことも?」
「…うん。」
「…そっか。」
ルミィがそう判断したのなら私には否やも無い。もう一度そっか、と呟いて、息を吐く。どこか肩の荷が下りた様な気分だ。
「…フィー。」
すとんと降りた肩のまま、言う。
「私はさ、お姉ちゃんなんだよ。お姉ちゃんは弟を護らなきゃいけない。お姉ちゃんは矢面に立たないといけない。お姉ちゃんは…表立って賞賛されるようなことを求めてはいけない。そうやって、生きていたんだ。」
よく解らないとでも言いたげに目を眇めたフィーにゆるりと首を振って見せる。
「グレイスコール家の話じゃない。その前の、今はもう思い出せない日本の家の話。でもそれは、今の私を構成する重要な要素で…今回先走ったのは、それのせい。」
ああ、私の情けない顔も、フィーに今年はよく見せているな。愛想を尽かされないといいのだけれど。でもさ、私からハルドを剥ぎ取っちゃうと、残るのはこんな情けないところばっかりなんだ。
そんなことを考えて、またへたりと苦笑が浮かぶ。
「だから、ごめんなさい。なるべく気を付けたいのだけど…私には、何に気を付けたらいいのかわからないんだ。」
三つ子の魂百までとは言ったけれど、記憶が持ち越されているのなら、きっと私が死ぬまで。完全には、変えられないだろうと思う。咄嗟の行動なんて、その時になってみないと解らないから、なおさら。
「…開き直らないで頂戴。」
「うん、ごめん。努力は、するつもりだよ。」
「…もう、本当に…アンタのそういう所が嫌いよ…!」
そう言うと彼は目元を覆ってお腹の底から空気を追い出すように息を吐いた。
「アンタが周りを頼る様に努力するって言うんなら全力でサポートするから。覚悟なさい。」
力強いフィーの言葉に、知らずのうちにうんと答えていた。輝くまでの山吹の瞳は、その時の私には月にも太陽にも見えたのだった。




