臥待月 2
ごめん、とは声に出なかった。痛いほど伝わっているのが解ったから。
「…ルカ、おこして。」
ゆるゆると左腕を上げれば、何をするつもりかと訝しみながらも素直に手を取ってくれる。背に差し入れられたルカの左腕と、引かれる私の左腕の勢いのまま、きゅうと私の半身を抱き締める。
「生きてる。」
「…うん。」
「生きてる、から、許して。」
「…なにそれ。」
ひどい理屈、と言うルカの声は震えていた。肩口が濡れていくのは、わざわざいう事でもないと思った。私もルカのジャケットを濡らしてしまっているから。
「…馬鹿。」
「うん。」
「馬鹿でしょ、何やってんの。」
「ほんとにね。」
「死んだかと思った。」
「私もちょっと思ってた。」
「はぁ?」
「ごめんて。」
ルカの背をぽふぽふと叩いて、思わず笑みが喉から抜けて、咽る。ああそうだ、喉が渇いていたんだった。慌てたようにルカが背にクッションを積んでくれて、上半身を落ち着けたところでコップが差し出される。
ありがと、と受け取って、一口。さぁっと清涼感が体の芯を通って行くのを感じた。口当たりがまろく、柔らかな甘みがあって、こんなおいしい飲み物が存在したのかと感動する。けれど二口、三口と飲み進めていくにしたがって、いつも飲んでいる果実水だと分かる。しかも普通よりずっと薄い。
「…あれから、どれくらい…?」
すっかり潤った喉なのに、声に違和感。ルカに尋ねようとした言葉が途中で止まる。思わず喉に手を当てるけれど、チョーカーが外されているくらいで特に傷なんかは無いようだ。
あー、あー、と声を出してみていると、きょとんとした顔のルカと目が合う。どうしたのかと首を傾げる。何かに思い当たったルカが目を見開く。鮮やかな深緑の瞳に映り込む容にまた違和感。
「…気付いてない?」
非常に嫌な予感がする。恐る恐る頷くと、ルカはカーテンの向こうに声をかける。程無くして開けられたカーテンの向こうにはメイアが居た。彼女が鏡を持っている時点でほとんど確定したようなものだけど、それをそっと覗き込む。
「…わぁ。」
女性が私を見返していた。枠外まで伸びている髪は毛先に向かう程橙になっていく茶色。橙とも茶ともつかないまつ毛に縁取られた眼はとろりと目尻が垂れて、けれど同色の眉はすっと山を描く。ほっそりとした首元にはシミひとつなくて。瞳の透き通るような瓶覗と、口元の黒子だけは私とそっくりだった。
…いや、まあ、私なんだけど。通りで手が細くなっているわけだ。
しかし、そうか、解けちゃったのか…うん?解けた?解かれた?どうしてこうなったんだろう?
「ルカ、私どのくらい寝てた?」
「おおよそ一日半。」
あれが正午くらいの出来事で、夕方には港町に担ぎ込まれ。その日のうちに学園へ送り返されて、なんと所長自ら治療に当たってくださったそうで。そこから丸一日、寝ていたという。思ったより経っていない。あれくらいの怪我だともう少しかかるかと思ったのだけれど。
「今何時くらい?」
メイアに尋ねれば、七時過ぎとのこと。うん?そう言えばルミィ戻って来ないけど、もしかしてさっきルカはルミィに誰かを呼びに行かせたのではないのだろうか。他に誰か来るような気配もないし。
「所長に知らせてもらうついでに食事に行かせた。たぶんそろそろいらっしゃると思うけど、どうする?」
眠いなら明日にしてもらう、とルカは言うけれど、私はゆるりと首を横に振る。なにがなにやらさっぱりのこの状況では怠さすらどこかへいってしまっているようだった。
そう、とルカが溜め息を吐いて、それから暫し。二杯目の果実水を飲んでいるところに、ノックの音が響く。誰よりも先にメイアが動き、流れるような動作でカーテンの外に出て行き、来客を迎えまたカーテンを開ける。彼女の後ろには黒髪の女性。言わずもがなロゼルティナ所長だ。
「目が覚めたのね、良かった。」
立ち上がりかけるルカを制して、所長は私の右手側に座る。
「お手を煩わせることになりまして、申し訳ございません。」
頭を下げられない事をもどかしく思いながらそう謝罪すると、所長はちょっと困ったように笑って、姪の危機ですもの、と答える。ああ、これは言葉のチョイスを間違えた。
「…助けてくださって、ありがとうございます。」
恐る恐る言い直せば、ロゼルティナ様は今度こそふわりと顔を綻ばせる。
「ええ、本当に良かった。では、そうね、どこから話すべきかしら。」
そう言ってロゼルティナ様は、どこからともなくバインダーを取り出し。
「まずは、貴方たちが討伐した夜獣。あれはおそらく首長獅子の上位種ね。というよりも、首長獅子自体があれの幼体である可能性が出てきたのだけれど。何にせよここから先の調査は国預かりになったわ。」
挟まれた一枚目をなぞる様にそう告げる。
「あれは…母親だったかもしれない、と。」
「それは今となってはどうしようもない事よ。」
ふとこぼれた言葉は、にべも無く撥ね除けられる。はいと小さく返せば、ロゼルティナ様は頷いて一枚捲った。
「難易度が想定以上だったことと、あれを討伐したことを加味して、評価はぎりぎり可。補講も無しよ。」
そこまで告げると、ロゼルティナ様はふうとひとつ息を吐いて、また一枚、髪を捲る。実習に対する評価は、高い順に優、良、可、要補講、降格勧告、不可。行動内容によっては可でも補講があったりするけれど、今回はどうにか免れた様だ。
「次に、貴女の体のこと。結論から言えば、転換魔法を解かなければ、貴女は死んでいたわ。」
淡々と告げられた事実に、思わず息を呑む。
「あの夜獣は、風マナ適性が非常に高かったとみられるわ。六本の脚、その爪がすべて魔晶石として残っていたくらい。貴方はその身体に天災同等のマナエネルギーそのものを受けたの。貴方の結合マナではとても相殺しきれなかった。」
マナのエネルギーそのもので害されたものは、魔法で治すことは難しい。それは私も痛いほど知っている。十二分に致命傷だったというのに今私が生きているのは、私にかかっていた二つの魔法のおかげだったという。
転換魔法は、対象の組成を組み替える魔法。これを解くことで、再度体組織が組み替え直される。
適性封印魔法で封じられていたのが地のマナ適性。地は風を最も抑え込むことのできる属性だ。これを解くことで身体に叩き込まれた凶器的なエネルギーを中和することが出来る。
そして、これら二つの強力な魔法を維持するために使われていた内部マナエネルギーと、それらを解いたときに生じる瞬間的なマナエネルギー。
これらが揃ったことで、奇跡的に傷を治す事のできる条件が満たされ。その上で一定以上の技量を持ったクラヴィアの魔術師が治療にあたることが出来た故に、こうして傷跡が残る事無く目を覚ませたというわけだ。
「そういった意味では、傷を受けたのが私で良かったのでしょうね…」
ほかの誰かであったのなら、きっとかすり傷ですら命を落としかねなかったのだろう。いやまあ誰も負傷しないのが一番いいのだけれど。ルカが物凄く鋭い目で睨んできたので、慌ててそう付け加えた。




