いなさ吹く演習 4
ぱ、と紅が咲く。歪な放射状に広がるそれは、地面を染める前に空気に溶けて消えるのだろう。生憎と今は、そんなものをゆっくり眺めている余裕なんてないんだけれど。
「ルカ、左!」
張り上げたフィーの声。応えるように光が閃く。空気を無理矢理引き裂いた様な音をたてて、しかしそれは美しいまでの弧を描く。
「ハルド後退!ルミィ、ルカ、掃って!」
ルミィが大剣を振り上げる。生じた隙をカバーするのはルカの喚んだ木の枝根。叩きつけられた切っ先から地面に亀裂が走る。崩れた体勢にルカが追い打ちをかける。
「…撤退出来ると思う?」
数歩跳び下がったそいつらを見据えたまま、フィーが囁いた。
「彼らの目的にも依るね。」
追い払いたいのか、仕留めたいのか。その大きな体躯を低く構えたまま、なおじりじりと距離を詰めてくる3頭の獣たちは。
丸い耳に丸みの強い躰。顔回りのもふもふとした毛は、背中・尻部へと向かうにつれて羽のような質感に変わっている。地を踏みしめるがっしりとした脚は6本。長さの違う4本の尾が、地面近くでゆらりと靡く。瞳孔が縦に割れているのが、ライオンとは違う部分だろうか。
言わずもがな、首長獅子だ。
実際見てみると、鬣がボリューミーだからかあまり首が長いようには見えないな、なんて思ったのがはるか昔のことのようだ。
「まさか夜獣が巣を抱えるなんて…」
歯噛みして溢すフィーの声はこの上なく苦い。
夜種の繁殖方法は未だ謎に包まれている部分が多く、夜闇が凝って産み出されるのだと信じる者も少なくないくらいで。最初この場所を見付けた時も昼獣の巣だとばかり思っていたのだ。
「大きさに驚いていたルミィをもっと重く見るべきだったわ。」
二日目に踏み込んだ森の深部、その至る所に巨大な獣の痕跡が見られ。また遠巻きながら何度も首長獅子の姿を見かけた。どうやら巡回しているようだと気付き、そのルートの中心を探ってみようとしたのが三日目。
そして、見付けた巣穴らしきもの。近付くことに難色を示したルミィをフィーが説得し、そこにうずくまるのが何なのか、はっきり見えるようになった時には、地を駆る音が既に耳に入っていた。
「それを言うのは今じゃないでしょ。」
逃げるなら今だとルカが言う。3頭が皆向こう側に寄っていて、私達の背後が開いている。確かに好機なのだろう。
けれど、この何とも言えない不安感は何故?あの巨躯が視認できる距離になるまで足音に気付かなかったのはどうして?
それに、あれだけここから離れたがっていたルミィが何も言わない。であれば、これは、もしかして何かのイベントなのだろうか?
「…ルミィ、」
彼女に何を言おうとしたのかは解らない。ルカがルミィに声をかけた、まさにその時。
ざわめきが、消えた。
いや違う。
一点に向いたのだ。
今まで他方に広げられていたそれが、一点に。
私達に。
「――、」
来る。それが解った。知らせようと思った。声を出そうとした。
「ぁ、」
ばりばりと音をたてて木々が薙倒されていく。圧し折られた幹が巻き上げられている。白と見紛うほどの藍白が、現れる。3対の扇状異色の瞳がこちらを見定めるのが、なぜかはっきりと見えた。
無意識だった。咄嗟だった。反射的と言ってもいいだろう。
手を伸ばす。
藍白が降り上がる。
それを掴む。
迫る爪は目の覚めるような天色だ。
掴んだそれを、ぐいと力いっぱい引いて離す。
ほんの一瞬。
外套が悲鳴をあげる暇も無く。それでも刹那、皮膚がぴんと張ったのがわかって。
そして呆気なくそれはずぶりと中に入る。
その下の肉をぞろりと撫ぜていくのが妙にはっきりと感じられた。
ぶちぶちと無遠慮に進むそれを、追うように熱が広がっていく。
ああ、熱い。
視界いっぱいに藍白のもふもふ。躰の側面から幾つも同じ色の翼が並んでいる。
熱い。痛い。
肋骨を僅か引っ掻いたところで腕の長さの限界だったのだろうか。名残惜しげに出て行くそれに、追い縋るかのように。
ぱっと、赤が咲いた。
“「だったら火をつけて!」
ハリーは息も絶え絶えだ。
「そうだわ……それよ……でも薪がないわ!」
ハーマイオニーがいらいらと両手をよじりながら叫んだ。
「気が変になったのか!君はそれでも魔女か!」ロンが大声を出した。
「あっ、そうだった!」“
(J.K.ローリング著「ハリー・ポッターと賢者の石」より引用)
「――ほのお、よ、」
私は彼女のようにきちんと、まほうをつかえただろうか。




