薄暑の朝食 5
「…それは、でも、」
言いつのろうとするルミィにそっと頭を振って、責めたわけじゃないと伝える。わかるわからないの話をしたいわけじゃないし、ましてわかってほしくて言った訳じゃない。感情だけが先走って、理性が追いつかなかっただけだ。
「ごめん。今のは言うべきじゃなかった。でもルミィの気持ちはルミィが説明してくれないと私には解らないから、感情だけを理由に取り上げられると、私には、もう、どうにもできなくなっちゃう。」
「…難しいよ、そんなの。」
ルミィは顔をくしゃりと歪ませて、糸が切れたようにイスに座った。ルミィは蹴倒したりしなかったんだな、なんて思いながら、私もイスを立てなおして座った。
「…私が中央魔術園に入ろうと思ったのはね、兄様の傷を治したかったから。」
どうしてルミィが今の兄様を否定するような事を言って、私は腹が立ったんだろう。
「自分のせいで一生消えない傷を負わせたってことが、自分で感じていたよりショックだったみたいでね…いや、それ以上に認めたくなかったのかな。だからなんとか、無かったことにしたかった。」
知っている乙女ゲームのヒロインに転生して、ヤンデレヒーローの奇行に巻き込まれるかもしれないとなれば、回避しようとするのは当然のことなのに。
「フィー・レッダという人物に思い至って、彼をうまく利用すれば直してもらえるんじゃないかと考えた。もしくは、私自身高いマナ適性があったから、園で学べば、自分で治せるんじゃないかって。」
しかも、全部が全部ゲーム通りに進んでいるわけではなさそうだと気付いて。なおさら慎重にもなるだろう。
「…結局どちらも叶わなくて、兄様にはそんなのは迷惑だって叱られて、それでようやく目が覚めて周りを見たら、こんなしっちゃかめっちゃかな相関図が出来上がっちゃってて。ゲーム本来の状況に直した方がいいだろうと思ったんだけど、君はそれを望んでいないみたいだったから。それなら、ルミィの望む形になる様に協力しようと思ったんだ。」
世界を引っ掻き回した責任が、私にもあるから。これ以上流れを乱すのが嫌だったんだろうか。きっとそれもあるんだろう。けれど。
「でも、それ以上に、兄様には幸せになってほしいんだよ。私の我儘に十年以上も付き合ってくれた人だから。悪い人なわけが無いんだよ。だから、どうか、避けないでほしいんだ。信じられないって、最初から撥ね除けないでほしいんだ。」
冷めた紅茶の苦味を誤魔化そうと砂糖を入れたら酸味が目立つばかりだった。やけくそでミルクを追加したら、案外美味しい飲み物が出来た。ミルクティーなんて飲んだのいつぶりだろう。
「…やっぱりそれも難しい?」
顔を俯かせて押し黙ったままのルミィに尋ねれば、小さく是と返ってくる。そっかぁ。難しいかぁ。
「じゃ、仕方ないか。」
「…え?」
ふっと私が笑ったのが分かったのか、ぱっと不安げな顔が上がる。私が不穏な事でも考えてると思ったのだろうか。思ったのだろうな。そう考えると何故かさらに笑みがこぼれた。
「何もしないよ。言ったでしょう?兄様の気持ちは解らないって。頼まれてもいないのにくっつけようとしたら、それこそ大目玉くらうよ。」
ひょいと肩を竦めてみせれば、訳が分からない、とルミィの顔は困惑に揺れるばかりだった。
「それに、誓ったでしょう?ルミィの絶対の味方になるって。嫌がることはしないよ。」
「でも、じゃあ、さっきのは…?」
「…あー、うん、私にもいろいろ思うところはあるってことで。兄様に幸せになってもらいたいけれど、もちろんルミィにも幸せであってほしい。双方が擦れ違いで苦しむなら手を出すけど、望んでいないものを無理矢理繋げようとはしないさ。」
ルミィと兄様が想い合って結ばれれば、そりゃあ嬉しいことこの上ないけれどね。
「…そっかぁ。」
「うん。」
「…そうだね。」
「うん?」
「私、なんか焦ってたみたい。この一か月も無い間で怒涛の急展開だったから、全部を今のうちに決めないといけないって。」
お腹の底から空気を追い出すように、ルミィは深く深く息を吐いた。それからへらりと、力なく笑う。それは諦めたようでいて、何かを決意したような、吹っ切れた顔に見えた。
「…私ね、普通の事がしたかったの。」
ぽつりぽつりと話してくれたのは、ゲームでは語られないヒロインの裏側と、ルミィの過去。
「小さい頃…前世を思い出す前からそうだったんだけど、おかあさんの手伝いで台所に立つとか、洗濯物を畳むとか。お使いに行ったり、幼稚園とか、学校に通って、みんなで遊んだり。こんなに自由に動ける体があるんだから、思いっきり走り回ったりしたかった。」
「今思えば、本当にやんちゃでお転婆な子だったなって。でも、屋敷の皆、仕方ないですねって笑って、好きなようにさせてくれてたの。真名を交わす専属の侍女が居ないくらい貧しい男爵家だったけど、私の大切な家だった。」
「…10歳になる前、おとうさんが知り合いの友人だって人に騙されて、大きな借金を背負わされて。屋敷丸ごと売ったって半分にもいかないような、すごい額で。それで脅されて、私を嫁に寄越せって。まだ10歳だよ?ありえないでしょ。」
「両親が出来たのは、私を中央魔術園に入れることだけだった。ここは、業者ですら許可された人しか入れないところだから。せめて卒業まで待ってほしいって、真名に誓ってもらって。」
「帰ってきちゃダメだよって送り出されて、私、何が何だか分かんなくて、馬車から降りたくなくて、ぐずぐずしてたら段差を踏み外して転げ落ちたの。それで、前世の記憶を思い出した。全部じゃなかったけど、それでも今の状況が嫌ってほど解って。」
「最初は、イメラか、リドを攻略して、玉の輿で、借金もどうにかしてもらおうって、思ったの。でもさあ、駄目だったよ。あの二人、馬鹿じゃないのってくらい、私と真面目に分かり合おうとしてくれたの。そんなのされたらさあ、利用してやろうとか考えてた私が恥ずかしくてさ、何やってるんだろうって。もし彼らに頼るしかなくなったとしても、こんな私じゃ助けてくれないだろうって。だから、私自身が強くなろうって決めたの。」
「頑張るのは得意だったんだよ。前世からの十八番みたいなものだったから。頑張って、魔力を高めて、彼らのルートに進んだとしても、堂々と、居られるように。でも、中学部二年の時だったかな。ファエラ教諭がアチェアロの実技講師になったのって。それで、今まで思い出せなかったハルドルートとか、ディンルート途中で終わったこととか、ネットの推測論とか全部思い出して。ああ終わった、って、本当にそう思った。でも、だからって、学園やめるなんてできないし、だったらもう自立エンドしかないなって。」
「…私は、自分で選びたかった。そうやって、消去法で削っていくんじゃなくて、ちゃんと、目指すところを決めたかった。だから、急に視界が開けて、急いで行先を決めないとどこにも行けないんじゃないかって、思った。なのに、いざ自分で選ぶってなったら、何を基準に判断していいのか、わかんなくなった。悪い事が起きないようにしようと思ったら、じゃあ悪い事ってなんだろうってなって。そう思ったら、悪い方のもしもばっかり出てきて。気持ちばっかり焦って…ダメだなぁ…何やってたんだろ。」
あの時から何にも変わってないや、そう苦笑いで締め括ったルミィは、それでもさっきよりいくらかスッキリした表情になっていた。
「…君にとっての最善は、なに?」
ヒロインでなく、物語の登場人物でなく、十六年間生きてきた君の望むところは、なに?
「…この学園を、首席で卒業すること。借金返済と、この身の自由。」
朝日を受けて輝く双つの湖を、心からうつくしいと思った。




