薄暑の朝食 2
靴底が石畳を叩く小気味のいい音が響く、黒の日の朝。この学園では10日ある一週間のうち、週終わりの黒の日と週初めの赤の日を休日としているので、黒の日は、日本でいうところの土曜日にあたる。
二日ある休みを使って実家に帰る生徒も少なからずいるし、そうでなくてもこの時間はふつう皆部屋で朝食をとっているのだから、随分静かだ。
とはいえそろそろ昼間は汗ばむようになってきたこの時期。見渡す木々や空の色なんかは生命力に満ち溢れ、視界は何とも賑やかなのだから、その差に思わず笑みがこぼれる。
そうやって女性寮までの道のりを進んでいくと、ふと風に乗って声が聞こえてきた。女性二人、片方は多分ルミィだろう。けれど、その色音に首を傾げる。荒立ててはいないものの、いつもの快活で凛とした明るいトーンではない。対する声に聞き覚えは無かったけれど、メイアと同じかもう少し下、20歳前半、といったところか。そのあたりの女性は学園内でも珍しい。おそらくルミィ付きのメイドだろう。こちらは平時を知らないので何とも言えないけれど、あまり楽しそうなトーンではない、と思う。
女性寮の門まで来てところどころ言葉が聞き取れるようになってきた、けれど。言い争っている、とまではいかないかなぁ。ルミィが女性を説得しているというか、懇願が聞き入れられないというか。うーん、これどうしよう。勝手に入って行ってもマナー違反だよなぁ…
とはいえ声を張り上げるのもみっともない。仕方なしに一歩踏み出すと、
ちりん
ガラスのベルを鳴らしたような。そんな音がして思わず後ずさる。あそっか、許可なく異性寮に入ろうとすると鳴るんだっけ。音こそ涼やかではあるが、それは瞬時に寮の全使用人に伝わり、警備員がすっ飛んでくる…って、駄目じゃないかこれ。
音も無く、空気がわずかに揺らぎ、瞬きの後にはすぐそこに人が立っていた。空間切結だ。黒のブローチを付けたその男性使用人は、穏やかな営業スマイルを湛えていたけれど、私と目が合うと、おや、と目を瞬かせた。
「ハルド・ファエラ様。ようこそお出で下さいました。このような不躾なお出迎えを致しまして、申し訳ありません。」
しかしそれも一瞬のことで、すぐさまゆったりと微笑むと滑らかな動作で頭を下げた。この反応は、私が来ることを知っていたのだろうか。
「いや、私もつい舞い上がって早く来すぎてしまったようでね。出迎えてくれたのが君で良かった。」
口元をゆるめて肩を竦めてみせる。
「お言葉、有難く頂戴いたします。」
使用人が頭を上げたところで、足早にこちらへ向かってくる女性の姿が見えた。黒ベースに赤いラインの入ったお仕着せは学園所属使用人の制服。年のころは20歳ちょっとに見える…となればさっきの声の主だろうか。
「案内の者が参りましたので、“どうぞこちらへ“。」
促されるままもう一度門の内側へ踏み込むと、今度は何事も無く進むことが出来た。今のやり取りのどこかで許可が下りたみたいだ。
「うん、ありがとう。」
彼が冷静に対応してくれる人で助かった。うっかり痴漢変態疑惑をかけられてもおかしくない状況だったよねさっき…こわ…今体は男なんだからそう思って行動しないと…
予想通りルミィ付き使用人だった彼女に茶葉を渡して、その後をついて行く。ほどなくしてセッティングされたテーブルを背景にルミィが出迎えてくれた。
「おはようハルド。急に呼び出してごめんね…」
「お招きありがとう、ルミィ。君と朝のひと時を過ごせるなんて光栄だよ。」
やっぱりどこか元気のないルミィに、ちょっとおどけて返す。けれど、慣れたのか、それどころではないのか、思った反応は返ってこなかった。
「…じゃあ、後は私一人で出来るから、アティカは下がって。」
すすめられた席について、一呼吸。言い含めるようなルミィの声に、ああさっきのはこの事で言い合っていたのかと合点がいく。事実、ルミィ付きの使用人はその場を動かない。
「…アティカ。」
ルミィの懇願が向かう先を務めて見ないようにして、そっと息を吐く。ルミィが私の事をどこまでどう説明しているのか解らないけれど、状況を見るに賛同は得られなかったようだ。
アティカさんの気持ちはわかる。私が女だと信じられないのなら、開けた場所とはいえ主を男と二人きりに置いておくなんてできないだろう。仮に女だとしても、性別を体から変えてまで偽り入所するような人物を、主と二人きりにするわけにもいかない。ファエラ家前当主の評判は、少しでも真面目に調べようという意思があれば容易く得ることが出来る。兄様が随分立て直したとはいえ、素性のはっきりしない者が養子に入ったとなれば、前当主の不義の子かもしれないと疑うのは当然だろう。
なんにせよ、ここで私が口を出せばこじれるだけだ。二人きりになりたいという事は、きっと原作関連のことなのだろうし、これについてもルミィがどこまでアティカさんに話しているのか、やっぱり私は知らないのだから。
「…では、何かありましたらお呼びください。」
ややあって、彼女はそう言って一礼した後、こん、と銀製の小さなベルをテーブルに置いて、下がって行った。
「…ごめんね。」
絞り出されたそれは、私に向けられているようで、けれど本当はアティカさんに言ったものなのだろう。この二人の間には確かに信頼関係がある様に見えたのだけれど。それでも難しいものがあるのだろうか。
「彼女には、どこまで?」
随分と小さくなったアティカさんの後ろ姿を何とはなしに見ながら、言う。ルミィがゆるりと首を振ったのが視界の端に映った。
「…何も?」
「…はっきりとは言ってないの。でも、まずは話を聞いてくれる…?」
いっそ悲壮と言ってもいいくらいの表情で言うルミィに、もちろんと頷く。彼女はきゅっと唇を引き結ぶと、テーブルの端に置いてあった小さな赤い箱を手に取った。掌に収まるサイズのそれは、色こそ違うものの今朝私の手元に届いたものと酷く似ている。
「…今朝、星が届いた。」
震える声で彼女は言う。その様子に首を傾げる。名誉な事ではあるけれど、それだけのことではないのだろうか。あの後メイアに確認してもらったら、やっぱりルカにも届いていたようだし。
声と同じく震える手で差し出されたそれを受け取って、開けてもいいのかと尋ねると頷かれる。かこ、とやはり柔らかい音と共に開いたその中は、黒のビロード。中央に鎮座するのは朱に囲われた浅葱色の星。という事はルカの星は木賊色なのだろう。第一属性の色だ。囲う色はどういう基準なのだろうか。風は昼の眷属で、水は夜の眷属だから、普通は逆だろうに。
「ハルドは、それ、何か知ってる…?」
「星付き候補だろう?今朝方私にも届いたよ。」
「…え?」
ぽむ、と蓋を閉じてバッジを返す。問われたまま答えれば、ルミィは豆鉄砲でもくらったような顔をした。
「…?ルカにも来ていたみたいだったけれど。」
メイアも知らない制度だったし、もしかしたら原作にも出てこなかった物なのだろうか。でもそうなるとルミィはどうして怯えているのだろう?
「そん、な、事って…」
口元を抑えたルミィが喘ぐように呟く。なんだろうこの違和感。決定的に何かが噛み合っていない感じ。
「…ゲームだと、これは、このバッジは、ディンルート開始の…合図なんだ。」




