薄暑の朝食
どうにか二敗で乗り切った、総合演習。その日のうちに訪れた筋肉痛を信じられない思いで迎え入れつつ乗り越えた、そんな週も終わった休日の朝。それはやってきた。
「ミクロス・アステ?」
珍しく学園から送られてきた小包をメイアから受け取り。添えられていた手紙を開いて目に入った単語を声に出す。音にすれば何か思い当たるかと思ったからだ。
「メイア、知ってる?」
中央大陸の公用語と言うのか、共通言語と言うのか、一般に使われている文字は、これまたファンタジックな文字で。地球の文字で無理矢理説明するならば、ギリシャ文字的天使文字アラビア風書体(ただし左から書く、読む)と言ったところだろうか。
とにかく、日本語とはかけ離れているわけで。字面から元ゲームの設定なんかが連想し難い。私の中でどうにも結びつかないのだ。だから声に出してみたのだけれど、やはり聞き覚えは無く。
「…いえ、聞いた事の無い言葉ですわ。星付きの方と何か関係が?」
しばし視線を巡らせたメイアが応える。彼女が知らないとなれば、本当に一般的な言葉じゃないのだろう。
アステ、とは。中央魔術園における能力階級の最上級者へ、学園長直々に与えられる称号だ。園の最終学年、大学部で能力階級Kの生徒。その中から各第一属性につき一人ずつ、最も能力の優れた者に、八芒星を模ったバッジが与えられる。このバッジが胸章に付けられている様から、彼らは星付き、と呼ばれるのだ。
彼らは属性最優秀者であり、そして所謂生徒会の様な役割を同時に義務付けられる。アステの中から生徒代表が選ばれ、代表補佐が二人選ばれ、学園の運営に関わっていく。私の学年では、お察しの通り攻略対象たちがそこに座すわけだけれど。
「アステ候補、という事らしいよ。」
今、私の手元にある手紙、もとい通告書には。
「総合演習の成果が著しく優秀であったためアステに準ずるものとして扱う、とのことだ。」
ざっくり言ってしまえばそんなような内容が書かれていた。要は脅しだ。いや表現が悪いか。警告、勧告、忠告、もしくは、枷。階級を半ランク上げるので、それに見合った振る舞いをするようにと言うのは、つまりそういう事だろう。
「特例措置なのでしょうか。」
「いや、もともとある学園規程らしい。不文律を規程と呼んでいいのならね。」
読む?とメイアに通告書を差し出せば、拝見いたしますと受け取る。彼女が文面を検めている間に、小包を開ける。中身は掌に乗るサイズの、小さな箱。指輪でも入っているような、黒いベルベットが張られたそれ。かこ、と柔らかい音をたてて開いた内側は、赤のサテン。どちらもこの国では最貴色として、皇族とそれに連なる者にしか扱いを許されない色だ。
その赤の中に、セレスタイトの星が鎮座していた。玄に囲われた瓶覗は、その色彩に反して堂々とした輝きを放っている。本物の、と言うかアステのバッジは黒と赤で作られている。そのどっしりとした存在感を見慣れているからか、澄んだ淡い水色のこれはなんだか、ただのアクセサリーのように見えた。
「メイア、これ後でジャケットに付けておいて。」
「承知いたしました。」
メイアから戻ってきた書面と、箱を一緒にして文机に置く。
「それと今朝はもう一通、いつものお手紙がお屋敷から届きましたよ。」
ほわりと笑んで渡されるシンプルな封筒を、あー…ともえー…ともつかない返事を返して受け取る。受け取って近くで見てみれば、その白い封筒には繊細な透かし模様が施されているのが分かる。どう見たって高級品だ。そこに銀のインクで書かれているのは、ハルドではなくルナの名前。もちろん両親からの物ではない。裏返せばインクと同じ銀の封蝋。押された模様はスペードマークの上にひとつ、イの音を表す文字。
イメラ・エザフォスティマとルナ・グレイスコールの文通は、実は続いていたのである。続いていたというか、私が大慌てで送ったさよならメールにまさかの返信があって、その内容のあまりの純粋さというか誠実さに申し訳なくなって返事を書いたら、さらにそれに返事が来て、やっぱり体調と心情を慮ってくれている内容に良心が痛んで無下にはできず、気付いたら今に至るというか。
体調を気遣う一文から始まり、簡単な自分の近況と、皇都の流行なんかが丁寧な文章と美しいとすら言える文字で綴られたそれに、どうして御座なりに返信できようか。私には無理だった。さらに言えば、皇都の流行に関してはとても有難い情報だったので、それに対する感謝の念もあった。
「…ハルド様。」
返事用の封筒見繕わなきゃなぁと考えている所に、メイアの呼び掛けが入る。
「うん?どうしたの。」
「ルミィ・エディス様より朝食のお誘いが参りました。」
参りました?と首を傾げつつ視線を上げれば、メイアの右手に止まる小さな鳥が。半透明のそれが生物でないことは明らかで、実際のところ魔法で造られた姿形なのだけれど、見るのは初めてだった。早い話が、伝書鳩。この学園内限定の侍女従僕専用伝達手段だ。
「場所は女性寮の前庭、準備はすべてあちらが整えるとのことです。」
如何なさいますか?と問うメイアにぜひとも、と返せば、彼女は了承の旨を小鳥に吹き込み。それを受けた小鳥はさらりとほどける様にして姿を消した。
「いいなぁそれ、便利だろうし、可愛い。」
「ハルド様にはあげられませんよ。下働き用の低コスト魔法具ですから。」
「そっちの耳のカフスが本体なんだっけ。」
「ええ。」
仕組みはほとんど携帯電話のようなもので、だからさっきの小鳥は電波を見えるようにした虚像。声は宛てた当人にしか聞こえないし、受話器であるカフスをしていない者には届けられない。さらに言うと、各使用人の付けているカフスはすべて子機であり、それらすべての位置や状態を把握している親機が学園の管理室にあるという。伝達手段であり、監視機能であるというわけだ。
「そう、残念。じゃあ代わりに紅茶を包んでもらおうかな。私の好きな茶葉。」
さすがに手ぶらで御呼ばれに応じるわけにもいかないけれど、あまり大仰なものを持って行っても却って迷惑だろうし。あの茶葉なら、きっとルミィも気に入ってくれるだろう。
「すぐにお持ち致します。」
「そんなに急がなくてもいいよ。向こうも準備の時間があるだろうから。」
「いえ、お誘いにしては随分と急いた様子でしたので。ハルド様もお早く御支度くださいませ。」
「へえ?何かあったのかな。」
何を着て行こうか、とクローゼットを開けたところでメイアを振り返る。詳しくは彼女も聞いていないようだけれど、声の感じがいつもと違ったらしい。なれば緊急事態かというとやはりそうでもなく。不作法は承知の上で、出来るだけ早く返事が欲しいとのことだったという。
メイアが手土産を準備している間にぱぱっと身なりを整え、不安というよりは疑問を抱えて寮を出たのだった。




