切欠の喧嘩
最初は、本当にちいさな、言い合いとも言えない言葉の応酬だったと思う。それこそ幼い子特有の、他愛のないやり取りの中で、けれどその時はどうしてだかどうしても頭に来た言葉があって。
「その程度で一人前のレディ気取りか。グレイスコールの名が泣くな。」
ルナには、少しばかり人より優秀である自覚があった。
双子の弟であるルカより言葉を話すのも歩き出すのも早かったし、物覚えも良かった。というより、それがどういう物か、教わらずともなんとなく分かったのだ。その事を異常には思わなかったし、両親や使用人も素直に褒めてくれた。
だから、まあ、その、有り体に言えば、いい気になっていたのだ。
8歳にして、大人顔負けの、利発で聡明な、公爵令嬢の鏡。称賛の言葉を欲しいままにしていたところに、自分ごと家まで貶されて、ルナは黙っていられなかった。そんなピンポイントに年相応である必要は無かったのにと、頭を抱えたくなる。が、それこそ後悔先に立たず。その時は反射的にルナも言葉を返してしまったのだ。
「あら、例え一人前でないとしても女性に向かってそんな言い方…適性だけでなく、エザフォスティマ家としての品性も受け継がれなかったのかしら?」
地雷を踏み抜いた、そう瞬時に察した。ざっ、と、顔色が変わるのが見てとれた。
小馬鹿にしたように眇られていた目が限界まで見開かれ、頬に朱が走る。次の瞬間には眉根は寄せられ、銀の瞳はこれまで見たこともないような鋭い光を以てルナを射抜く。ぎいと噛み締められた並びの良い歯の奥から、一言。
「黙れ」
そのたった一言で、ルナは本当に言ってはいけないことを言ってしまったのだと身を震わせた。声変わりも遥か遠くの、幼い男声がここまで怒気と威圧感を孕んで、低く重く放たれるものなのかと、息を飲んだ。
実のところ、ルナは自分の言った事がどういう意味なのか、よく解っていなかったのだ。ただ、この館に通うようになって、大人たちがよく言っていた事だったから。イメラ様はエザフォスティマの色をお継ぎでない、致し方無い事ではあるが残念だ、嫡子としては遜色ない能力値であるだけに余計悔やまれる、と。
だから、彼は髪なり目なりの色が遺伝していなくて可哀想な人なのか、とルナは“理解”してしまった。そこに特別嘲りの気持ちは無く、例えるなら、一家全員ストレートヘアなのに一人だけ癖っ毛ドンマイ、とか、両親AB型天才肌なのに自分はB型自己中乙、とか、確かに褒める気は全く無かったが、そう深刻なものとは考えずに軽い気持ちで、彼にとって最大の禁句を放ってしまったのだ。
「たとえ色を継いでいなかろうと、おれはエザフォスティマ家の、八王家の跡継ぎだ!」
到底受けきれそうもない怒声。けれども、それに恐れ戦く一方で、それをどこか客観的に見る自分と、胸中を駆け抜ける既視感があった。
こんな台詞、どこかで…?
シャボン玉をつついたように、はふりと。音もなく、衝撃もなく、あまりにも唐突に、あまりにも怒濤の勢いで、それは訪れた。
車、眩しい、ヘッドライトが、雨で、バスに、課題が、明日の講義で、借りてたDVDが、バイト先に、悲鳴、ぐわりと、揺れ、て…?
気付けば自宅に…そう、飽きるほど見慣れたはずの豪邸に戻ってきていて、両親、がテーブルを挟んで向こう側に座っていて、隣にはルカが座っていた。どうやら護衛の騎士がさすがにまずいと止めに入って、ルカ共々家に帰されたようだ、とルカが説明するのを聞いて他人事のように状況を把握する。
それを受けた両親からお叱りの言葉をもらい、
「ルナ、ルナの事だから、もう自分が何をしてしまったのか、解っているのでしょう?」
今までになく萎れて、顔を青ざめさせるルナに、声を和らげて尋ねる母。怒鳴られたからだけじゃないんだけどな、とこんがらがった頭のまま、だだこくりと頷いて返す。
「ならば、なぜイメラ様がそれほどまで声を荒げられたのかは?」
それは、と言葉を詰まらせる。今となっては”自分の言葉がどんな意味だったのか"なんとなく察することはできた。けれど、それが"どうして彼にとっての地雷だったのか"今一つピンとこないままだったのだ。
そう、と母はひとつ頷いて、父に目配せする。それを受けた父から、ちょうど良い機会なのかもしれない、と話された“この世界”の事。それを聞いて、あたしは嗚呼、と息を吐く。
ここ、マナキミの世界だーーー