日差しと唄
なんというかこう、魔法の儀式と言うと地下の石造りのごつい部屋で蝋燭に照らされて…みたいなのを想像してしまうのだけれど、どうやらここでは違うみたいだった。
「さあ、ルナ、あの上に横になって。」
父様から呼び出しがかかり、メイアと共に転移魔法で連れて来られたのは、麗らかな午後の日差しの降り注ぐ森だった。先導されるがままついて行けば、やがて開けた場所に出て。おおよそ円形のそこには大掛かりで複雑な魔法陣がすでに描かれていて、中央には簡易的に組まれた寝台が置いてあった。
父様は魔法陣の確認をしてくるから、とメイアを連れて縁に沿って歩いて行く。とりあえず言われた通り寝転がろうと寝台に近付くと、そこには人が立っていた。
「…あれ?」
つい今しがたまで、そこには誰も居なかったはずなのに。ぱしぱしと数度瞬きしてみても、その人は変わらずそこに立っていた。真っ黒の髪を緩やかに波打たせ、目に森の色を溶かし込んだその女性は、どこかで見たことがある気がした。
「ヘルバグラスティの方、でしょうか?初めまして、グレイスコール公爵家当主エルドが娘、ルナと申します。」
黒は夜の色。休息と安定の象徴であり、体にその色を纏うことは厳しく制限されている。それを己が物として持つのは皇族のみ。そしてかの方々だけが、遺伝として適性を受け継ぐことが出来るのだ。
「丁寧にありがとう。ヘルバグラスティの一席を担っております、ロゼルティナですわ。」
そう言ってゆったりと笑んで見せるその顔は、なるほど母様と似ていた。ロジィレイニヤ=ティナ・ヘルバグラスティ、中央魔術園現所長にして、クラヴィア最高峰との呼び声も高い魔術師。そして、母様の姉…ということは、私にとっては伯母にあたる人。
…では、あるのだが。どうしてここに居るのだろう?僅か泳いだ視線を悟ったのか、ロゼルティナ様は、立会人よ、と言う。
「禁呪に指定されている魔法を使用する際は、王族以上の立会が必要とされるのよ。ましてや今回の様に重ねてかけるとなれば、皇族の中でもそれなりの地位にあるものでなければならないもの。」
「重ねて?」
「あら、説明はこれからだったのかしら?」
ことりと首を傾げれば、彼女もまたその前髪をわずかに揺らす。そこへ、陣の最終チェックが終わったのか父様とメイアが歩いて来て。
「ええ、ルナには転換魔法をかけるとしか伝えていません。」
何せ急でしたので、と父様は肩を竦めてみせる。続けて曰く、この魔法陣は転換魔法ともうひとつ、地のマナ適性封印の魔法が組み込まれているのだそう。目と髪の色の現れ方は、それだけで個人を表すことが出来るほど種類が多い。例え同じ適性を持つ二人が居たとしても、色の濃さや切り替わり方が違っているのだそうだ。だから髪の色を変えるだけでも別人と認識されやすくなるとのこと。
「けれど、適性を封印してしまえば、当然その属性の魔法は扱えなくなる。だからこれも禁呪に指定されているんだよ。」
「まったく、こんな魔法陣の発動許可を一体どうやってとったのかしら。」
父様の説明になるほどと頷くも、こんなの二度は無いでしょうね、と溜め息交じりのロゼルティナ様の言葉に、この魔法はどうやら私の思っているより随分と大がかりなものなのだと気付く。何せ父様がテンポよく進めていくものだから、認識や実感がいくらか置いてけをくらっていたのだ。
「おや、私は規範に沿って正しく議会から許可を頂いたまでですよ。さ、ルナ、始めようか。」
柔く笑んで首を傾げてみせる父様は、とても白々しく見えました。これが上流階級って奴か怖い。私は大人しく従うことにして、よいせと乗り上げた寝台は、見た目に反して好意的に体を受け止めてくれた。仰向けに寝転がればメイアがシーツをかけてくれる。この年ならそうそう大きく体が変わることはないだろうけれど、念のためだそうだ。
そうして陣の内側には私以外誰も居なくなり、父様が唄うように呪文を唱え始める。空色を中心に、橙と、茶と、緑の欠片が絵を描くように集まってきて、ぽわ、ぽわ、と淡く輝いていく。声は聞こえてくるのだけれど、なぜか不思議と言葉として聞き取れなかった。波のように抑揚がついたそれを聞くともなしに聞いているうちに、ゆわりと視界が溶け、いや、これは、眠くなって、ぼんやりと、音が、わあ、ぽかぽかしてきた、なんだろ、これ、は、
痛い。
ぴりっと、全身に痺れが奔る。うっかり足を攣って不意に起きてしまったような、言うならばそんな気分だった。気付けば声は止んでいて、色の欠片も見当たらなくて、だからきっと終わったのだろう。となれば起き上がるべきだろうか。でも、なんだか全身筋肉痛にでもなったみたいにじわじわと痛くて、どうにもうまく力が入らない。
それでも何とか騙し騙し体をひねって横向きになり、両手でよいせと上体を持ち上げる。反動でさらりと髪が靡き、その毛先が腰まであったのに鎖骨の辺りまでになっていることに驚いて、さらにそれが見える限り橙一色に染まっていることに気付き、おお、と思わず声が漏れて、
「うわ、声変わってる…?」
風邪をひいたときとか、寝起きとか、そういった場合に近いくらいの変化だったけれど、意識してつぶやけば確かに今までの声とは違っていた。まあそりゃそうかと思いつつ、よっこらよっこら起き上り、なんとか縁に座ったところで父様と、その後ろにメイアがやってきて。
「気分はどうだい?」
「はい、少し、怠いというか…動き辛い感じはありますが、気分はいたって普通です。」
「それならよかった。ふふ、こうして見るとルカとそっくりだね、これは困った。」
まったく困ったようには見えない笑顔で父様が言う。思わず胡乱な視線を送れば、そういう顔をするとほとんど同じ顔に見えるとさらに笑む。そりゃ二卵性とはいえ双子で、さらに今となっては同性なのだから似ているでしょうよ。
「どこか痛いところはあるかい?」
「全身が、その…引き攣れるような鈍い痛みがあります。」
筋肉痛、で通じるのか不安だったので別の言い方と思ったものの、ぴたりと当てはまる言葉が見付からず。けれど言いたいことは伝わったようで、思い切り走り回った次の日みたいに?と問う父様に、はいと返す。
「そう。その程度なら問題は無いだろうけれど、長引くようなら言うように。」
それにまたはいと応える。そのタイミングで、す、とメイアが前に出て、手鏡を差し出す。覗けば、確かにルカそっくりの顔がそこにあった。たれ目気味だった目はそのままだけれど、角度を少し変えて見れば瓜二つと言えなくもないくらい。決定的な違いと言えば、首をぐるりと一周する模様だろうか。何でもこの魔法刻印は、今の魔法に使った陣を簡略化したもので、組み替えた体の維持と適性封印に伴う体内の魔力の凝りを解消する役割があるとのこと。見る人が見ればそれだと解ってしまうものだと言うので、チョーカーか何かで隠すべきだろうか。
そうやって自分の顔をしばらく眺めていたわけだけれど、ふと既視感を覚えた。空色のたれ目、橙の髪、口元の黒子…は、んん?違うかな、やっぱり勘違い…いや、何と思い違ったんだろう?
掴めそうではっきりとしないそのもやもやは、父様のうちへ帰ろうか、という一言であっさりと霧散してしまった。




