オレンジティーと義務と権利
そもそも事の始まりは、兄様をうちへ引き取ったことだったという。ファエラは特殊な功績を上げたことから侯爵の称号を賜った家で、だからこそ、数代にわたる非人道的とも言える行いを、誰もが諌めあぐねていたそうだ。
とはいえこれ以上は、と制裁の方向へ議論が進められていたところに、一家は文字通り吹っ飛んで消えてなくなってしまった。それを好都合だと考える者は、しかし誰も居なかったという。その特殊な功績、というのが相当厄介なものだったらしく、今後への影響とこれからの対応に当時皇館は上を下への大騒動だったと。
「まず、真っ先に問題になったのは残されたファエラの子の処遇よ。皇館に引き取る案がまず出されたのだけれど、では誰が直接彼の面倒を見るのかというところで、議論が止まってしまったの。」
中央魔術園に通っていたから、兄様自身の素行や成績に問題がないことは周知のことだったという。けれど、それでも率先して手が上がらなかったのは、兄様がファエラの家の事情にどこまで組み込まれていたのか、あるいはいなかったのか、判断する材料がほとんど無いに等しい状態であったから。
「ファエラの家の事情や特殊な功績については、3年経った今でも解らないことの方が多いわ。ディンも素直に協力しているのだそうだけれど、聞かされないまま育てられた部分が多いようね…そして公式に残された記録はもっと少ない。」
八王家のどれかにやって、ファエラの屋敷跡からあまり遠ざけることは避けたい。しかし皇族が直々に面倒を見るには懸念材料が多すぎる。貴族に任せるには、いささか荷が重い。
「…ではどうして、父様は兄様をうちへ引き取ったのですか?」
こぼれた疑問は、ルカの声であり、私の思いだった。厄介ごとを押し付けられた、訳ではないと思いたい。
「どうしてだろうね。…あの子が君達の間で笑ってくれたら、どんなにいいだろうと、なぜかそう思ってしまったんだよ。」
降って湧いた男性の声。いや、父様の声。いつの間に帰ってきていたのか、扉が開いていたのか、全く気付かなかった。
「エルド様、お帰りなさいませ。お出迎えもできず…」
「いや、いい。すまないねメルティナ。随分と重い話を君にさせてしまったようだ。」
立ち上がりかけた母様を父様が制す。後ろに控えたタイガーアイのブローチの使用人は、音もなく開けられていた扉を閉め、ごく自然な動作で父様の座るべき椅子を引く。父様が座れば、絶妙なタイミングでエメラルドのブローチの使用人がオレンジティーを供する。わあうちの使用人すごい。
驚きのまま、私とルカがお帰りなさいませと言えば、父様は優しく笑んでただいまと返してくれた。
「もうほとんどはメルティナが話してしまったようだね。まったく、うちの子達の賢さには参ってしまうよ。」
本当はもう少し後、ルカが中央魔術園の入所準備を始める頃に話そうと思っていた、と父様は苦笑する。
「そうだね…いよいよ進退窮まった議会は、なればここは公爵家で引き取っていただけないかと打診してきたんだ。その時はセゼル殿も健在だったうえに、ピンクドラウトにはお子が4人いらっしゃったからね。うちへ引き取るのがいいだろうと話がついた。末子として育てられるよりは、兄として慕われた方がディンのためにもいいのでは、とも思ってね。」
そして想った通り、良い結果を結んでくれたのだけれど。ふ、と父様は息をついてオレンジティーを飲んだ。ええとつまり、兄様は、爆弾というよりは火薬のような立ち位置なのだろうか。使い方一つ間違えるととんでもない事になる、けれど有用なとびっきりの脅威、と。おーけーおーけー。
何とか頭を整理させる。ルカはと見れば、何やら考えてはいる様だけれど理解が追いついていない、ということはなさそうだった。え、ルカ賢い。
「じゃあ、ここからがルナの話だ。今、グレイスコールは風当たりが強い。そして、ルカは中央魔術園へ入所することが決まっている。ルカの事だ、きっと良い階級まで上り詰めるだろうね。ディンは言うまでもなく成績優秀、将来も有望だ。そこにルナが入ってしまったら…将来的にアステのクラスはグレイスコールが2席、埋めてしまうね。」
アステ、というのは、普通の学校でいうところの生徒会役員だ。ただし、魔術園のそれは実力と人格から厳選された、所長直命の僅か五名。その威光たるや、たかが学校の役員に留まらないと言われる。アステに選ばれるのは最終学年、今から9年ほど先の話だ。けれど、ピンクドラウトの奥様が今この瞬間ご懐妊されたとしても、お子には9年後ではまだそういった価値は低い。双家の均等はとられていることが望ましい。これ以上こちらに傾かせるわけにはいかないのだと。そこまで言われてしまえば、“私”はもう黙るしかなかった。
「ひどいことを言うよ、これは、ルナ、君が君であるが故に叶えてあげられないんだ。グレイスコールの家の者である限り、許されないわがままなんだ。」
はい、と頷いた。解りたくなかった。でも理解してしまっている。権力の裏にはぴったりと義務が糊付けされているのだ。それは歴史や矜持なんかが少しの隙間もなく枠取りしてしまっていて、どちらかだけを取り出そうとすれば、簡単に全部が壊れてしまう。少なくともこの世界、この国、この家はそういうものなのだ。
「どうして!だってルナは、」
「いいよ、ルカ、もう戻ろう。」
「…なんで。」
「…なんでも。」
私にもこれくらい子供気があればよかったのかな。けれど余計こじれるだけのような気もする。なんにせよ、頷いてしまった以上、今日はもう引くべきだろう。
「母様、父様、きちんとお話してくださってありがとうございます。夜の女神がお二人に安らぎを齎します様に。」
ルカは全面的に納得いかない、という顔をしていたけれど、それでも部屋を辞す私に従ってくれた。とはいえ、数歩歩いてきたところで思いっきりにらまれたわけだけれども。
「なんであんなあっさり引き下がるの。納得して諦めたって?」
「そういうわけじゃない、けど…んん、あれ以上は本当に無理だったと思うよ。」
でなけりゃあそこまで込み入った話を引き出さない、と思う。ルカも口では、どうだか、なんて言っているけれど、解ってはいるのだろう。解ったうえで、だからこそ憤るか、引き下がるか、そこが私たちの違いなんだな、なんて。憤ることのできるルカは、きっと当主に向いている。期待して、前へ何か変えていこうと思えるルカは。
「ちょっとルナ、他事考えないでよ。僕の問いに答えてない。」
「わあ鋭い…うん、うーん、諦めたく、ない、かな。」
「ふぅん…じゃあ別のアプローチを考えないとね。」
うん?なんだかこれ以上ないくらい積極的だねルカさん。ぱちくりと目を瞬かせれば、ルカはそのまぁるい目を眇めて言う。
「ルナと魔術園に通えるならその方が嬉しいに決まってるでしょ。なに、迷惑?」
「ううん嬉しい、ありがとうルカ大好き。」
「素直すぎて気持ち悪いんだけど。」
「ごめんつい本音が。」
「…なにそれ。」
そうやって満更でもなさそうにルカは笑った。ちくしょう毒舌ツンデレキャラはもう育っていたというの…じゃなくて、ええと。
「とりあえず、明日、もうちょっと考えてみようと思う。」
「じゃ、僕は明日館には行かないで家に居るから。」
うん、と頷きあって、おやすみの挨拶をして、其々の部屋に戻る。
「…楽しそうですね、ルナ様。」
「…ん、うん、楽しい、かな。うん。」
メイアが落ち着かせてくれたおかげだね、なんて言ってみれば彼女には珍しく驚いたような表情を見せて。だからやっぱり私はなんだか楽しくなって笑ったんだ。




