始まりの朝
声が聞こえる。ぼんやりとした、ホットミルクの中みたいなふわふわとしてほっとするようなこの空間にまるで相応しくない、低く威厳に満ちた声。
“ーー汝が真名はハルディナ・グレイスコールーー風と地、炎の加護を受けし汝を我らはルナと呼ぼうーー”
それはきっと、私の最初の記憶。そして、あたしの、最後の記憶。
ーーー
ーー
ー
声が聞こえる。ふわふわとした微睡みをそうっと遠くへ追い払うような、優しくて柔らかいけれど、芯の通った声。
「ルナお嬢様、朝でございますよ。」
その声に導かれて瞼を上げる。寝起きのぼやけた視界で、まず認識できたのはたおやかに微笑む、まだ少女と言って差し支えない女性。
「お早うございます、お嬢様。」
柔らかな光を湛えている紫紺の瞳。キャップにきっちりと収められている銀の髪は、緩く波打ち毛先にゆくほど橙に染まっている事を知っている。
限られた者のみが身に纏うことを許される黒と赤を使ったお仕着せを、一分の隙もなく着こなす彼女。真名を交わした、ハルディナ・グレイスコールにだけ仕える侍女。
「おはよ…メイア…」
まだぼうっとする頭のまま、ゆっくりと起き上がればメイアが水の入ったコップを差し出す。いつものように受け取って口に含めば、きつすぎないレモンの酸味と香りが眠気をすうっとルナから遠ざける。
コップをメイアに返し、そのままの流れでベッドの縁に座れば、お湯を絞った柔らかい布で足を拭かれ靴下が穿かされる。その間に、寄せられたサイドテーブルのぬるま湯でぱしぱしと顔を洗い、絶妙なタイミングで差し出されたタオルで顔と手を拭く。
使ったタオルを受け取ったメイアの手を借りてベッドから降りれば、メイアは慣れた手付きでルナの着替えを済ます。
「さあ、できましたよ。」
姿見の前で髪を軽く整えられて、朝の支度は完了。いつものことだ。
いつものこと、だというのに。
「…うん、ありがと、メイア。」
「あらあら、今日は一段と大人しくいらっしゃること。」
ふわりと笑うメイアに、この一連の流れに、こんなにも違和感を覚えるのは、鏡の向こうから自分を見返すその姿にこんなにも違和感を覚えるのは、
「…ルナお嬢様、どうぞあまりお気を落とさないでくださいな。イメラ様も、きっと解ってくださいます。」
「…うん。」
メイアの案じるように、生まれてはじめての大喧嘩を仕出かしたから、と言うわけでは…ないのだ。
いや、全く関係がないわけではなく、むしろそれがすべての切欠であったりするわけだが、もたらされた結果が結果なだけに誰にも相談できず、こうして違和感に満ちたいつも通りの朝を迎えるに至ったのであって。
食事の間へと促すメイアに大人しく従いつつ、できる限り自然に大きく息を吐いて、ゆっくりと昨日の記憶をたどる。