紅茶とココア
私は話した。と言っても、キラキラしたものをつついたら4連鎖して丸くつながって爆発した、たったそれだけのことだったのだけれど。
「ルナ、マナをつついたの?!」
ルカからぎょっとした声がかかる。
「え、ルカ、マナ知ってるの?」
「知ってるも何も、兄様から…ああ、ルナは聞いてないんだっけ…」
顔を見合わせる私たちに、母様は、ルカはディンから魔法について少しずつ教えてもらっていたのね、と笑む。
「マナを見ることができる、というのは珍しい事ではないわ。見る以上の事をするには、素質が必要なのだけれど…」
曰く、マナ適性のある子供が、それと知らずにマナに干渉することはままあるのだそうだ。そうして事故が起こるのを防ぐため、この国の子供には、一般に干渉できるようになるとされる10歳になると貴賤を問わず国から使者が派遣され枷がはめられる。
しかし、何事にも例外があるもので。それは私のように枷がはめられる前にマナに干渉できてしまった場合だったり、枷で抑えられないほどの適性の持ち主であった場合だったり、様々。
けれど、その中でも私のケースは少し特殊だった。マナだけを繋ぐなんてことは、通常できない事なのだと母様は言う。
マナと人の関係は、まさしく電池と抵抗器の関係だったようで、マナと自身を繋ぐことで現象を引き起こしているのだそうだ。そしてその繋ぐための、いうなればコードの役割を果たすものは自身から切り離されてしまえば瞬く間に霧散してしまう、それはそれは脆いものであると。
「だから、普通なら陣が出来上がるより先に繋がりが切れて、マナはバラバラに戻ってしまうはずなの。」
それがどうしてだか今回、繋がりは切れることなく陣、所謂魔法陣が完成してしまい、マナが暴走した。その結果がこれである。しかも悪いことに、あの爆発は風のマナの引き起こした風の暴走ではなく“風のマナの暴走”だったのだという。
「兄様が、見たこともないくらい焦った顔して、影に吸い込まれるみたいに消えたんだ。そしたら、ルナの部屋からすごい音が聞こえて…驚いて、とにかく行かないとと思って、それで…」
ドアを開けた時の惨状を思い出したのだろう。顔面蒼白でルカが言う。
「そう…影を伝って転移したのね。その後結界で暴走をあの部屋に封じ込めた…あの子の才能も恐ろしいものだわ。」
おかげで屋敷が半壊せずに済んだけれど、と思いもしなかった母様の言葉にぎょっとする。
「屋敷が…半壊するところだったんですか?」
「ええ、そうなってもおかしくないほどのエネルギー量だったわ。その中で貴女は無傷、あの子の怪我もあの程度で済んだのですから…きっと身を守る結界も張ったのでしょうね。けれど、それが仇になった。」
そう言うと母様は紅茶を一口飲む。私も手元のマグをそっと見る。注がれているココアは、少し冷めてきていて猫舌の私にはちょうどいい温度になっていたけれど、それに口をつけようとは思えなかった。
「どういう…事でしょうか。」
「…あまり、こういうことはルナ、貴女に直接言うことではないのかもしれないわ。けれど、後になって外の人から、真実でないことと一緒に伝えられるような事になるよりは、今言ってしまった方がいいと母様は思ったの。」
「あの子の…ディンの左目は、おそらく見えなくなってしまったわ。」
それは一生、治らない…治すことはできない。絶句する私に母様は続ける。
「封じ込めるため、身を守るため、あの子は魔法を使った。あれほどのマナの奔流の中で、陣を繋ぐのは簡単ではなかったでしょう…けれど、あの子はそれができてしまった。あの空間のマナと己を繋ぐということは、暴走したマナの影響を少なからず受けることになるわ。」
同じ風属性であれば相殺できただろう。もしくは対極である地のマナ適性であるならば、まだその影響も少なかっただろう。
だが、兄様の第一属性は近しい水。さらに言えばその時使った魔法は第二属性の闇…風に最も近しい属性のひとつだ。暴走した風のマナは兄様の内部エネルギーの流れまでもを狂わせた。それを鎮め元に戻さないことには、体の傷を治す魔法すら、掛けられない状態だったのだという。
「体の傷を塞ぐことはできたのだけれど…そもそも、マナのエネルギーによって害されたものは、魔法で元に戻すことは難しいの。雷や、嵐や…地震などで、毎年少なからず被害が出るでしょう?その度に皇館から魔術師が何人も遣わされるのだけれど、元に戻すにはとても長い時間がかかるのは、だからなのよ。」
「それは、じゃあ、兄様の傷は、ちゃんと治らないと…そういうこと、なのですか…?」
「…ええ。傷跡は、長く残るでしょうね…特に目は、マナに対して一番敏感で、一番無防備だから。」
きっと、一生、残るだろうと。
「そん、な、」
二の句が継げない、ってこういう状態だろうか。いや、あれは呆れて物が言えない状態を指しているんじゃなかった?それじゃあ今の私を表すのはどんな言葉だろう。嘘でしょうと、信じられないと、ああやっぱりと、どうしてこんなことにと、なんてことをしてしまったのだろうと、全部が混ざり合って渦巻いているような、この状態は。
そうやって、大鍋をぐるぐるかき混ぜていると不意に何かにこつりと当ったように、ある憶測が浮かぶ。
「…兄様が助けに来なければ、屋敷が半壊するだけで、済んだ…?」
浮かび上がったそれは、抑える間もなく零れ落ちる。きっと私は無傷じゃあ済まなかっただろうけれど、同属性ならば相殺も可能だと、さっき言ってはいなかっただろうか。
呆然と、そう呟いた私を、やっぱり気付いてしまうのねと、悲しそうに母様が見つめる。
「貴女は相応の怪我を負ったことでしょう。けれど、それを治すのは、今よりは容易かったと思うわ。」
では、じゃあ、それなら、ディン兄様は、兄様のしたことは、
「やめてよ!」
ガタンッ、と普段なら絶対に立てないような音を立てて、ルカが立ち上る。
「母様もルナも、兄様を、兄様のしたことを否定するようなこと、言わないでよ!兄様は本当にルナのこと大事に思ってるんだよ!ルナが傷付くとこは見たくないって、守ってやりたいって、いつも!だから兄様のしたことは正しいんだよ!それを、その思いを、何よりルナが踏みにじるようなこと、僕は許さない!」
ルカでも、こんな風に怒ったりするんだな、なんて。驚きすぎてそんな場違いなことを思った。眉根を寄せて、涙目で、声を荒げて。
「ごめ、ん、ルカ。そんな、つもりじゃ、なかったんだけど…」
何とかそう言えば、本当だろうねと言いたげにギッと睨まれて、さらにたじろぐ。もう一度ごめんと重ねれば、ルカはふん、と鼻を鳴らして、部屋を出て行ってしまった。