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狐火!~狐少年の奮闘記~  作者: 鈴雪
第十三章 コミケ
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第六十五話 刹那くんの頼みごと

 夏は暑い。しかしながら木陰は程良い気温であり、日課の訓練のあと汗を拭きながら涼んでいた。

 風鈴の涼しげな音、鳴った電話の音を聞きながら青々とした空を眺めて夏だなあと思いを馳せる。そんなとき、

「空狐くん、刹那くんから電話〜、なんか緊急事態だって」

 緊急事態? 刹那くんが?

 少し心配になって家に上がって電話を取る。

「もしもし、刹那くんなに?」

『頼む空狐、ちょっと手伝ってくれ。詳しいことは後だが、とりあえず、五日ほど手伝ってくれ。三食付きは約束する。もちろん給料付きだ』

 五日かあ……まあ、特にすることないしいっか。それに給料をもらえるってのも魅力的だし。

「いいよ。すぐそっち行くから」

『わりい、恩に着る』

 そう言って刹那くんが電話を切った。

「舞さん、刹那くんに呼ばれたからちょっと行ってきます」

「うん、わかったよ。後でわたしも見に行くから」

 僕は身支度を整えて舞さんにそう伝えてから家を出た。


 刹那くんの家は静かだった。まるで人がいる気配がない。どうしたんだ?

 不審に思いながらも家に上がると刹那くんが出迎えてきた。その目には隈がくっきり浮かんでいた。な、なにがあった?

「よう悪いな空狐」

「あれ? 朱音さんは?」

 いつも出迎えてくれるのは朱音さんなのに。

「ああっ、アルトと友達んところに泊まりに行ってる。予想してたんだなたぶん」

 予想? なにを?

「まあ、いいから上がってくれ」


 そして、居間。僕らしかいないせいで非常に静かだ。

「で、緊急事態ってなに?」

 改めて僕は聞く。隈が浮かんでいるのもそのせいだと察しはついている。

 すると刹那くんは視線を逸らす。

「実はな、終わりそうにないんだ」

 終わりそうにない? なにが?

「夏コミの新刊」

 ……わお。そりゃ大変だ。刹那くん確か、今年は壁際じゃなかったか?

「連載分先終わらせてたらあと五日の今日まで半分もやっていなかったんだ」

 ふーん、そうなんだ。大変だね……いや待て、連載?

 恐る恐る聞いてみる。

「連載って、漫画描いてるの?」

「うん、黒瀬トワってペンネームなんだけど知ってる?」

 知ってるも何も売れっ子ですよねーー! 僕も漫画全部買ってますよーー!!

 黒瀬トワ、十年ちょっと前に『月刊飛翔』でデビューした漫画家で、性別その他一切不明。噂では編集部も知らないとか。

 代表作の名は『天使の約束』。現在五年間、連載してその間にアニメやゲームにもなっている。

「サイン頂戴! サイン!」

 いいぞ〜っと刹那くんが嬉しそうに答える。

 んっ? でも……

「アシさんいないの?」

「朱音がいるからアシはいないよ。あいつ早く正確に作業できるし」

 そう言えば朱音さんってアンドロイドだっけ。なら、正確無比な動きもできるのであろう。

「だから空狐手伝ってくれ! 報酬は夏コミの新刊と俺の持ってる同人から好きなの持っていっていいから! 頼む!!」

 と刹那くんが土下座までして頼んできた。ま、まあ、面白そうだし、報酬も魅力的。手伝うくらいならいっか。

「いいよ」

 僕は頷く。この時、もし伏せられた刹那くんの顔がとても勝ち誇った顔に気づいていたら、この後、すごく後悔しなかっただろう……


「ここが作業部屋」

 刹那くんがドアを開けるのをドキドキして見る。正直漫画家の仕事場を見る機会なんてそうそうないだろうと思い、少しワクワクしていた。

 部屋の中に入る。

 真ん中に机が二つ。その上にはライトテーブルがあり、その周りに羽根ペン、Gペンなどが差されている。

 そのそばに本棚があり、横に番号が振られた棚があった。と、ここまでなら、まだよかったのだが……

 その机の下には丸まってしわくちゃになった紙。空っぽのカップ麺、空になったカロリーメイトの箱、ほかお手軽に栄養補給ができる食べ物など所狭しとゴミが散乱している。ソファーの上に転がった寝袋、おそらく仮眠道具。

 そして開けっ放しの棚からトーンやらなんやらがはみ出していて、さながら腐海という表現がピッタリだった。

 しかし、僕が一番最初に感じたのは、その汚さより臭さだ。

 片付けられてない空のカップ麺や、ビンから立ち上る臭いとインクなどの独特の臭いが混ざってなんとも言えない異臭が立ちこめていた。

 なぜ開くまで臭いのに気づかなかったんだ? いくら僕が半妖とはいえ人間よりかなり鼻がいいのに気付かないのはおかしい。

 鼻を抑えながら強烈な臭いに耐え部屋に入る。

「そういえば、あとどのくらいなの?」

 聞き忘れた肝心なことを聞く。

「あとペン入れが十七ページ、仕上げが四十ページ」

 ……あの、それってあと五日でできる分量じゃないと思うのですが?

「表紙も線画だけ。この後パソコンで仕上げる」

 おいおい、ヤバいですよそれ? そんな状況に素人巻き込むつもりかな君は?

「飯が食いたくなったらそこにカップ麺やカロリーメイト入ってるから勝手に食って。昼寝もできれば一、二時間で。ああ、地下の『アトリエ』は今、整備中で使えねえから」

 刹那くんが指したダンボールの中を見る。中にはカップ麺やらカロリーメイトがたくさん入っている。まさか、三食ってそれのこと?

 さ、最悪の労働条件だ……絶対に労働基準法違反だよ。

「帰らせていただきます」

 僕はくるっと反転してこの場から逃げようとする。しかし、

「逃がすかあ!」

 泣きながらシャツの裾に捕まる刹那くん。

「こんな条件で仕事できませんから」

 刹那くんを引きずりながら、淡々と僕は答える。んなもんやってられるか!

「萌え萌えコレクションver.A-01全部やるから! なあ、頼むよ!!」

「いや、いらないよ」

 構わず進む。それなら好きなキャラ分は持ってるし。

「今ならりゅーみんの限定本もセット! これならいいだろ? だから!」

「い、いや、いいって……」

 ちょっと足取りが遅くなってしまう。りゅ、りゅーみんかあ……

「なら持ってけドロボー! スタジオかちゅーしゃの秘蔵同人誌! これ、どんだけプレミア価格付くって思ってんだ!?」

「……っく、無駄無駄!」

 かなり足取りが遅くなってくる。か、かちゅーしゃ……あのかわいくてそして、なんかエロいあの絵かあ。

「出血大サービスで結衣姫の武御雷をやる! 前欲しいっていってただろ!? なあ!? どうよ!!」

「…………」

 動きを止めた。あの結衣姫の? 再販なんてしないであろうあの?

 僕の前に僕に白い羽の生えた天使っぽいのと、黒い羽の悪魔っぽいものが浮かぶ。

「私はあなたの理性です。ここは逃げるのです。誘惑に負けたらどうなるのかわかってますか?」

「俺はお前の欲望だZE。こんなに色々くれるって言ってるだから、引き受けちゃいなYO」

 戦いを始める天使と悪魔。天使は防戦一方で今は悪魔のターンだ。

「よし、秘蔵の黒帝の画集も渡す、これならどうだ!」

 天使を桜花砲でぶっ飛ばす悪魔。ふ、さらば我が理性。君の頑張りは忘れない……

「分かったよ、刹那くん」

 満面の笑顔で僕は頷いた。


「……なんであんなに必死に食い下がったんだろ?」

 よく考えれば、どう考えても俺、割に合ってないよな?

 だが、もう後の祭りだった。小躍りする空狐が憎たらしい。

できる限り夏コミ前の修羅場を表現したいと思っています。

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