第五十三話 猫とイヴ
朝、少しの違和感とともに目覚めた。
なんだろう……何かが足りない気がする……そうだ、部屋にイヴの気配がないんだ。
ほんの少しの変化、だけど僕には十分な変化だ。普段はいるのが普通だったからなんか寂しい。
制服に着替えてから時計を確認。いつもなら舞さんが起きてるはずなのにそんな気配がない。なんで?
寝坊してるかもしれないと思って舞さんの部屋に行く。
「舞さん朝……」
「たすけて〜」
部屋にはいるとイヴの苦しげな声。えっ?
慌ててベッドに近づくと……舞さんの口から棒が生えていた。いや、動いてる? これは……イヴの足だ! イヴが舞さんに食べられている?! だいたい胸の当たりまでが口の中に入っている。
えええっ?
どういう状況かよくわからないけど、とりあえず……
「ま、舞さん起きて、イヴを食べたら罰が当たっちゃいますよ。主に腹痛という名の」
失敬な! という声は無視。そして、うっすらと舞さんは目を開けて、
「は、おはひょうふーほふん」
薄い笑顔を浮かべながら舞さんがもごもごと口を動かして、
「ひゃん! いた! は、早く出して〜!」
イヴの悲痛な叫びが響いた。
「うう、もうお嫁に行けない……」
「行くつもりだったの?」
頭の上で嘆くイヴにそう聞くと「失礼ね!」と頭頂部に蹴りを入れられた。
舞さんも「失礼だよ」とイヴを擁護する。
そんなもんかね?
家を出て刹那くんちに向かうと、箒を持った朱音さんが掃除をしていた。
「おはよう。刹那とアルトはすぐ来るよ」
朱音さんが柔らかく微笑む。
「あの、」
「ああ、聞いてるよ。今日は私がイヴを預かるんだよね」
昨日のうちに刹那くんと相談したことだが、刀に入れない今のイヴを連れ回すのは少々危ないため朱音さんに預けることにしたのだ。
「はい、よろしくお願いします」
そう言って頭の上のイヴに手を伸ばして座らせ、朱音さんに差し出す。
イヴは距離が詰まるとぴょんと朱音さんの肩に飛び乗った。
「お願いね朱音」
「ふふっ、よろしく。イヴ」
朱音さんが微笑む。安心する笑顔であったのだが……これがイヴの大冒険の序章であったのをまだ僕らは知らない。
皆さんこんにちは。私ことイヴは畳の上でゆっくりひなたぼっこをしています。
今この家には私しかいない。なぜなら朱音は今晩の夕食を買いに出てしまったから。おかげで私はひとりでのんびりできる。
「ん〜っ!」
思いっきり伸びをする。どうやら張り替えたばかりの畳みたいでポカポカ陽気と一緒に若草の香りが漂ってきていい感じ。その上に自慢の髪を広げる。
「あーん、さいこー!」
そうやってゴロゴロしていたら、
「にゃー」
耳元で猫の鳴き声。
……恐る恐るそっちを見ると、真っ黒な猫がいた。その毛色はもう驚くほど黒く、まるで夜の闇のよう。そして目が金色のせいで、闇の中から目だけの化け物が迫ってるように見える。
赤い色の首輪がついてるから飼い猫だとはわかるのだけど……その猫がじっと私を見ている。嫌な汗が垂れる。
「そういえば、猫とか勘のいい動物には見えるのよね私」
黒猫が前傾姿勢をとり、飛びかかろうとした瞬間、私は起き上がって走り出した。間一髪飛びかかる猫を避けられたが、猫はまだ私の方を向いている。
「もてる女は大変ね!」
軽口叩きつつ走り出す。普段と比べて涙が出そうなほど遅かったが、それでも飛びかかる猫を身のこなしで避ける程度は動けた。ほぼ紙一重だが……
「こんのー!!」
さすがにずっとこの状況はまずいと思い庭に向かって駆け出す。そして、思いっきり飛び上がる。
「ここまでついてこれるかしら?!」
ばっと羽を広げてある程度の高さを跳ぶ。
さっき試してみた結果、頑張れば空狐の膝くらいの高さを跳べることがわかった。
もちもん猫は空を跳ぶことはできず、重力の法則(N=gh)に基づいて地面に落ちていく、が、そこは猫。器用に着地してこっちを追いかけていく。
「まったく! しつこい男は嫌われるわよ?」
ひょいっと避けながらそう言う。だけど普段なら坂野サーカスばりに飛び回れるのに今日は人間の歩くくらいのスピードと身を捻る程度にしか動けなかった。
今はいいが、そのうち殺られる。
「くー、イヴちゃんピンチ」
と、その時視界の片隅に塀の穴を見つける。隙間だいたい四、五センチほどで、私ならギリギリ通れる。
よおし!
全力でそこまで羽ばたき……手前で降下。
地面につくと同時に走り出してスライディング。
「イヴちゃんスライディング!」
そうしてなんとか塀の向こうに出る。猫は頭が出せるくらいしかできない。
「へっへーん、悔しかったらこっちに出ておいで。べーっだ!」
今までの屈辱が晴れる訳じゃないが、何割かはすっきりした。お気に入りのドレスのスカートに泥が着いちゃったけど仕方ないと諦めておこう。
私は家に戻るため飛ぼうとして……殺気を感じて塀の上に顔を向け、時よ止まれ。
そこに猫がいた。うん……私を追いかけていた猫だ。
汗がだらだら流れる。いや、確かにこっちに出てこいって言ったけど、そんな律儀に……
そして時は動き出す。
飛びかかってくる猫に対し私は飛び上がり……走りだそうとしていたトラックの荷台に飛び込んだ。猫が着地し、こっちに飛びかかろうとする間に走り出したトラックはかなり距離を離していた。
「や〜い、追いかけられるもんなら追いかけておいで〜だ!」
ここまで来たら大丈夫でしょ。とりあえず、次にトラックが止まったら降りようと思っていたが……
いきなりガクンと、ブレーキがかかり、体が後ろに投げ出される。
はいっ?
後頭部をしこたま荷物にぶつけて、
「きゅう……」
私は意識を失った。
鈴:「どうもみなさん。鈴雪です」
刹:「どうも刹那です」
鈴:「力を失ったイヴ、無情にも彼女にとてつもない試練が訪れました」
刹:「まあ、ぶっちゃけ迷子になるだけだけどさ」
鈴:「さあ、彼女の運命は?」
刹:「根性で家に帰ることだろうな」
鈴:「せつな〜、水差すなよ〜」
刹:「それではみなさんまたの機会に」
鈴:「それでは」
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