第九十六話 月狐が行く
銀色の狐耳が揺れる。銀色の尻尾が跳ねる。手に携えた愛刀蒼天をしっかりと握りしめて、私は森の中を走っていた。
「月弧さん」
「うん」
朱音ちゃんの声に頷き、一緒に立ち止まる。私たちの目の前に、二人、いえ二柱が顕現する。
ごくり、と私は唾を飲み込む。
そう、二柱。ただの人間が見ればそれだけで気絶、悪ければ発狂しかねないほどの圧力に私は思わず一歩引いてしまっていた。
今回の犯人、どうやら朱音ちゃんの言ってた通りなのね。
片方は細い。だいたい一メートル八十センチくらい長身で長い金髪の、女性と勘違いしかねないほどの美形。
もう片方の子は女の子。くーちゃんと同じくらいの背格好でセミロングの白い髪、黒いゴスロリ調のドレス。可愛らしい顔に底の知れない笑みを浮かべている。
朱音ちゃんは油断なく武器を構える。私も構える。油断は欠片もないけど、見た目とプレッシャーの落差に感覚が狂いそう。聞くと見るとでは本当に違うわねえ?
二柱がこっちを見る。それだけで圧力がはね上がる。
その圧力にまるで物理的な力がかかるようにまた一歩引いてしまう。
「久しぶりです朱音さん」
相手の女の子の方が朱音ちゃんに声をかける。青年は黙って少女の後ろに立っている。
「久しぶりハカナイ。やっぱりあなたたちが神具を盗んだのね。いったい何が目的かしら?」
儚い? ハカナイ?
ハカナイと呼ばれた少女は朱音ちゃんの問いに笑顔のまま答えない。
それでも朱音ちゃんは質問を続ける。
「あれは欠片、とてもじゃないけどあなたたちが求めるような力とは」
「それでも神具は神具。お忘れですか? そもそも私たちも欠片にすぎないことを」
朱音ちゃんの言葉の途中で彼女、ハカナイは割って入る。
少しでも目的を量ろうとしているように朱音ちゃんはさらに問いかけようとしたけど、その前にハカナイと呼ばれた少女は腰に刺していた剣を抜く。
「問答はここまでです。あなたには足止めに付き合っていただきましょう」
それに軽く朱音ちゃんもため息を吐く。
そして、とんとんと二回地面を踏んで、
「いいわよ。付き合ってあげる」
きんっと金属音に似たなにかとともに空間が変わる。
まずは朱音ちゃんとハカナイの姿が消え、続いて私と青年が結界の中に閉じ込められる。
「結界ですか? しかし、なんのために」
ずっと黙ってハカナイという少女につき従っていた青年が初めて口を開いた。
そう結界。刹那ちゃん特性の神格クラスが暴れてもそうそう壊れないというほどの強度を誇るという。
「あなたたちを分断するためっていってたわねえ」
私は彼の疑問に答える。もし、彼らのような存在が関わっていた場合に備え、里に被害を出さないように隔離するためと刹那ちゃんが言っていたわねえ。
頭ではわかってても実際に相対すればそれが大げさではないということを今私は理解している。
対して目の前の青年はさらに不思議そうに首を捻る。
「分断? なぜそんなことを? 確かに彼女でもハカナイ様と私を相手にすれば危ないとはいえ、この程度の結界がなんの意味があるのでしょうか?」
本当に心底不思議そうにそう語る青年に、ああと理解した。
完全に私のことはアウトオブ眼中なのね。いてもいなくても関係ないと。
まあ、いいわ。実際、今の私はその程度なんでしょうね。でも、見せて見せよう生命の意地。
かちゃっと蒼天を構える。
「天狐神霊流、木霊月狐、推して参る!」
私の名乗りにも特に反応がなく、己の名を返すこともない。
私は駆け、全速で斬りかかる。
ギン!
しかし、それをどこからか取り出した長大な剣で受けられる。
それはまるで巨人の剣。柄の短い両刃の両手剣を分厚く巨大化させたもの。目測で身幅は三十センチ、長さは長身の彼以上で二メートルを超えるほどの、出鱈目な大きさ。とてもじゃないけど人に振れるとは思えない。
さらに連撃。横一文字、唐竹、手首を返しての切り上げ。
しかし、それらを全てを受けられ、さらに反撃の一刀を受ける。まるで自動車事故のような轟音。
まるで飛び回る蠅を払うような適当な、しかし尋常じゃない速度と威力のそれを、後ろに飛んで衝撃を逃がす。それなのに腕が痺れそうになる。
「まいったわねえ」
受けてわかるけど、確かにそれは見た目通りの、もしかしたら見た目以上の重さがある。なのに、それを目の前の相手はまるで重さのない棒切れのように振るう。
質の悪い悪夢のようだけど、それに嘆いているわけにもいかない。少しでも情報を得ようと立ち向かう。
金属がぶつかり擦れる音が世界を支配する。
横薙ぎの一撃を剣の腹で受けた瞬間に流し、そのまま切り替えして斬りかかる。
ゴウッと空気を切る音とともに髪が数本飛ぶ。それでも、私は踏込み、左腕に刃を突き立てる。でも、まるで岩を叩いたような手応えが私の手に帰ってくる。
「鳥籠!」
再び迫った刃を避けつつ、炎を練る。今練れる限りの炎、数百もの炎の矢を青年の周りに展開、一気にぶつける。
爆発音。炎が弾けてあたりが包まれた瞬間に、地面を蹴って炎の中に私は飛び込む。予想通り、炎を抜けた先にはまったくの無傷の青年が私の前に現れる。
私はステップを踏み、身体を揺らす。そして、
「奥義の弐、朔月」
地面を全力で蹴る。
強く踏み込んで、青年の死角から渾身の一撃を放つ。
「はああああああああ!!」
奥義の弐、朔月。視線誘導や足さばきで相手から自分への意識を外すことで必ず死角から攻撃するのがこの奥義の肝。
自分でも完璧と自負できる一撃。それが青年の首へ届く。しかしながら……
再び生身を叩いたとは思えないような音と手ごたえが帰ってくる。
じっと私を見る青年。傷一つもない首筋。つまり、私の渾身を込めた一撃でも欠片の傷も与えられなかった。
「これでも、駄目なのね」
すぐに私は大きく後退する。それを彼は黙って見逃す。
ここまでやってわかったことがある。純粋な剣技の面では私の方が上ということ。まあ、ちょっとした差でしかないけど、お陰で私は渡り合えてるのよね。
同時にわかるのは相手は本気を出してないこと。
私程度にその価値もないといいたいのかしら? まあ、事実なんでしょうけど。
なにせ、今のように相手の防御の隙間を突いて、何回か刃を当ててるけど傷なんて欠片も与えられない。まるで山に向かって刀を振るってるような感じ。
「人間、としてはやるほうではあるみたいですね」
ぼそっと青年は呟く。
私、妖狐だけど、っと突っ込もうとしてやめた。どうせあまり変わらない程度の感覚でしょうし。
「いいでしょう。なら付き合ってあげましょう。まあ、あなたが耐えられるのならば。ですが」
初めて青年が私へと意識を向けた。
ただそれだけで圧し掛かるような重圧が私を襲う。手が震える。怖くて怖くて仕方ない。
それでも、私はぎゅうっと剣を握る。そう、私がここで戦わないといけない。クーちゃんたちの方に行かせないためにも、そして、もう一つ……私のためにも戦わなないとねえ。
「アンテノーラ、参ります」
青年が名乗る。
がっと地面を蹴って私は飛び出す。
アンテノーラと名乗った青年が剣を振るう。そして、世界は凍った。
鈴:「どうも、今回は空狐の母である月狐視点です」
刹:「次回は俺だよな!」
鈴:「いや、空狐」
刹:「そうか……」
鈴:「まあ、今回のは相当やばいラインかなあっと。だいぶ世界観の裏出したので。それでは!」