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私と雨とわたし *挿絵有り

 しとしと、ぴちょぴちょ。どっちの方が雨の音に合っているのかな。

 ぼんやりとそんなことを考えながら雨雲の広がる窓の外を眺める。

 薄暗い教室には私一人だけ。部活の騒がしい声が遠くで響いている。最近の私ならとっくに帰って、以前の私なら部活をしている時間。今日の私はそのどちらでもなく、教室で窓の外を眺めるという行動に出た。理由は特にない。強いて言うなら家に帰りたくないから。

 前は楽しかったのにな、と心の中だけで呟く。

 ほんの数ヵ月前は毎日部活に勤しんで、くたくたになって家に帰って、お母さんの作る夕御飯を食べて。うん、楽しかったというか、幸せ、って言うんだろうなぁ。

 嗚呼、のすたるじぃ、みたいな。年をとったっていうことなのかな。いやいや、私まだ十八歳なのに。

 それともやっぱり、現実逃避だろうか。

 十八歳。ということは高校三年生なわけで、つまりは受験生なのだ。そこそこの進学校に通っているため、周りは当たり前のように大学に進学しようとしている。私もその中の一人。

 けど、最近はやる気が下降気味。何のために大学に行くのか分からなくなってしまった。出来ることならニートになりたい、だとかクズみたいな考えが頭をよぎる。流石にそれは駄目だと分かっているから、思うだけ。

 そしてやる気に比例して成績まで右肩下がり。この前の模試なんか、前回よりも偏差値が五つも下がっていた。これはまずい、頑張らなきゃ。そう思いはする、けども。


「やる気がでないよー……ヘルプミー……」


 これまではきっと、部活のおかげでやる気ががキープできていたのだ。部活をやっていると心がスッとした。だから、嫌いな勉強も頑張れたのだ。でも今はもう引退してしまった。顔を出しに行きたいが、あんまり来られると迷惑だろう。一度行ってしまうともう一回、もう一回と何度も行ってしまうことは容易に想像できる。行きたい。でも行けない。うう、ジレンマ。

 私は弓道部に所属していた。弓道場の静かな空間が好きだった。的にてた後の、達成感とはまた違う心地よさ。体と心がスッと冷えて、でも興奮してる。部活を引退して数ヵ月が経った今でも思い出せる。

 あの頃に戻りたい。


「……あーあ。帰ろっと」


 椅子の背もたれに預けていた重心を戻し、その勢いのまま立ち上がる。ガタンッと机が大きく鳴った。おセンチに格好つけて立ち上がったら机に腰がぶつかるとか、恥ずかしいし格好悪い。誰もいなくてよかった。

 ずれてしまった机を元の位置に戻し、鞄を手にとって教室を出る。廊下の窓から外を見ると、そこには私の姿が映って――


「は、え?」


 いない。いや、映っているにはいる。が、その姿は見慣れたものではない。

 黄色いレインコートに赤い傘をさした小学生くらいの少女。彼女は踊るようにくるくると楽しそうに回っている。

 は、と間抜けな声がこぼれる。いや誰だこれ、というか私が映っていないって、なんで、と疑問符が飛び交う。窓の向こうにいるのかと思ったが、それでも私の姿が一切映っていないのはおかしいし、そもそもここは二階だ。仮にいたとしても見えるはずがない。

 どうなっているんだろう、とおそるおそる手を伸ばしてみる。そして指先がトン、と軽く窓に触れた時。


――あはははっ!


 甲高い笑い声。幼い子供の、どこかで聞いたことがあるような声。おそらく窓に映る少女のものだ。

 そして中途半端な姿勢のまま混乱する私の目の前に、何か、黄色いものが、現れ。


 ふわりと体が浮いたような気がした。

 ……ああ、眠い。



***



 ザーザーという雨音で目が覚めた。起き上がって辺りを見回すと、そこはさっきまでいたはずの学校ではなかった。

 目の前はコンクリート。左右には丸い穴があり、ブランコやシーソーが見える。家の近所にある公園だ。どうやらその端に置いてある土管の中にいるらしい。

 どうしてこんな場所にと思いながらも、とりあえず土管の中から出ようと体を動かした。そこで、違和感に気づく。

 小さい。手はこんなに小さかったっけ? 足もこんなに小さかったっけ? そもそも、土管は小学六年生がギリギリ入れるかどうかくらいだ。でも今は結構な余裕がある。これは、まさか、いやでも。信じられないと思いつつ、土管から這い出して立ち上がった。


「……めせんが低い」


 普段の半分ほどだろうか。思わずこぼしてしまった声も、舌足らずで妙に高い。これはもう疑いようがないだろう。

 どうやら私は幼い頃の姿になってしまっているようだ。


「いや、なんでやねん!」


 エセ関西弁が飛び出した。

 何故こんなことに? というか、さっきまで学校にいたのになんでいきなり公園? 夕方だったのに、公園の端に設置された時計は午後一時を指している。なにこれ、夢?

 ああ、そうか、夢だ。教室で眠ってしまったんだ、きっと。だから窓に見知らぬ少女が写っていたり小さくなって公園にいたりするんだ。そうとしか思えない。あんなのが、こんなことが現実だなんてありえない。なら一番ありえるのはやっぱり夢だろう。うん、そうだ。

 夢だと分かったら、なんだか楽しくなってきた。そういえばこの公園に来たのも久しぶりだ。夢の中の幼い私はレインコートと傘を装備していることだし、どうせならおもいっきり遊んでみよう。雨の中を、泥んこになるまで。

 私が駆け出すと、ひらひらと黄色いレインコートの裾がたなびいた。

 さあ、遊ぼう。




「……はー」


 ぱしゃんと水溜まりが跳ねるのを見つめながら息を吐き出す。久々に思いきり動いた。夢の中だというのに妙にリアルで、興奮の余韻である気だるさを感じる。

 あれからどれくらい経っただろうか。数時間のような気も、数分のような気もする。時間の感覚が狂っているみたいだ。楽しい時間は速く過ぎるというあれか。

 受験の焦りやストレスを忘れ、思いっきり遊ぶなんていつぶりだろう。部活があった頃はまだ楽だったのに、最近は酷く辛い。何があるわけでもないのだけど、毎日辛くて仕方ないのだ。


「ずっと、ここにいたいなぁ……」


 目を覚ましたくない。

 これが夢だということは、いつかは覚めてしまうということ。そんなの嫌だ、もっと遊びたい、このままでいたい。つい、そう思ってしまう。


 分かってる、目覚めきゃいけないことは。

 でも私はまだここにいたい。

 そんなことじゃいけない、分かってるでしょ?

 でも、でも。頑張って大学に行けたとして、それが何になるの? 私は何をしたいの?

 分からないけど、頑張らなくちゃいけない。周りも皆頑張ってる。だったら私もやらなくちゃ。

 周りがやるからなの? 自分の意思はないの?


 そんな考えがぐるぐる回る。支離滅裂ともとれる自問自答を頭の中で繰り返す。ああ、せっかく楽しい気分だったのに台無しだ。

 雨が降る中、私は地べたに座ってうずくまる。何だか、心の中まで子供になったみたいだ。視界が歪む。そしてポロポロと目から雫が溢れる。


「――」


 声が頭に響いた。はっきりとした声ではない、けど、私に何かを伝えようとしているのは分かる。

 顔を上げると、光が降っていた。一人の少女が目の前にいる。

 黄色いレインコートに赤い傘。それは学校の廊下で窓越しに見た少女で、幼い私の姿だった。今なら分かる。

 にっこりと私に向かって『わたし』は微笑む。大丈夫だよ、と言っているような気がした。ただの勘違いかもしれない。けど、私は確かにそう感じた。


「あ、」


 思わず声をあげる。さっきまでの甲高い声ではなく、聞き慣れた十八歳の私の声。いつの間にか元に戻っていたみたいだ。


「私、辛くて、皆頑張ってるのに、目標とかあるのに、私だけ全然そんなの無くて、やりたいこととかあったはずなのに分かんなくなって、」


 次々に言葉が溢れてくる。情けない、格好悪いと思うのに涙を止められない。大きな子供みたいだ。

 『わたし』はそんな私に変わらず微笑む。それでもいいのだと、迷ってもいいのだと言われているような、包み込まれるような感覚。

 段々と強くなる光が私の視界を埋め尽くす。『わたし』の姿も光に消えて、そして私も――



***



「……ですよねー」


 目が覚めた。薄暗い教室で、机に顔を突っ伏して寝ていたらしい。体勢が悪かったのか、首が痛い。

 夢の中とはいえあんな風に泣くなんて、と思うとなんとなく気恥ずかしい。

 でも、なんだかすっきりした。現状は何一つ変わってなんかいないけど、晴れやかな気分。さっきまでの焦りが綺麗さっぱりなくなっている。何だかやる気も湧いてきた。家に帰って、センター試験のために勉強をしなくては。惰性ではなく、自分から進んでやりたいと思う。

 こうしてはいられない。帰らなくちゃ。そうだ、今度部活に顔を出してみようかな。今なら行ける気がする。

 夢の中ででも、声に出して泣いたのが良かったのだろうか。うん、きっとそうなのだろう。

 鞄を手にとって教室を出る。廊下の窓から外を見ると、相変わらずの雨だ。そこには幼い少女なんか写っておらず、当然のように私の姿がある。晴れやかに微笑む私の顔は、夢の中の『わたし』と似ている。


――あはははっ


 雨の音と笑い声が私の中に響いた。






挿絵(By みてみん)


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