男の戦い
当然の事だが、リンちゃんは学校に通わせる。
まだもう少し先の事だが、その前に就学前面談というものがある。
学校といえば給食だが、好き嫌いはあるか、苦手なものでも頑張って食べるか?
トイレ一人で行けるか?
生活リズム大丈夫?
というような、基本的な習慣が身についているかどうかという質問がされる。
無論、リンちゃんは問題なくそれらの事をこなすことができる。
大変利発なのです。
そんなリンちゃんは現在、我が家の庭でお花を愛でていた。
花壇の前に座り込んで何かごそごそしているのを、俺はのんびり横で眺めていた。
あぁ、和む。
「でし! これあげる!」
「ん、なぁに?」
リンちゃんが満面の笑みで俺の前にやってきた。
これだけでもう、こっちまでつられて笑顔になるよねぇ。
「はい!」
手渡されたものが、うねっとした。
「ミミっ!? ひゃぁあああああああっ!!」
大量のミミズが俺の手の上で元気にうねり狂っていたのを急いで放り投げる。
否、花壇に返してあげる。
「リンちゃん! ミミズは土が大好きなの! 益虫なの! 気軽に拾い上げないで、そっとしておいてあげましょう! そう、間違っても私に渡してはなりません! いいですね!?」
「わかった!」
リンちゃんは大変利発である。
素直である。
「でし、これは?」
「クモおおおおおおおおっ!? しかもでっかああああ!」
そして、大変お転婆である。
虫は本当に勘弁してください……
「いいですか、リンちゃん? 人の嫌がる事はしてはいけません。立派なレディになる為には重要な事ですよ」
という訳でリビングにて説教、というかちょっとお話をしていた。
元気なのは良い事なんだ、間違いなく。
でも学校でお友達に虫を、はいっ、なんて手渡すと泣き出す子だっているかもしれない。
これが子供心の純粋な好奇心とか、何の悪意も無い事だってことくらいは俺だって分かっている。
でも、だからって、何でも許して放置していたら悪い子になっちゃいます。
伝える事は、しっかり伝えないと!
「……でし、おこってる?」
う、その悲しそうな表情胸に刺さるな……
しかしここで日和ってはならん。
伝えきる事こそ大人の役目!
「……こほん、怒ってなんかいません。ただ知っておいて欲しいんです。相手の気持ちを考える事を」
「あいてのきもち……」
リンちゃんは頭を捻って、深く考え込んでいた。
「……うん、わかった! リン、かんがえてみる!」
しばらく唸ってから、リンちゃんは元気に首を縦に振った。
「…………」
「……でし?」
リンちゃんが物申さぬ俺を、不安そうに見つめていた。
「……もう、無理! かわいいいいいいっ!」
「きゃはっ」
思いっきり抱きしめてやると、リンちゃんも耳元で嬉しそうな声を出して抱き着いてくる。
和むわぁ。
「お嬢様は大変よく頑張られたと思います」
イリアが傍で、良く出来ましたと言わんばかりに頷いていた。
そして近くに居たメイドさんを呼んで何事か話すと、メイドさんは軍隊のように敬礼すると庭に飛び出していった。
なんだこの機敏さは……本当に軍隊か?
「どうかしたの、イリア?」
「益虫は居るにこしたことはありません。ですが多すぎても問題です」
リンちゃんを抱き上げてやると、そのまま俺の髪で遊びだしたのでしばらくそのままにしておいてやる。
まったくもう、悪戯っ子だねぇ。
「つまり?」
「増え過ぎないように管理します」
「へぇ」
そんな事まで?
「ところでメイドの皆も女の子ばっかりだけど、虫大丈夫?」
「ご安心を。クランセスカ様に選び抜かれ、わたくしが鍛え上げた我が家のメイドに、そのような臆病風に吹かれる者などおりません」
おかしいな、その理屈だと俺が女々しい奴みたいに聞こえるぞ?
「で、でも、男女関係なく虫が苦手だって人は多いよね?」
「うんうん、いりあ! めいどさんにむりいっちゃだめ!」
「リンちゃん……!」
天使か!
「リンさん、無理を通して掴むもの程価値がある。そうは思いませんか?」
「んん~?」
また難しい事を言ってるな、この子も。
「きらきらしている、という事です」
「きらきら? それすごい! いいこと!」
「そう言って下さると思っていました、さすがですリンさん」
笑顔を浮かべるリンちゃんに、満足そうなイリア。
良いんだけどさ……
……リンちゃんまで軍隊に編入しないでね、イリア?
そして俺はお出かけである。
もうすぐ就学前面談なのだ。
俺はもちろんリンちゃんを学校に通わすつもりだが、黒ずくめがどう考えているのか聞く必要はあるだろう。
一応、あれで保護者代わりだし。
黒ずくめの家はリンちゃんに聞いてある。
裏通りの危ない場所だが、家賃は安いのだろう。
本当はこんな所にリンちゃんを住まわすのは本意ではないのだけど、なるべく家族で居た方が良いとは思うし。
う~~ん、でもなぁ。
やっぱり俺が預かるか?
どう考えてもその方が良い気がする。
最近は留守番に誰か残ってなくてもメイドさんが対応してくれるのだ。
急なお出かけで全員出払ってもリンちゃんを見てくれる人がいる訳で。
今日に関してはイリアもサイラも屋敷に居るから何の問題もないのだけど。
というか、イリアは俺が自由に過ごせと言わないと本当に休まない。
いつも俺が快適に過ごせるように、何かに気を配っている。
不測の事態に対応できるように常に色々な情報を集めて、メイドさんたちの訓練もしている。
本当に真面目だ。
もっと肩の力を抜いてくれても良いのだけど。
でも奴隷から解放するのはイリアも嫌がっているし、実際俺も嫌だ。
何と言うか繋がりみたいなのが感じられて安心する。
それはイリアも同じなのかもしれない。
「そういえば、クラスアップさせないとダメだよね」
イリアのステータスを確認すると、LVが上限になっている。
今度一緒に行こうかな。
「……ん?」
性懲りもなく裏通りを一人で歩いていた俺は、今しがた通り過ぎたいっそう暗い路地道から怒声がしたのに気付いた。
数歩だけ戻って、その路地道を覗き込んでみる。
暗いが相変わらず良く見える目のお陰で、何が起きているのかは直ぐに分かった。
「喧嘩……というより、一方的なリンチですか」
どうやら一人の男を寄ってたかって痛めつけている現場らしい。
見ていて気持ちの良いものでないのは確かだ。
んん……?
あの、痛めつけられている男……
目を細めて良く見ると――
「ソルトさん?」
一体何をやらかしたんだ?
まぁ、脛に傷のありそうな人だしねぇ。
もめ事には事欠かなそうだ。
さて、どうしようかな?
知らんぷりもできないか。
とりあえず、大きく息を吸い込んで――
「きゃー、誰か来てー」
などと言ってみる。
男たちは俺の悲鳴(?)を聞いて、何事か悪態を突きながらそのまま路地の奥へと引っ込んで行った。
やれやれ……
それを見届けてから、倒れた黒ずくめさんの傍まで歩み寄る。
「こんにちは、ソルトさん。今お暇?」
ずたぼろになってひっくり返っているソルトさんの前にしゃがみ込んで、自分の膝に肘をついて頬杖しながら眺めてみる。
「……ふん」
おーおー、痛そうだこと。
腫れ上がった傷跡を隠す様に、顔を逸らす黒ずくめ。
何ともバツの悪そうな顔をしている。
こいつ確か守りは低かったはずだからねぇ。
これがイリアなら、あんなのに囲まれたところで傷一つつかなそうだけど。
そんな俺の呆れた視線を受けて、黒ずくめがゆっくり上半身を起こした。
明らかに痛そうである。
「どうして反撃しないんです?」
「……お前には関係ない」
はいはいはいはい。
「どうしてもとお願いするなら、ヒールをかけてあげなくもないです」
「帰れ」
可愛くない。
「……ああ、そう。歩くのも辛そうですし、私が家まで送ってあげますよ」
満面の笑みを浮かべて、黒ずくめの手を取った。
雷の魔力を込める。
「……おい」
不審げな声を出す黒ずくめを無視して、家の方角を確かめる。
よし。
「――お先にどうぞっ!」
「――っ!」
思いっきり空に放り投げた。
黒ずくめが綺麗な放物線を描いて、空を飛んでいく。
「さて」
自分も魔力で跳んで、黒ずくめを追い越す。
放っておくとこれ肉塊になっちゃうからね、仕方ないね。
屋根伝いに何度か方向転換の微調整をして、目的地のアパートに降りる。
先に地面に降りて、後から降ってくる黒ずくめの背を片手で受け止めて。
「はい、到着」
最後はぞんざいに玄関前に投げ捨てた。
「何か言う事は?」
玄関前に転がる黒ずくめに問いかけると。
「……最悪な女だ」
との返答が返ってきた。
黒ずくめの部屋に上げてもらうと、その汚さに驚愕した。
エクレアの部屋とは大違いである。
もちろん、いい匂いもしない。
あまりに気持ち悪かったので、自分で傷の手当でもしてろと吐き捨てて掃除に取り掛かった。
こんな所にリンちゃんが暮らしているのかと思うと、涙で前が見えないよ。
そうしてある程度俺が満足できるレベルの清潔さになったので、お茶でも入れて話をすることにする。
「ん、これコーヒーかな?」
それっぽい粉末だな。
「ソルトさん、これ使って良い?」
容器を黒ずくめに見せると、頷かれたのでお湯を沸かせてカップに注いでいく。
お、やっぱりコーヒーだ。
エレノアさんのお店なんかでメニューにあるのは知っているけど、市販で流通しているのはあんまり見たことないな。
「砂糖とミルクは?」
「いらん」
「胃に悪いと思いますよ」
俺はミルクだけ少し入れておく。
それをテーブルに運んで、ようやく対面に腰を下ろす。
うむ、綺麗になってすっきりした。
黒ずくめは傷の手当を簡単にしたのか、少しはマシな顔になっていた。
相変わらず目つきも悪いし、余計に人が寄り付かない腫れた顔になっていたけど。
「リンちゃんのことでお話があったんですけどね」
「ああ……リンは、お前に預かってもらった方が幸せになれる」
「はぁ、私もそう思いますよ」
人と話す時は、相手の目をちゃんと見ましょうね。
「あなた、何厄介ごとを抱えてるんです? リンちゃんは優しい子ですから、そんな顔見せられたら心配しますよ」
しばらくその質問に黒ずくめは無言を通した。
俺も別に急かすような事でもなかったので、コーヒーでも飲みながら静かな時間を過ごす。
ん~、この苦み、久しぶり!
「俺は……人攫いの組織に入っていた、以前な」
「ああ……エルフを探すために、でしょう?」
「そうだ」
それはリブラだった訳だから、もう探す必要はないな。
共和国に居るのだろうし、しかも呼ばなくても来るかもしれないし。
……迷惑だが。
ティルの手で返り討ちにあうが良いわ。
「そこを抜ける。その為のお土産のようなものだ」
「ふ~ん」
リンちゃんの為に、か。
こいつも不器用なりに、まぁ、頑張ってるんだよねぇ。
不器用だけど。
視線を部屋の中に移すと、二人で生活していた名残が確かにある。
子供用の服や、ちょっとしたぬいぐるみなど。
この黒ずくめがぬいぐるみなんて買って帰る所を想像すると、思わず笑えてしまうが。
「あれは?」
先ほど掃除する時も目に付いた、目の覚めるような青い綺麗な宝石である。
棚に置いてあるそれを指差した。
「……リンにやるものだ」
奥歯に物が挟まったように、別の言葉を出そうとしたのを引っ込めたのを感じた。
手に取ってみても良いかと問うと頷いたので、棚から手に取ってじっくり見てみる。
恐らく高価なものだ。
「こんな所に無造作に置いておいたら、空き巣にやられちゃいますよ」
「ふ、そうだな」
「まったく、色々だらしないです」
「お前は細かすぎる」
それこそ放っておいてくれ。
しっかしこの宝石、あれだな。
なんというか、あれだな……
「……」
俺は手に取ったそれをじっと眺めて、そして意を決した。
「――バルス!」
「……」
そっと宝石を棚に戻す。
「ところでリンちゃんを学校に通わせたいんですけど」
「……お前は一体、何をしている」
流して欲しい……
案の定というか。
次の日、路地裏までやってくるとまた黒ずくめがリンチを受けていた。
それを建物の屋根からイリアと共に眺める。
やり返さないのは立派だとは思うけど、不器用というか。
そんなことをしても、調子に乗るだけの相手だって居る。
でも、その心意気は買ってあげる。
「――イリア、私のメイド隊の練度を証明してみせなさい」
「あの組織を、叩き潰せばよいのですね?」
「そう、遺恨を残さず、綺麗にね」
「イエス、マイ、レディ」
そう返事をすると、イリアは魔石を取り出してメイドさんに連絡を取っていた。
そして俺はしばらく、気分の悪いリンチをずっと眺めていた。
今度は何もせず、じっと眺める。
大したものだ。
ちょっとは感心したよ。
ほとぼりが冷めて、男たちが撤収したのを確認して俺は路地裏にイリアと共に跳び下りた。
「イリアは先に帰っていて」
「わたくしがソルト様をお運びしますが」
「いいのいいの。男はこういうの、女の子に見られたくないから」
「くす、それはおかしなことを言うのですね、お嬢様?」
……あ、ああ。
まぁ、うん。
「わ、私は良いの」
「畏まりました」
笑って頷いたイリアが、先に屋敷に帰って行く。
それを見届けてから、再び倒れた黒ずくめの傍まで歩み寄る。
「……ヒールなら、いらんぞ」
「その傷は貴方の勲章でしょう。そんな無粋な事をする気はありません」
「……」
黙り込んだ黒ずくめの横に、腰を下ろす。
見上げても狭い路地裏から見える空は見栄えが悪い。
湿気でかびた空気に、陰気な暗さ。
「ふふ、よくお似合いですよ、ソルトさん」
日陰暮らしが染み付いちゃってるもの。
そうやって茶化す俺の顔をしばらく黒ずくめはじっと見つめてくる。
「な、なんです? 怒ったんですか?」
少し弄り過ぎたか?
「……いいや」
小さく笑って、黒ずくめも視線を窮屈な空に向けた。
幼い頃に男友達と駆けずり回った事を思い出して、懐かしさを感じる。
全く、男はいつまで経ってもやんちゃで困るよね。
自分の事は棚に上げて、しばらくそんな薄汚れた場所で静かに時を過ごした。
――件の人攫いの組織が壊滅したのは、実に3日後の事だった。
メイドさん、できる。
というか…………怖い。
そんな風に、自らのメイドさんの有能さを確かめた一幕でもあった。




