約束
結局サクラメントとの国境での小競り合いは、小競り合いのまま終結した。
両国とも大事にするつもりは無いらしく、戦争状態にはならずにこの話は終了したのだ。
恐らくは仕掛け人でもあるあの年配の男の動向は気になるが、藪をつついて蛇を出す必要もあるまい。
水面下の大人の事情は置いておいて、俺としては日常が戻って来たので嬉しい限りだ。
「あの、怒ってます……?」
――そんな俺は、公都に戻ってきて報告に訪れた執務室でマリアさんの前で萎縮していた。
「あらあら、アリス殿は、何か怒られるような事でもしたんですか?」
なんとな~く、笑顔がね?
怖い人って、いますよね?
嘘をついても仕方ないので国境での出来事は報告した。
レオニールとレイミアを捕えたこと。
そして――勝手に解放したこと。
それに、エクレアの事……
ウィルミントンを預かるマリアさんからすれば、怒っても仕方のない事だ。
「客観的な事実だけ見ると、劣勢だった我が軍の先陣にて敵将を撃破。また相手の将クラスの敵も立て続けに撃破。我が軍の被害を押さえ、敵軍を撤退にまで追い込んだ」
ぽん、とマリアさんが手を胸の前で合わせた。
「勲章、要りますか?」
「い、いえ、謹んで辞退します……」
とりあえず本当に怒ってはいないみたいだ。
でもこれ以上深みに嵌ったら、拙い……
「残念です。うふふ、ですがタダ働きさせたとあっては、公国の名折れ。私から依頼したという形にして、報酬は出しますね」
う~~ん?
それくらいなら、有難いかな?
お金、大事だものね。
「じゃあ、遠慮なく」
「では、五百万ルークという所で、如何でしょう?」
「ごひゃっ!?」
五百万ルーク!!?
とういことは……白金貨五枚!?
どんな額ですか!?
「それは、あの、多すぎる気がします……!」
「アリス殿は、いまいちご自身の為した偉業を理解していないようですね? 戦争を止め、兵の命を救い、我が国に勝利をもたらした。その利益を思えば、安いものだと思いますが?」
そう言われてみれば、そんな気もする……
いや、マリアさんは口が上手だから、煽てられてもダメだよね!
「えっと、せめて白金貨一枚で!」
「いいえ、それでは安いです。四枚で」
「二枚なら、何とか!」
「三枚までしか、譲れません」
というか、何だこれ!?
物を値切るんじゃなくて、報酬を自分から値切るというおかしな事態に!
「う~ん」
「そのように可愛く唸っても、これ以上は下げませんよ?」
と、マリアさんは有無を言わさぬ笑顔で俺を見た。
だ、ダメか……
「分かりました……有難く頂戴します、本当に……」
「うふふ、はい」
大金持ちになっちゃった……
「あ、それと公都に屋敷を用意しましたので、ご滞在の際はそちらをご利用ください」
「は?」
「アリス殿はお連れの方も多いですから、屋敷の一つや二つは無いと、不便でございましょう?」
おかしいな、報酬を今しがた値切ったばかりなのに、もっと大きな物をなし崩し的に貰おうとしているぞ?
「あの……私は貴族じゃありません、よ?」
「え?」
「え!?」
なに、その驚いたって反応!?
何か間違えたのかと思って、こっちがびっくりしたよ!?
「まぁ、細かい事はお気になさらず」
細かくないよね?
屋敷を気前よく進呈されるとか、細かくないよね!
「そんなことより、アリス殿」
「……そんなこと?」
そんなことで、この話が流されようとしている……
「お友達が、お待ちの様ですよ?」
マリアさんは立ち上がって、執務室の窓から見える中庭を見下ろした。
後になって思えば、絶妙な話題の切り替えだった。
その一言で気が急いた俺は執務室を飛び出して――――めでたく屋敷を頂戴する流れになっていたという。
マリアンナ・ヒューストン、できる……
「エクレア、どうしたんですか? って、その目! ネックレスはどうしたんですか!?」
中庭に降りると、そのエクレアの振る舞いに驚いた。
エクレアは左目を瞑って、紅の瞳を俺に見せびらかしている。
魔眼封じのネックレスはレイミアからぶんどってやった戦利品だ。
なんで、それを付けてないの!?
「まぁまぁ、アリスちゃん。深呼吸深呼吸」
「エクレア、じゃないっ!?」
「ぴんぽ~ん」
悪戯っぽい顔をして、彼女は左目を開いた。
――銀の瞳。
「……あなた、誰なんです?」
「――エストリア。エストって呼んで良いよ?」
雰囲気は全然違うんだけど、見た目がエクレアだからなあ……
う~ん、まあ、いいか。
「エストさん……エクレアの事、乗っ取ったりしないですよね?」
「あははっ! 心配しない、そんなことする訳ないよ。この子は私の可愛い弟子なんだから」
ということは、この人がエクレアの師匠?
つまり……魔炎!!
「話があるの、ここじゃなんだから……そうね、静かな場所にでも行きましょ?」
「あ、はい」
と、誘われるままエストさんに付いて行く。
そして静かな場所にやってきた。
具体的にどこかと言うと、湖の上である。
さすが水の都だね。
小舟を借りて、エストさんと向かい合わせで船を漕ぐ。
俺が漕がないとダメだよね、うん、レディにそんなことをさせる訳にもいかないし。
「ふぅっ、ふぅっ」
間違ってない、うん、なにも間違ってない。
「大丈夫、アリスちゃん? 変わる?」
「結構です! ぜえ、ぜえ……女の子に、こんな力仕事、任せられませんし!」
「? 変な事言う子ねぇ」
それが俺のプライドだから!
ある程度岸から離れて、湖の中ごろに来た所でようやく手を休めた。
疲れた。
…………疲、れた。
「飲む?」
「ありがとう、ございます……」
水筒を貰って、水を飲む。
「さっき私飲んじゃったけど」
「ごほっ! けほ、けほ!」
「あははっ、アリスちゃん、面白い~」
「……で、話は何なんです?」
このペースに付き合っちゃいけない……
「うん、ちょっと魔眼の事について話しておこうかと思ってね」
そう言って、エストさんは右目を指差した。
紅に輝く右目。
でも対面していても、攻撃的な魔力を感じない。
……制御してるって、ことだよね?
「この子の魔眼は生来の物。宝石の魔眼」
そのせいで大変な思いをして来たんだけどね、とエストさんが苦笑する。
「その効果は、アリスちゃんも分かったと思うけど――過去視」
「はい」
過去視。
それは、とんでも無い力だ。
はっきり言って、エクレアはその力を全く引き出せていない。
過去の全ての事象を『視て』、再現できる魔眼。
言ってみれば、何でもありなのだ。
チートにも、程がある。
「本当に、色々あったのよ。あまりに大きな力のせいでね……だから、仲良くしてあげてね?」
「それは、もちろんです」
……親友ですから!
エストさんが、優しく笑った。
「この魔眼は、過去の全ての事象を見る。見なくていいものを見るし、その情報の奔流をエクレアはまだ自分で制御できない。過去の人の意識を覗いて自分の意識を混ぜちゃって、誰が誰だか分からなくなる。これが一番危険なの。エクレアが消えてなくなっちゃうから」
なるほど……それで、あんなに自分を見失っていたのか。
「で、ここからが本題」
前置きされたので、居住まいを正して頷く。
「魔眼の封印を――アリスちゃんに預けたいの」
「……え?」
封印を預ける?
ネックレスの代わりを、俺がするってことか?
「ネックレスなんかに頼るのは危ないわ。今回の件がいい例。だから、アリスちゃんにこの魔眼のさじ加減を任せたいの」
「そんなことが……できるんですか?」
驚く俺に頷いたエストさんが、俺の左手を指差した。
「それ、そのリング。誓約のリング」
「このリングが?」
誓約?
単なる魔法の力を高めてくれるリングじゃなかったのか。
「そう、それがあれば、魔眼の封印の一つや二つ、大丈夫よ」
「へぇ?」
「……装備してる時点で、素質は申し分ないしね」
リングを感心して眺めている内に、エストさんが小声で呟いた。
「さすが我が宿敵の弟子かな! なかなかやるではないか! あはは!」
――そうか。
この人、ティルの知り合いなんだよね?
……
……あ、れ?
「……あの、過去視って……生きてる人も、見ることができるんですか?」
ふと思い立って、質問してしまった。
――後悔した。
その質問に、エストさんは何も言わず――――とても穏やかな笑顔で応えた。
「――」
うそ……
ティルは、知っていた?
ティルは魔眼の正体に気付いていた。
その上で、戦場でエストさんに……過去視のエストさんに会っている。
つまり……分かってるん、だよね……?
「そんなの……」
「……優しい子ね。でも悲しまなくていいわ。私もティルも、大人だからね」
「大人だから、悲しい事が悲しくなくなる訳じゃ、ないですよ……」
「そっか……そうかもね」
エストさんが、困ったように笑った。
「そんなアリスちゃんだからこそ、託したいわ。この子の事、傍で支えてあげて欲しいの」
その言葉に、強く頷く。
「……氷雪と魔炎に誓って、エクレアの事、私が支えます」
「……ありがとう」
二人の絆に負けないくらい、安心させるくらい、立派な二人になろうね、エクレア?
――そうして、エストさんは空を見上げた。
眩しそうに、とても、眩しそうに。
「――――――さようなら」
誰にともなく、どういう意味かも分からず、エストさんは呟いた。
「……さ、お願いするわ、アリスちゃん。リングに祈りを込めて、ちゅってしてね?」
悪戯っぽくそう言うと、エストさんは両目を閉じて右の瞼を指差した。
不思議と嘘をつかれているような気もしないし、邪な気もしない。
神聖な事のようにさえ思える。
「はい」
言われた通り祈りを込めると、淡く銀色の光でリングが輝いた。
それを見て――ゆっくりエストさんの右の瞼に口づけをした。
その光がエストさんを包み込んで、やがて、消えた。
離れて様子を見る。
しばらくして、ゆっくり目を開いたその瞳の色は――両目とも、澄み渡る空のように清々しい水色。
「エクレア……」
「……辛気臭い顔をしないで、アリス。師匠は、いつもエクレアの中に居るんだから」
「そう、ですよね」
「そうよ」
こちらを励ます様に明るく笑うエクレアの笑顔は最初に出会った時の印象そのまま、太陽の笑顔。
見ていると元気が出る様な、そんな溌剌な笑顔。
「女の子は、強いですね」
苦笑する。
支えるつもりが、支えられているのかな。
でも支え支えられ、そんな関係が好ましい。
「……あんたは、ここぞって時に、カッコいいわよ」
ふん、と鼻を鳴らして、頬を染めながらそんなことを言ってくるエクレアは可愛いです。
何か、和やかだなぁ。
湖の真ん中で、静かで、二人っきりで。
「……あれ、これデート?」
「なっ!?」
ふと気づいてしまった。
「何、馬鹿な事言ってるのよ! これだから、エルフは……!」
「ええ!? 種族差別ですか!?」
「違うわよ、この、天性のたらし! 種族的にも、人間的にも!」
理不尽!
「エクレアだって、そんな可愛らしい八重歯で私の事誘惑してくるくせに!」
「これは身体的な特徴でしかないでしょ!?」
「だって、何かそれ凄く可愛らしいんです!」
「馬鹿なの!? あんた、馬鹿なの!?」
「人の事馬鹿馬鹿言っちゃいけないって、お母さんが言ってました!」
「あ~あ~、そうね、そうでした!」
何気にヒートアップして、額をこすり付けて押し合いをしてしまう。
「ぐぬぬ、エクレアの意地っ張り!」
「アリスの、お人好し!」
――ほっとした。
本当に、こんな馬鹿な事をエクレアと一緒にできることにほっとして、思わず涙腺が緩んだ。
時々、何でもない、大切な時間を感じた時、無性に泣きたくなる感覚がないだろうか?
恥ずかしながら、まさに、今それで涙腺が決壊した。
「何……泣いてるのよ、アリス」
「そっちこそ、うるうるしてますし」
「あんたに、つられたのよ……っ」
「エクレアこそ馬鹿です……大馬鹿です」
「なによ……悪かったわよ、ほんと」
二人とももう、隠さずに大泣きしている。
俺たちは未熟だ。
ティルやエストさんでさえ、どうなるか分からないような世界だから。
もっと二人で、強くなりたい。
「私に、心配かけさせないで下さいよ……ライバルなら」
「わかった、わかったわよぉ……」
「約束、ですよ……?」
「ええ、約束するわ……」
いつの間にか、二人で抱きしめ合って。
「――」
「――」
どちらからともなく――――――――――キスをした。
ちょっとだけ、涙の味がした。




