幕間 氷雪の見る夢
――夢を見ておる。
そう気づいたのは、すぐの事。
「ティル! 遅いよ、あなたは本当にのろまね、こんなんじゃ見つかっちゃうわ」
深い森の中で、先を行く銀色の髪の女性。
あるはずのない、かつての日常。
「待つのじゃ、エスト……妾は里から出とうない」
「なによー、ティルは里長のいいなりなの? 口調まで似ちゃってさ」
「そうではない、妾も里の外の事に、関わりたくないのじゃ」
天真爛漫なその振る舞いに、憧れた。
背中まで伸ばした銀の髪に、宝石のように輝く同じ銀の瞳。
里では珍しい同年代の、幼馴染。
「そうは言うけどさ~、広い世の中、色んな物を見てみたいと思うのが普通じゃないの? 里の皆は好奇心が薄すぎるのよね!」
エストリアはそう言うと、逡巡する妾の手を取った。
「怖いのティル? 大丈夫、私があなたを守ってあげるから! いつまでも弱虫じゃ、ダメだよ!」
「妾は……エスト程才能に恵まれておらんし、戦いは……嫌いじゃ」
「それで氷魔法を選んだの? お師匠様も目をかけてくれてるのに、勿体ない」
「最強の称号など、いらぬよ……それはエストが継げば良い」
「それを決めるのはお師匠様ですー。もう、ハリが無いなぁ、私のライバルは」
そういって頬を膨らませる、生き生きとした仕草が大好きであった。
「お願い、一緒に行こうよティル! 魔物も怖いヒューマンも、私の炎で焼き尽くしてあげるからさ!」
「エスト……うむ」
そのまま力強く手を引かれて、深緑の森を越えて、妾とエストは里を出た。
――もう二度と、二人で戻ってくることのない、故郷の里を。
夢は続く。
場面が変わっていた。
思い出したくもない、忌まわしい、あの日に――
「エスト、もう逃げるのじゃ! これ以上はどうにもならん!」
小さな国を蹂躙せんと押し寄せる大軍。
人を焼き、建物を砕き、全てを蹂躙する竜の存在。
「嫌よ! この国にはあの人がいるんだから! 竜なんて担ぎ出してきて! ヒューマンのそういう小賢しい所が腹立つのよ!!」
確かに、一体どうやって竜などという幻想種を手なずけたのか。
あれと相性がいいのは、エルフである妾達や、魔族くらいでしかないであろうに。
「古龍……今の妾達では、どうにも太刀打ち出来ぬ」
全ての攻撃を遮断する、鉄壁のフィールド。
遠距離からの魔法など、まるで意味を為さない。
されど、接近戦を試みるなど自殺行為でしかない。
もはや、天災レベル。
あれは生物としては、神に近すぎる。
それでも、抗った。
押し寄せる大軍に、極めつけの竜の存在。
そんな相手に、実質妾とエストの二人だけで対抗した。
あらゆる攻撃を退けて、あらゆる敵を焼き尽くす。
二人で最強。
里を出てしばらく、そんな噂が世には流れていた。
しかし、孤軍奮闘には限度がある。
ヒューマンは戦が上手い。
大軍でもって、戦術を駆使する集団戦闘に長けている。
妾達も、最強の魔法使いと恐れられてはいるものの、所詮は一人の人間に過ぎぬ。
魔力にも限度があるし、それをすり減らせば体力も無くなる。
無理を通して、昼夜を問わず戦い続けられる訳ではない。
氷の結界で、幾度目かの竜のブレスを受け止めた時、世界が暗転した。
その場に崩れ落ちる。
――魔力も、体力も尽きた。
「ティル!!」
「……すまぬ、エスト。妾はやはり弱虫じゃ、戦は怖い。もう……」
精神的にも、もはや戦えぬ。
そんな状態であった。
「ごめん、ごめんねティル! 巻き込んでごめん! あなたは私が守るから! ……私の魂を使ってでも、こんなちんけなヒューマンと竜くらい、押し返してみせるわ!」
朦朧とする視界の中で、銀のリングを渡される。
「ティル……いつかあなたに子供が出来たら、それ、渡してあげて? 愛してるわ、ティル」
「エスト……」
最後に見た、銀の髪の幼馴染は、相変わらずの天真爛漫な笑顔を浮かべた。
それから一人、敵陣へと突っ込んで行った。
――――それが、エストリアを見た最後の記憶。
気が付いたとき、そこは懐かしい里の中であった。
恐らく、エストの転送陣で送られたのであろう。
信じられない程の膨大な魔力を使ったはず、それこそ……魂を使う程に。
しばらく里で身体を癒した。
そして傷が癒えた頃、改めて長の言いつけを破った罰を受ける事になり、軟禁状態で数年を過ごした。
……もっと強かったら。
妾がだらしなく倒れたりしなかったら、エストリアはあの地獄の戦場をも切り抜けたのではないか?
いや、きっと足手まといの妾が居なくなったのだから、切り抜けたはず。
――そう信じた。
そして師匠の元で修行に明け暮れた妾は、最強の名を継いだ。
里の行き来の自由を得た妾は、焦る気持ちを押し込めながら久しぶりの人里に出た。
生きているなら、会えるはず。
エストリアはエルフ。
妾と同じ時を生きるはずの幼馴染が、死ぬはずがない。
何年も何年も、あちこちを彷徨い歩いた。
事あるごとに、戦に巻き込まれた。
見よ、エスト。
今の妾の力なら、きっとお主の助けになれる。
――氷雪の魔女。
いつしかそんな風に呼ばれるようになった。
噂が一人歩きしてくれる分には歓迎であった。
エストが気づいてくれるかもしれない。
そう思って、来る日も来る日も人里を渡り歩いた。
……半ば、諦めかけていたのやもしれぬ。
そろそろ認めて、心に整理を付けて里に帰ろうと思った時、ある村のはずれで、そやつに出会った。
里の外で、そのような者に出会うことは――無い、とは言わぬが滅多にあることではなかった。
もしや、と思った。
褐色の肌に、尖った耳。
同族。
ボロボロの服を着て、汚れ果て、疲れ果てた様子。
物乞いに縋るしか生きる術を持たぬ。
そんな子供が、空のお椀を両手で持って、雪の降る寒い日にずっと外に立ち続けている。
白髪に、赤い瞳。
生気の欠片も感じられぬ、今にも死にそうな人形のように感情の無い子供。
戦ばかりの人里には良くある事ではあったが、さすがに捨て置くことは出来なかった。
「お主、名は?」
「……リブラ」
「エルフ……いや、ダークエルフか。どこの里の者か?」
「知らない……」
「そうか……親の、名は?」
少しだけ、緊張した。
「――知らない」
捨て子、か?
確かに、一目見ただけで今までの苦労が分かる程だ。
今こうして生きているのが、奇跡であるほどに。
……恐らく、身を売ったのであろうな。
「リブラ、と言ったか。お主、妾と一緒に来ぬか?」
「……泊めてくれるなら、何をしても構わない」
「くふ、違うよ。妾をその辺りのクズと一緒にしないで貰おう。どうやらお主には才能がありそうじゃ。魔法のな」
「……魔法?」
魔力感知のスキル。
エストを探す為に取得したものだが、この子の魔力を見て、その才能の程は直ぐに分かった。
「それで、生きていけるのなら」
「生きられるよ。誰にも負けぬ強さを持って、逞しく生きれば良い」
そうしてまた、時が流れた。
魔力の流れを追って、里から出て空を駆ける。
一体どこでどうやって、ああも捻くれてしまったのか。
――否、そもそも、あやつは最初から世の中を恨んでいたのかもしれぬが。
それでも、里の人間を殺め、人里にも混乱を巻き起こすつもりなら、是非も無し。
「む? あれは……?」
空を駆けていると、地上を必死に走る銀の少女が目に入った。
心臓が跳ねた。
――まさか……?
まさかまさか!?
考えるより早く、地上に跳び下りた。
休憩所の周りをうろうろと回る、銀の少女。
――若い。
それに、妾に全く気付かぬ。
あまりに未熟。
エストであるはずがない。
それはすぐに分かった。
「――おい、小娘」
「――っ!」
心底驚いたという顔で妾に向けてロッドを構える少女に、何もせぬ、と両手を広げてやる。
銀の長い髪に、琥珀の瞳が印象的な少女。
そしてこの魔力……エルフ、か?
同族の特徴は、見ただけでは分からぬ。
しかし成り行きで、この小娘と一緒に街に向かう事になった。
「私の名前は――――」
息を切らせて必死に走る、その小娘の名前を聞いた。
――――そこで、夢から覚める気配がした。
……恐らく、妾の方から潜り込んで抱き着いたのであろうな。
朝日が差し込む部屋。
その温かいベッドの中で、身体を丸ごと抱きしめられている。
すやすやと眠る、銀色の少女に。
「……お主は一体どんな風になる? のう、アリスよ」
出来れば歪まずに、出来れば幸せに、生きて行ってほしい。
そんな願いを込めて、軽く額にチョップを見舞った。
「――あいたっ!」
そんな可愛げのある声で、今日も一日が始まった。




