狙撃手
騒ぎの後、俺たちは部屋を変えてもらった。
とりあえず窓から見る限り狙撃ポイントが無い、見晴らしの良い風景である。
先の部屋は反対側で、街並みこそ離れているものの、この宿より背の高い建物もある。
スナイパーはそこから狙撃したということだろう。
かなりの距離があるが、正確に当ててきたあたり油断のならない相手だ。
クランセスカは、もう帰っている。
で、今はイリアを慰めている最中である。
「あの、イリア。古今東西、暗殺を完全に防げた人間は居ませんよ? 私の知ってる歴史上の人間だって、何人が暗殺で命を落としたか」
「例え事実がそうだとしても、わたくしは自分が許せないのです。なんという未熟、恥ずべきことです」
直立不動で俺の前に立ち、悲壮な顔で己を罵り続けるイリア。
あの狙撃を防げなかった自分が、とにかく許せないらしい。
……まぁ、後ろで寝ている俺の命を救った人間がいるからな。
比べているのだろうが、比べる対象を間違えているというか……
もう~~~。
真面目だなぁ。
「分かりました分かりました。ではイリアには罰を与えます」
「なんなりと」
「私にキスしてください」
「イエス、マイ、レディ」
ベッドの端に座る俺に、いきなりイリアが覆いかぶさってきた。
「ちょちょちょっ! ストップ! 迷い無し!?」
こっちがびっくりするわ!
「なぜご褒美を頂けるのかと思ったら、焦らしていくスタイルですか」
ご褒美なのか……
一先ず覆いかぶさってきたイリアの肩を押し返して、居住まいを正す。
「こほん、とにかく。女性はもう少し慎み深くあるべきです。そこはもっと恥ずかしがってしかるべきです」
「まるで殿方の妄想のようなことを仰るのですね、お嬢様」
「……」
妄想て、全世界の男子が泣くぞ……
「い、イリアは……その、誰かとキスしたいとか、思ったりするの?」
「……時々、『誰か』を押し倒して、無茶苦茶にしたくなる時もあります」
そ、そうなのか!?
驚きと言えば驚きだが、イリアも年頃だからな。
身体を持て余すこともあるんだろうか。
「肉食系のような発言ですね……」
「いえ、お嬢様が乙女過ぎるだけかと」
イリアみたいな乙女に乙女とか言われたら、もう俺はどうしたらいいの?
「後、鈍感かと」
「なぜ!?」
「ご自分の胸に手を当てて、考えてみてくださいませ」
言われて自分の胸を触ってみる。
ちょっとした夢が詰まっていた。
大丈夫、男の子の夢は、俺が守って見せる!
用事を頼んでおいたサイラが無事に帰って来てくれて、ほっとした。
例え街中でも、もはや安全ではないと考えた方が良い。
これからは、サイラは絶対にティルと一緒にいてもらうことにした。
世界で一番安全な場所だからだ。
リブラすら避けて通るほどに。
そして俺は、イリアと共に昼下がりの公園でお昼寝をしていた。
芝生が広がる居心地の良い広さの公園。
家族連れや恋人同士もちらほらと。
その一角、大きな木の下で、イリアに膝枕をされて眠る睡眠は格別である。
リラックス、大事。
「ここで寝てたら、狙撃ポイントは何か所ですか?」
「二か所です。相変わらず、ご自身の身を危険に晒すのが大好きですね、お嬢様。マゾなんですよね?」
「言い切った!?」
ですか?
じゃなくて、ですよね!?
「……それはともかく、ティルが言っていたことが引っかかっています」
「お師様?」
イリアは聞いてなかったのか。
――狙われたのは、一体どちらなのかのう?
そう呟いた一言を。
結果的に、矢を受けたのは俺。
でも――――その正面に向かい合っていたのは?
「それにあの矢束……九十センチを超えていた。二寸伸、それに狙撃距離から考えても強弓なのかな」
とすれば、弓の重さは二十キロを超えるといったところか。
犯人は……男か?
「あの……お嬢様は、弓が得意なのですか?」
「いえ? 全く射られませんよ?」
そもそも引ける訳ないじゃないですかー。
「その割に、お詳しそうです」
「まぁ、ちょっとした雑学です」
インターネットという無限の海に浸り過ぎた期間がね……
物覚えは悪くないつもりだから、良くも悪くも知識が増えていった。
ごろん、とイリアの膝の上で寝返りをうって、公園を眺める。
寝返りで自分の顔に流れてきた髪を、イリアが優しく梳いて直してくれる。
気持ちいい……
そうして見るともなしに見ていた公園の風景では、女の子が大勢の子供を引率して遊んでいた。
身長は、俺より少し低いくらいだろうか?
アシンメトリーなショートの、青みがかかった髪。
とても子共に慕われているようで、我先に遊んで欲しいと彼女の周りに人だかりが出来る。
優しい雰囲気のする少女だ。
少し離れた彼女たちの様子を眺めていると、ふとした拍子に、彼女と目が合った。
「?」
瞬間、焦ったような顔を浮かべた彼女は、急いで俺から視線を外した。
「イリア? あの子たちは?」
「服から見て、恐らく教会で預かっている子供たちだと思います。親や頼る者をなくしたのでしょう……」
きのみきのまま、そんなお世辞にも上等とは言えない服を着た子供たち。
「そっか……でも、幸せそうだよ」
「そのようです。あの少女が、子供たちの太陽なのかもしれません」
結局、スナイパーは現れなかった。
出来るなら、不安の芽は早めにつぶしたいが、そう上手くは行かないものだ。
その日の夜。
敢えてもう一度、俺は昼間の公園にやってきた。
人気は無く、打って変わって恐ろしげな雰囲気の漂う暗闇の広場。
月明かりだけで、躓くことも無く昼間の木の下までたどり着く。
一応確認するが、木の上には誰も居ない。
そこで、昼と同じようにもう一度寝転がる。
イリアの膝に。
「怒らないの?」
「お嬢様の行動を制限するよりも、お嬢様の希望に沿った上で守り抜きたい。そう思うのです」
「また難しいことを」
「どの口で言うのですか」
「それもそっか」
軽口を止めて、黙る。
明日は俺の試合は無い。
だから、明日の昼も、夜もここに来てやる。
これは挑戦状だ。
――狙って見ろ。
臆病者の暗殺者。
ティルにそう言われた、強弓使い。
例え夜でも、音が無くなる事はない。
虫の声、街の人々の営みの音、風の音。
イリアと二人、大地に溶けてしまいそうな時間が過ぎて、一際強い風が吹く。
大きな木がざわめいた。
そして――
一瞬後、不気味な音を纏わせて、ソレが来た。
見えた!
正確無比な、死の一射。
確実に俺を捉えたその攻撃は、イリアのフィールドに弾かれる。
「――つ!」
すぐに起き上がる。
場所は確認した。
予め予見しておいた、二か所のうちの一つ。
「大丈夫、イリア?」
「はい、ですが、思った以上に鋭い攻撃です――抜かれるところでした」
氷竜の攻撃さえ防いで見せたイリアのフィールドを、抜いてくるか。
二射目、来るか?
それとも、仕損じたら移動するか?
「サンダー!」
姿は捉えていないが、大体の場所に魔法を撃ちこむ。
建物の壁に当たったサンダーが、一瞬暗闇を照らして消えた。
「居る!」
しかもこちらのサンダーを意に介していなかった。
遠すぎて、ここからでは正確に狙えない!
二射目、構えていたのにまだ来ない?
否――溜めているのか!
瞬間、耳鳴りに似た音を微かに捉える。
「――避けなさい! イリア!」
「――っ」
俺の声に、咄嗟に身を伏せるイリア。
刹那の差、甲高い音を立てて――緑のフィールドを矢が貫いて行った!
――想像はしていたけれど、信じられない!
守り5の、恐らくイリアの特殊スキル。
それを、貫いてくる!?
「……わたくしの想像ですが」
「ええ」
「他の戦闘の要素を一切排除して、一番有益に、ただ純粋に『力』を使える職業、それが――」
「――弓兵か!」
場所を決めて、動かず、反撃を許さず、その集中力と力で持って、必殺の狩人と化す。
相手は――力5か!
舐めていたと言わざるを得ない!
イリアが居れば、取るに足りない――そう思い込んでいた。
どうする?
跳んで距離を縮めたいが、それも相手を侮っているか?
跳んだら的。
そう思え。
「サンダー!」
範囲で先ほどの場所に攻撃を飛ばす。
手応えは――無い!
全く同じ場所には居ないか!?
目を凝らしていると、また微かな弓を射る音が聞こえてくる。
微かな矢の音と、月明かりに照らされた青白い矢じりの反射。
「まずっ――」
「――負けたり、するものですか!!」
イリアが、再度俺の前に出る。
何を言う間もなく、矢とフィールドのせめぎ合う音が木霊した。
「わたくしはお嬢様の盾! 例え相手が何であれ――簡単に破られるものですか!」
気合い、といえば馬鹿らしいが。
事実、今度はイリアの気合いが相手の攻撃を上回ったのか、先ほどよりも強力そうな矢を受け切った。
力5と、守り5の闘い。
だけど、それは攻守交代があって、初めて均衡が成り立つ。
一方的にイリアが受けるだけではジリ貧だ。
――俺が、やらなきゃ。
「――イリア、次の四射目を何としても受けなさい。その瞬間、私が相手に向かって跳びます」
「いけません、相手が速度重視で射れば、お嬢様の守りでは……」
「分かっています、自殺するつもりはありません。私を、信じなさい」
「……イエス、マイ、レディ!」
勝負だ。
感覚を研ぎ澄ます。
身体に雷を巡らせる。
四射目、来た!
「――っ!!」
再び、フィールドと矢のせめぎ合い。
先ほどよりも、尚強い!
イリアの口元から、血が零れた。
ごめんね、イリア。
今――っ!
イリアの背後から、跳び出した。
大地を蹴って、夜空の中を一直線に切り裂いていく。
射の位置から、場所はもう分かっている。
だからこそ、一直線。
そう、一直線。
こんなものは、スナイパーにかかれば、ただの的。
気配を読め。
先に動くな。
革袋から目的のものを摘まみだして、集中する。
近づいた分、エルフの目で相手の影を捉えた。
反撃は――間に合わない!
今まさに、射る瞬間!
こんな中で、狙いなどつけられない。
――相手が、必殺を確信した射を放つ。
「――私も、負けない!!」
手に握りこんだ銅貨に、ありったけの反発力を込める。
その力と、身体を捩じる動きで、直線にズレを生み出す。
微かな移動。
だが、相手が狙ったのは跳んでくる、俺の頭という点そのもの。
微かな誤差が、生死を分かつ。
「つっ!」
矢が、俺の腕を掠めた。
焼けるように熱い。
でも、そう――掠めただけ!
跳んでくる点に当ててくる相手の力量は驚異的だが、もはや次は間に合うまい。
見据えた影は、まるで焦る様子も無く、それどころか諦めたように弓を下ろした。
遂に捉えた影が建つ建物に跳び着いた俺は、間髪入れず渾身の雷の当身を食らわせた。
思った以上に、抵抗は無かった。
敏捷も知力も少ないのだろう。
油断なく、辺りも伺う。
気配は何もない。
一人?
倒れた相手を慎重に確認する。
ようやく、恐ろしきスナイパーに一矢報いた。
そこで見た、その顔は――
「――え?」
『彼女』は、祈る様な顔で、まるで眠る様に横たわっていた。
闘技大会のベスト16の相手は謎の棄権により、俺のベスト8進出が決まった。
その相手は、圧倒的な弓の技量で予選を圧勝したとのことだ。
「イリア、胸が苦しい」
その日の午後、再び公園にやって来た俺は、公園の入り口から子供たちが遊んでいる姿を眺めていた。
そこに、『彼女』の姿は無い。
子供たちも、どこか元気が無いように見える。
「何故かは知りませんが、世の中は、そのようなことばかりです」
「うん……」
「ですが、それに引きずられてもいけません。なぜなら――」
イリアの唇に指を立てて黙らせる。
代わりに、その言葉を引き継いだ。
「私たちは、それでも生きているから、だよね」
その言葉は、とても苦い。
俺たちは何をするでもなく、様子を眺めていた。
子供たちは、時折はしゃいだ声をだして、元気に公園を駆け回っていた。




