王都に向けて
買い物後、サイラに会いに行くと、何処かに出かけたと親方さんに告げられた。
代理でサインを頂いたので、仕事的には完了ではある。
専属スミスの話的には消化不良感が否めないが。
「タケシとケンジのせいだな、くそぅ」
「因果は巡ります、お嬢様」
「何の報いですか!?」
何を知っているの、イリア!?
「冗談でございます。わたくしは、お嬢様の行いは善行だと思っております」
「違う人の話を聞いているような覚えのなさが怖いんですけど……」
「確かに……あれは、違うお方でした」
なぜちょっと頬を染めるのですか?
「……まぁいいです。ではギルドに寄ってから、宿に帰りましょう。明日の出発も早そうですし」
残念だが、執着するほどのことでもない。
ルフィンから王都まで、馬車で三日。
少々手間ではあるが、用事のある時にサイラを訪ねてくる事は出来る。
俺はイリアを連れて、鍛冶屋を後にした。
またね、サイラ。
宿に戻ると、部屋の浴室から裸の子供が出てきた所だった。
いつもは括ったツインテールを下ろしているから、一瞬誰かと思ったが。
その深海の蒼い目と、可愛い尖った耳。
リンナルのようなほっぺに、俺以上に凹凸のない身体。
特徴を見れば一目瞭然である。
「って! 水滴水滴! 部屋に水滴落とさないで下さい、ティル!」
「む……?」
タオルを頭からかけて、碌に拭きもせずに浴室から出てきているから、部屋が水浸しだ。
しかもそのまま、ぺたぺたと部屋を歩き回るものだから!
ああ、なんてことだ、こういうの気になる!
「ああ、もう! マットの上から動かないで下さい!」
「こ、こらっ、やめんかアリス!」
部屋を歩いて水浸しにしている犯人を強制的にマットの上に戻して、タオルを引っ手繰るとさっと頭を拭いてやる。
それから、とりあえず身体を拭いてやる。
そして、もう一度髪を優しく拭いていく。
「もう……子供みたいなことしないで下さい、ティル」
「む……神経質なやつよのう」
というか、あなた正真正銘子共にしか見えないんですけどね。
振る舞いには気を付けてくれないと、忘れてしまいそうです。
「うぅむ。だが悪くない」
観念したのか、意外に心地良いのか、ティルが弛緩して身を任せてくる。
「はいはい、じっとしてて下さい。というか、寄りかからないで下さい、服が濡れますし」
丁寧に髪を拭いてやる。
綺麗な髪である。
それに、ある程度長いから手入れは大変だろう。
俺も自分の髪の長さに少しばかり苦労をしているので、良く分かる。
ティルは、何かずぼらな雰囲気がするし……
「風鉱石を後で使いますね? ちゃんと乾かさないと、風邪を引きますし」
「良きに計らえ」
風鉱石とは名前の通り、風を起こす魔石。
火鉱石も風鉱石も、元は魔鉱石から出来ているものだが、錬金術師が手を加える事によって、様々な効果を発揮する道具に変化する。
錬金術師とは、科学者と同義であるとも言える。
突き詰めていくと、真理を解き明かすという目的に相違ないのだから。
……真理、か。
この言葉は、あの女を思い出させる。
「――リブラって、何ですか?」
「――」
弛緩していたティルの身体に、力が入った。
「お主には、関係のないことよ。気にするな」
「それで済んだら……嬉しいんですけど」
昨日の土砂崩れの記憶が蘇る。
考え過ぎ?
被害妄想が見せた幻?
真偽の程は、分からない。
だけど、不安なのだ。
――彼女は、もう俺に目を付けているんじゃないのか?
そう思うと、身体が震える。
何処で見当をつけた?
たまたまか?
ティルでさえ、俺の存在については深く考えていない様なのに、あの女はどうして?
「やつに怯えるか、アリス。お主のその見立て、悪くない。もし妾がおらぬ時にやり合う事にでもなれば――全力で逃げろよ?」
「逃げる……」
「今はまだ、到底敵うまい」
ティルから見て、俺とリブラとの間にはそれ程の力の差があるというのか。
確かに、あの赤い目に見据えられただけで、死神に魅入られたような言い知れぬ不吉さを感じる。
「ティルは……あの女の事を、よく知っているんですか?」
「……まぁ、隠す事でも無かろう。あ奴は――妾の一人目の弟子、アリスよ……お主の姉弟子じゃ」
「――え?」
弟子?
ティルの、弟子?
こんなに優しいティルの弟子に選ばれた人が……あんな、事を?
リンナルの事件を思い出して、吐き気がしてくる。
「お主の想像通り、これは妾の不始末。だから、妾が始末をつける」
「始末……」
それって、殺すってことですか?
ティルが、自分の弟子を?
「……ティルは、それで良いんですか?」
「良いも悪いも無い。ただ過去があり、そして今、そうせねばならぬ事実がある。それだけのことよ」
そう言い切るティルの言葉に迷いはない。
当たり前かもしれない。
ティルは、俺みたいな未熟者とは違うのだから。
でも……
「悲しそうな、瞳です……」
ティルの正面に回って、膝をついて、視線を合わせる。
その深海の蒼に、揺らぎが混ざっているのは、すぐに分かる。
「たわけ、生意気を言う出ないわ、この未熟者が」
そう言ってのけるティルの目は優しくて、俺は少しだけ心が痛んだ。
ねえ、ティル?
私は……
あの女の代わり、なんですか?
それが口をついて出ることは、無かったが。
次の日、再び寝ぼけて潜り込んできたティルを複雑な気分で強く抱きしめて寝ていた俺は、相変わらず理不尽な目覚ましで叩き起こされて、旅支度を始めた。
滞りなく馬車に荷運びを終えて、まだ早朝のルフィンの街を後にすることにする。
サイラに挨拶出来なかったのは気がかりだが、こんな早朝に顔を出すのも失礼だろう。
「出発するぞ」
「はい、お願いします」
荷台に藁を敷いて、居住空間を快適にした俺に隙はない。
いつでもどうぞ。
ティルは王都に向けて出発すべく、馬車の手綱を引いた。
さらば、ルフィン。
それなりに楽しかったです。
「―――アリスさ~~んっ、私も! 連れて行ってください!」
そんな声が聞こえたのは、出発して直ぐの事。
まだ街を出る前。
大荷物を下げたサイラが、息を切らせながら大通りを走ってくる。
「ティル!」
「やれやれ」
面倒くさそうに答えるものの、ちゃんと止まってくれる所が素直じゃないです。
俺は馬車から降りて、サイラが追いつくのを待った。
背負った荷物は本当に重そうだ。
家出のように見えなくもない。
まさか、そういうことなのだろうか?
「はぁはぁ、アリスさん、私も、どうか連れて行って欲しいです……」
「サイラ、いいの?」
「親方さんには、昨日ちゃんと伝えましたから」
肩で息をしながらも、俺を見上げてくるその眼は決意に満ちている。
その覚悟をこちらから問いかけるのも余計だと思う程に。
「分かりました。こちらこそ、あなたの力を貸して欲しいです、サイラ」
「はい! アリスさんの力になれるよう、頑張るニャ! ……です!」
元気よく返事を返す少女の被る帽子が跳ねるように動いた。
元気一杯、という言葉の似あう年相応の少女だと思う。
旅の連れ添いが一人増えた。
でも、この子は俺が守ってやらないとダメだろう。
ティルやイリア、それにお姉ちゃんとは違う。
「あなたは私が守ります。これからよろしくね?」
「う、嬉しいニャ……」
です、を付け足す事も忘れて照れているサイラに、首を傾げる俺。
そういえば、タケシとケンジは良いのだろうか?
何かあったはずだろうが、それを聞くのも野暮というものか。
サイラ、罪な子。
「……この場合、一体誰が一番罪作りなのでしょうか」
イリアがそっと、俺の隣で呟いた。
え? サイラじゃ、ないの??
名前:サイラ
種族:獣人族
性別:女
年齢:14歳
職業:鍛冶師
LV:1
サイラのステータスを確認した。
まぁ、驚くほどの情報は無い。
予想通り、という所だろう。
「そういえば、サイラの素質は知力の代わりに、鍛冶5ってなってるみたいだけど?」
荷馬車の上で左隣りに座るイリアに尋ねる。
右隣りのサイラは、不思議そうに俺を見ていた。
というか、どうして俺を囲むように座るの?
荷馬車にはまだ余裕があるのだから、何処にでもゆったりと座ればいいのに。
そんな密着されたら、ちょっとドキドキするというか……
「いわゆる戦闘職の素養がある人は、素質が知力を含めた5素養に10ポイントの数値を全て振られています。これが、サイラさんのような鍛冶師などに向いている方ですと、10ポイントが足りない状態で表示されるのです」
「へえ」
つまり、こういうことか?
力1 体力1 守り1 敏捷2 知力0
「その人が何に向いているのかを探すのは大変ですが、何か戦闘職以外に秀でたものがある、というのは分かりますから。サイラさんは、それが鍛冶だったのですね」
「はい、恥ずかしいです……」
なるほど、それで戦闘職以外の職にチェンジすると、知力が無くなってそこにその職独自の素養が入るのか。
しかし、この数値ではサイラを外に連れ回すのは無理だな。
王都に家を買って、鍛冶が出来るように道具も入れて、基本的に鍛冶師兼お留守番をしてもらうことになりそうな。
まぁ、連れ回していたら鍛冶なんて出来ないだろうし。
「う~~~ん、当面の目標は王都で仕事をこなして、家を買う事かなぁ」
「家ですか、とても素敵な事ですね、アリス様」
「ありがと、イリア達と住める、ちゃんとした家が無いと不便だしね」
「私も少しでもお役に立てればいいのですが……」
サイラが気落ちした声を出す。
そうか、鍛冶出来る環境が無ければ、どうしようもないのか。
これは、意外と急務かもしれない。
サイラを精神的苦痛から解き放ってやる為にも。
何もすることがない、ということが、どれだけ苦痛を与えるかくらいは想像出来る。
あ、そうだ?
「イリア、闘技大会は賞金とか出るのかな?」
「そうですね、安くない金額が手に入るはずだと思います。奴隷も副賞として手に入りますし」
「あ。嫌な事思い出させちゃったね、ごめんなさい」
「ふふ、お嬢様。わたくしにあまり気を使うのはよして下さい。お嬢様には立場があります。これでは周りに示しがつきませんわ」
「そんなのいいのに」
「いけません。わたくしも調子に乗る時はございますが、あくまでも主従関係は守るべきです」
イリアってば、やっぱり真面目だなぁ。
なんで今、改めてそんな事を言うのかって事を考えると、隣のサイラに状況を敢えて分からせる為なんだろうなぁ。
なんというか……
イリア、ストイック。
そんな風に、とりとめのない会話を交わしながら夕方まで移動した俺たちは、本日のキャンプ地である大きな川の岸に到着した。
行程はティルと打ち合わせておいたので、地図の通りの場所であると分かる。
予定通りである。
「では、今日はここで野宿する。アリスよ、今日は直接お主の稽古を付けてやる――妾がな」
「ティルが?」
「うむ、あの川の上でな」
指差したのは、穏やかに水が流れる大きな川。
え?
川の上?
「えと、水中戦?」
「馬鹿を申すな、水上に決まっておろう」
水上戦、だと?
また難易度の高い事を言ってくる師匠だなぁと思いながら、俺は落ち着かない気分になるのを自覚した。
つまり。
――ティルに良いところを見せたい、と。




