修行
「ふぅ、ふぅっ」
「アリス様、大丈夫ですか?」
俺は息も絶え絶えに、とりあえず大丈夫だとイリアに手を上げる。
湖を迂回して、山の中腹まで上った頃で、体力の限界が来た。
そもそも獣道かと思うような、道なき道しかないのだ。
傾斜も含めて、今の俺には厳しい。
「ティルは、湖を直接渡ったんですね……なんて卑怯なショートカット」
あの空を駆ける魔法。
あれは、空に氷の足場を作って、それを爆ぜることによって推進力としている、と何度か見た俺は推測している。
ということは、だ。
あれは、ブリザーの連続詠唱なのではないか?
出力を調整したブリザーを連続で大気中に生成しているのでは?
「そ、想像するだけで恐ろしい……」
それが事実だとしたら、なんという実力差。
氷竜との戦いで、ティルはブリザーの連続詠唱で空を駆けながら、上級魔法を唱えたということになるのか?
ティルがダブルキャスト出来ることは、もう分かっている。
それにしても……
「壁は高いようです……」
今の俺がサンダーのクールタイム無しの連続詠唱をすると、感覚的には四度目で倒れる。
例え連続詠唱できたとしても、そもそも魔法の系統的に、俺は空を駆けることは出来ないのでは?
もちろん、火魔法も無理だろう。
系統毎に何か特色はあるはずなので、悲観する必要もないかもしれないが。
「アリス様の魔力は、お師様に匹敵すると思います。わたくしは、アリス様を誰より信じております」
「イリア……なんて良い子」
俺は褒められて伸びるタイプなんです、そうなんです。
いや、今の年齢関係で言えば、一つ年上なんだが。
イリアは俺にそんな風に言われても不快には思わないようだ。
穏やかな微笑みを返してくれる。
それにしても、左腕のブレスレットを触りながら思い出した。
ティルに忠告されたのだが。
普段はこれを使うなって、言ってたな。
つまり、右手で魔法を放てばいいのか?
確かにこれを使うと、消耗が凄いんだけど。
「――アリス様、来ました」
イリアが庇うように俺の前に出た。
鉄の槍を構える。
イリアの装備は商会からサービスでもらった鉄の槍と、俺がおばさんから貰った予備の皮のローブである。
俺の装備は、おっさんのマントをパレオ代わりにしたものを、更におばさんが手を加えてくれたお手製改造型皮のローブである。
若干、守備力が高いようだ。
キラーウルフLV13
エネミーステータスを確認した。
狼だ。
さすがに氷竜との戦闘を経験しているので、それなりに落ち着きが出てきた。
しかし今回は、複数匹いる。
合計4匹。
初めての団体さんである。
そういえば、狼は集団での狩りを得意としていると聞いたことがある。
そう考えると、今目に見えている敵だけでなく、横の茂みの中とかが急に気になりだした。
――まだ、隠れてるんじゃないか?
「アリス様を傷つけることは叶わないと知りなさい」
とはいえ、まずは目の前の敵である。
イリアが槍を一振りすることによって、相手を牽制する。
何だろうこの安心感。
1人じゃないって、素晴らしい。
「――サンダーっ!」
詠唱なし、ノンタイムで先制の一撃を見舞う。
右手で放ったそれは、五芒星で強化された氷竜の時の魔法ではなく、いつもの俺の魔法だ。
しかし威力的には問題ない。
虚を突いた魔法は、4匹のうちの1匹に命中し、屠った。
その一撃を皮切りに、戦闘が動き出す。
仲間を倒された狼が様子見を止めて、飛び掛かってくる。
それをイリアが巧みな槍さばきで、全て防いだ。
イリアは敏捷はないが、武器の使い方が上手い。
槍のリーチを活かして間合いを保つのが抜群だ。
なるほど、イリアに良くあった武器だ。
恐らく、イリアに剣は向いていない。
短い間合いでやり合うには、どうしてもアジリティが必要だろう。
盗賊とやりあったような体裁きがあるとはいえ、長所を活かす方が良いに決まっている。
まぁ、それはともかく、やはり俺にとっては最高の盾。
避ける、ではなくて、受ける。
そして敵を通さないように、間合いを保つ。
後衛として、これほど心強い相方はいない。
ならば、少々無茶な実験をしてみようとも思う。
ティルの連続詠唱を、試してやろうと思った。
「サンダー!」
2発目。
クールタイム無視。
2匹目を見事屠った。
まだ、いける。
「……サンダーっ」
3発。
狙いが甘い、これは躱された。
集中力の問題か?
立眩みがした。
む……もう、無理か?
「さん……」
「お止め下さい、アリス様」
言葉と同時にイリアが踏み込んで、狼を串刺した。
しかし、相手の守備力がイリアの攻撃力を上回っているのか致命傷にはならない。
小競り合いを何度か続けて、ようやくイリアもその一匹を倒した。
俺はというと、その間世界が回る、もうダメだ状態。
回復優先。
LV3と、LV275の如何ともし難い差がここに!
……いや、まあ当たり前か。
だが、この程度なら少しで回復出来る。
着実に強くはなっていると思う。
「サンダー!」
イリアが牽制していた最後の1匹を、回復した俺が倒した。
これで、熟練度3アップだ。
う~~~ん。
しかし、ティルとの差が単純なLV差だけとは思えないな。
あの連続詠唱は、魔法の使い方の差。
そう、つまり……出力調整?
「――アリス様!」
イリアの声で、咄嗟に身体が動いた。
最初に気にしていた獣道の脇の茂みから、狼が飛び掛かってくる。
俺の首を噛み切らんとばかりに飛び掛かった狼を、何とかしゃがみ込んで躱す。
――と、同時に。
咄嗟の判断、本当に偶然。
やり過ごした狼の攻撃、その無防備な腹を下から掌底で突き上げる。
力は無いから、ほぼ無意味。
なので、急いで魔法を上乗せする。
「――っ!」
咄嗟の不安定な発動で、一瞬だけのサンダー。
狼は倒せなかった、が……
「これは……」
この発想は……?
「申し訳ございません、大丈夫ですか、アリス様?」
イリアが手負いの狼を油断なく屠り、俺の様子を伺いに来る。
しかし、俺はそれどころではない。
「ふ……ふふっ! 見ていなさい、ティル!」
確かな手応えを、俺は掴んだ。
――そんな閃きに、心が浮かれるのが人の性だと思うのです。
「……」
「で、竜の小娘が担いでおるそれは、死体か?」
「いえ、その……何と言いますか」
夕暮れ時、山中での狼の戦闘と、そもそも険しい道のりの往復で、俺はあっさりと体力の限界を迎えていた。
山からの帰り道、俺は途中で倒れこみ、テントまでイリアに背負われて帰ってきたという始末。
イリアの槍を俺が背負い、イリアがその槍ごと俺を背負う。
そういえばイリアの力は大したことはないが、体力は優秀だったな。
しかし何と言う屈辱……
半眼に細められたティルの目が心に刺さります……
言葉も出ない。
「どうでも良いが、早く夕餉の支度をせよ、アリス」
「鬼!!」
イリアの背中から叫ぶ。
なんだ、まだ言葉出るじゃん……
さて、何を作ろうか。
明日には近くの街に一旦立ち寄るそうなので、持ってきた食材は今日明日で使い切れば良いだろう。
鮮度の事もあるし。
と言っても、日持ちするものしか持ってきていないので、パンとか干し肉とかなんだけども。
まぁ、俺が個人的に野菜を少し持ってきているが。
お昼はおばさんが作ってくれていたサンドイッチで済ませたが、同じものを作るのは俺のプライドが許さない……
調味料も持ってきたし。
「そうだ、固形物ばかりだから物足りないんだ」
幸い水は多めに持ってきている。
旅の日程も無理のあるものでもないし、ここで飲み水以外に使ってもいいだろう。
「アリス様、わたくしは何をすれば良いですか?」
「そうですね……飯盒を使うので、それを吊るす棒を組み立ててください」
薪用に持ってきた木材をロープで組み立てれば良いので、それほど手間ではないだろう。
火は携帯用の火鉱石があるので何も問題ない。
携帯用火鉱石は、家にあるようなものと違って一回限りの使い捨てになる。
石に掘られた火の文字の窪みを指でなぞると、徐々に発熱して、発火する。
魔法使いの絶対数が少ないこの世界では、軍用に使われることもあるらしい。
まぁ兵器としての火鉱石は、こんなに安っぽくて弱火じゃないだろうが。
「飯盒? 炒め物か、お米でも炊くのですか?」
実際、飯盒はフライパンとしての機能も併せ持った優秀な携帯調理器具だが、炒め物をする訳ではない。
そしてイリアも疑問符を浮かべている通り、お米など持ってきていない。
「スープを作ります」
答えて食材と調味料を、荷馬車から引っ張り出した。
飯盒を吊るす棒を組み立てて貰って、薪と火鉱石で火を入れて、俺は飯盒で簡単なスープを作った。
スープの素、なんていう便利なものはさすがにないので、この前の料理の際にも使ったコンソメと塩で味付けして、具材は豆とキャベツのちょっとしたものだ。
味見をしてみたが、疲れた体に塩味が染み渡る。
主食は干し肉を叩いて少しでも柔らかくして、持ってきていたレタスと一緒に挟んだサンドイッチである。
野菜はもう今日中に使い切るしかないだろう。
日をまたいでも仕方が無い。
しかし、食材が見たことあるものばかりで迷う必要が無いので助かる。
「おお、美味い!」
そしてサンドイッチに添えて作ったスープは好評を得た。
その一言が、料理をする醍醐味だよなぁ、ほんと。
「本当に……パンも喉に通りやすいです」
固形物だけではねぇ。
それに屋外だし、温まるものが身体には良いだろう。
「すみません、本当はわたくしが用意すべきなのですが……あまりにもアリス様が楽しそうになさるので……」
「え? そ、そうでした?」
いや、確かに料理は気分転換に抜群なのだが。
「妾は気に入ったぞ、アリス! やるではないか」
「いえ、まぁ……ありがとうございます」
何か修行とは関係ない事だけ、褒められるんだな……
しっかし、もぐもぐサンドイッチ頬張るの可愛いなぁ。
言ったら殺されるかもしれないから、決して言わないが。
「で、熟練度はどこまで行ったのじゃ?」
「51まで、ですね」
かなり頑張った。
「ほう、それならもうすぐよな」
いやいや、やっと折り返した所だし。
本当に夜明けを迎えるぞこれ、て感じなんだけど?
「50を超えたのなら、もう範囲で撃てるであろう。お主の魔力なら、あの程度の敵は範囲でも一撃のはずじゃ」
「範囲!?」
俺は慌ててサンダーを確認する。
サンダー(熟練度51)詠唱無し クールタイム10秒 範囲可
おお……
範囲、可だと?
「これなら、確かに徹夜しなくても良いかも」
「夜間戦闘も慣れておくのに越したことはないがのう。アリスよ、お主も目は見えるのだろう?」
エルフの目の事か。
「見えます。やっぱりティルも?」
「うむ。竜の小娘も気配を読むのには長けていよう。夜間戦闘で更に鍛えるが良い」
「はい。もう二度と、不意など打たせません」
イリアが力強く返事をする。
ああ、あの狼の奇襲、気にしてたんだ。
こっちとしては、怪我の功名というか、何と言うか。
あれのお陰で、ちょっとしたことを思い付いたのだが。
「では、後は頑張るが良い。妾は寝る」
「よく寝ますねえ!」
見た目通りですか!?
サンドイッチとスープでお腹が膨れた途端、眠気を催したのかティルが目を擦る。
287歳、ねえ?
「……もう、ほら。ちゃんとテントで寝て下さい」
あっという間にその場で船をこぎ始めたティルの手を取る。
足取りも危なっかしい。
手を繋いでテントまで誘導する。
中に入って、毛布を被るとすぐに寝息が聞こえてきた。
「寝顔は天使なんだけど……」
やれやれ、こっちも寝たいけど弟子としてはそういう訳にはいかないか。
とりあえず後片付けをして、ちょっと沐浴してからさっぱりして行こうかな。
戻るとイリアの方も食事は終えて、もう後片付けを始めていた。
「イリア、片付けたら私は湖で沐浴するので、少しだけ待っててください」
「いえ、アリス様。沐浴こそ一番油断している最中、どのような危険が潜んでいるか分かりません。わたくしも一緒に参ります」
「……え?」
一緒に、来るの?
「あの……服は?」
「一糸纏わぬ姿でも、わたくしは敵に後れを取るつもりはありません」
「そ、そうでしょうね」
剣を腕で止められるもんね。
いやぁ、しかし問題はそこじゃあ、無いんだよなぁ……
「さぁ、参りましょう」
「あ、ちょっ」
話しながらも手際よく、早々と片づけを終えたイリアに腕を引っ張られる。
荷物からタオルを取り出して、ぐいぐい連れて行かれる。
力強いですね、イリア!
とても敵いません!
俺はもう、観念した。
そして困ったことに、夜でも良く見えるんですよねぇ、俺の目は……




