幻想の咆哮
おばさんをベッドに運んで、とりあえず一息ついた。
1人でカッコよくは運べなかったので、イリアに手伝ってもらった。
さっきも確認したが、もう一度呼吸を確認してしまう。
「うん……大丈夫、だよね」
自分に言い聞かせるように呟いてしまう。
「大丈夫だと思います。素晴らしい魔力でした、アリス様」
「あ……ありが、とう」
イリア普通だなー。
人工呼吸のような認識か?
いや、まさにそんな感じで間違いないんだろうけど。
あれは、一体……?
「イリア、さっきのは一体……何?」
「申し訳ございません、アリス様」
「いえ、怒ってる訳じゃなくて、何と言うか、アレのお蔭で私、元気になったような気がしたんだけど?」
イリアってば、まだ俺の奴隷という訳でもないのに、なんて丁寧な子。
「それは、その……」
そのエメラルドの目を泳がせて、イリアは言い淀んだ。
なるほど、勝手に情報を売る訳にはいかないのは、向こうも同じだもんな。
「ごめん、忘れて。さっきは本当に助かりました。ありがとう」
その前に助けてくれた所から。
というか、イリア強いじゃん!
俺より強いんじゃないのか?
まぁ……遠距離戦では負けないけどな!
「いえ、勿体ないお言葉です」
「堅苦しいなぁ」
まぁ、もしイリアを買えたら一緒に居る時間も長くなるし、馴染むか慣れるかするだろう。
「でもどうして、ここが分かったんです?」
「わたくし達も、商会の戦闘奴隷の皆様と共に戦っていましたから、通りを走り抜けるアリス様はすぐに目に付きました……目立ちますので」
何となく言い辛そうに顔を背けるイリア。
……待てよ?
「……もしかして、後から入ってきた盗賊って、私を追いかけて来た?」
こくり、と気まずそうにイリアが頷いた。
おおう。
自分で蒔いた種か。
いやいや、でも結果から言っても、一刻の猶予も無かったのは確かだ。
「……あ」
「?」
イリアの腕、そういえばと思って見てみると、やはり切り傷が残っている。
いや、普通に考えてシミターの一振りを腕で受け止めてちょっとした切り傷とか、お前その身体何で出来てんの?
と言うくらいの頑丈さだが。
「見せて下さい」
「あ、いえ、そのような」
「いいから」
強引にイリアの腕を取って、切り傷に手を当てる。
「――ヒール」
これはそれほど消耗するような傷ではない。
その通り、すぐに塞がった。
実際、挫創って感染症とか怖いしね。
「ありがとう、ございます……」
「いえ、足りないくらいだけどね」
お返しとしては。
でも不思議だ。
そのままイリアの腕を取って、ちょっとさすってみる。
滑々のお肌だ。
柔らかくって、筋骨隆々という訳でもない。
というか、華奢だし。
「あの……」
「あっ、ごめんなさい! ちょっと気になってしまって」
困った顔をするイリアの腕を解放する。
う~~ん。
イリアの守り5の秘密ってなんだ?
何か引っかかるなぁ。
ヒューマン、ではない?
「おい」
「あ、はい?」
ドアの向こうから、様子を見ていてくれた黒ずくめが入って来る。
「商会の戦闘奴隷がこの家の見張りに付いてくれる、盗賊に後れを取る者はいないから安心しろ」
「え?」
何でそこまで、という顔がそのまま相手に伝わったらしい。
商会にとって、この街を守るのに何かメリットがある?
「代わりにそいつを連れて行く。街外れの草原で、ベルトランが苦戦しているらしいからな」
他の戦闘奴隷より、イリア1人の方が重要だってことか?
おかしい、それならそれで、あの金額で売るのは安すぎるのでは?
何か、ある?
「まだ、盗賊がそんなに居るんですか?」
「いや、盗賊は街から一掃されたと言っていいだろう。商会と自警団の連中で街を回って確認した」
では、何に苦戦していると?
相変わらず鋭い目つきを余計険しくして、黒ずくめは声を絞り出した。
「―――竜だ」
大通りに出ると、その体躯と咆哮が嫌でも体感出来た。
俺が最初に子犬に襲われた草原近くに、それは堂々と君臨していた。
「ちっ、もうあんなに迫っているか」
黒ずくめの言う通り、先ほどまでは咆哮も、この恐ろしい地響きも感じなかった。
否、そもそも存在さえ無かったのではないか?
急に現れた?
だが現実として今そこに、圧倒的な存在感を放つ幻想上の生物。
まさかファンタジーの世界とはいえ、こんなに早くお目にかかるとは思わなかった。
今まで経験してきたことも相当だが、これはもう、現実離れし過ぎている。
地上であんな大きい生き物が存在していることに、認識が追いつかない。
恐竜が生きていたら違ったのかもしれないが、目にした事がある大きさとしては動物園で見た象くらいが最大だ。
まだまだ距離があるのに、遠近感が可笑しいんじゃないだろうか?
家が動いてるくらいの迫力だ……
「街の人達、おばさんも避難させないと!」
「――それはやるべき者がやれば良いこと」
空から声が降ってくる。
俺の横に飛び降りてきたのはティルだ。
本当に移動の仕方が特殊過ぎて、驚くな、この子……
それより!
「ティル!」
言いたいことが山ほどあった俺に、視線で黙れと合図してくる。
う……小さい子なのに、何だか逆らえない。
「きさまっ! エルフか!?」
ティルを見て、黒ずくめが気色ばむ。
そういえばティルは正体を隠そうともしないな。
その可愛らしい尖った耳も、隠そうと思えば隠せるのでは?
髪を下ろせば。
まぁ、ツインテール可愛いけども。
ティルにとってこっちの事情なんて、それこそ知ったことじゃないか。
それにしても、俺は別に耳尖ってないけどな、と関係ないが自分の耳を触ってみる。
「煩いわ、黒いの。今はそれどころでないくらい、理解できんか? 吠える前に、避難の指示でもするが良かろう」
顎をしゃくる様にして、ティルは竜に注意を促した。
全く持って、そうだとは俺も思うが。
「おい、アリス、と言ったな! 後で話を聞かせてもらうぞ!」
「えー」
俺もさっき知り合ったのにー?
話を盛ると、碌な事にならんな……
黒ずくめは手近に居た商会の人間を捕まえて、出来るだけの避難をするように伝えていた。
本当は安静にしている方が良いのだろうが、おばさんも避難させてもらうよう、俺も一緒に頼んだ。
あんなものを見て、ここに留まっちゃいけない。
一通りの指示が終わり、さぁ竜をどうすると誰もが思った頃。
「――おやおや、集まってご歓談かい? 随分と余裕じゃないか?」
声は突然、何も無い空間から聞こえてきた。
「転移魔法か。相変わらず、えげつない事をする……」
「過去の遺産を悪く言うのは感心しないねぇ、我は真理の探究者。えげつない、なんて感情は持ち合わせてない」
俺たちの集まる場所から少し離れた空間に、魔法陣が浮かぶ。
森の遺跡で見た魔法陣に似ている。
そこから空間が歪み――人が出てきた。
「久しいじゃないか、氷雪のおばば様」
「よくもまぁ、お主の方から顔を出せたものよのう、リブラよ」
当たり前のように応えるのはティルだけで、俺もイリアも、黒ずくめさえも呆気に取られて動けないでいる。
褐色の肌に、血の滴るような赤い瞳。
髪の色は銀、と言うよりは白。
ただ白髪のようには見えない、艶々とした長い髪。
それをゆるく三つ編みにして一つに纏めている。
「それで、一体どれだけの魂を使った?」
ティルの身体から冷気が迸る。
その明らかな怒気に、息を呑む。
「そうさねぇ、思ったよりは少なかったんじゃないか? おばばのせいで。おかげで竜も出来そこないだよ」
思わず、不気味な地鳴りを響かせる竜を見る。
今はまだ、黒ずくめの言った通り商会の人が戦ってくれているのだろう、竜は街の外の草原で暴れ回っている。
正直どうしようもないのではとも思う、あれが出来そこない……
しかし、あんなどうしようもないものを……この人が?
「やはり恥、お主を生かした妾の失敗であった」
「あははっ、違うよ、大成功だよ! おばばのお蔭で、この世界の真理がどんどん解き明かされていくんだからねぇ!」
「お主……何を探しておる? 何故、このような辺境にまで足を延ばした?」
「聞いてくれるのかい? あはは、我も誰かに話したくってうずうずしていたよっ。理解してくれる人間に聞いてもらえるのは、最高の娯楽なんだ!」
ティルの冷たい怒気に充てられても、意に介さず笑い続ける異常。
寒気がする。
「そうそう、我は観測したんだ! ちょうどこの辺りで、最近『特異点』をね!」
「特異点、じゃと?」
最近……
この近く、で……?
「昔からあるだろう? 神隠しで消える人間や、逆に特別な人間が急に現れることが? 我はそういう不思議を解明したいっ! それを神秘のままで終わらせるのは、智ある者として怠慢とは思わないか、おばば? 思うだろう!」
悪寒がした。
「その為に、ならずものを先導し、魂を集め、竜を召喚し、この地をかき回したと、そういうか?」
考えたくない。
何も思い浮かべたくない。
「うん、そういうことになるのかね? 何処に行っても余るほど魂のストックはあるし、特異点の見つけ方もまだ分からないし、なら、いつもと同じようにトライアンドエラーを繰り返すしかないじゃないか?」
「――クズめが」
「おっと! あははっ! おばばと直接やり合う程、我は自分を過信していない。またね!」
ティルが手をかざした瞬間、リブラ、と呼ばれた女は魔法陣を開いて飛び込んだ。
「嬉しかったよ、嬉しかったおばば。会えて嬉しい、相変わらず可愛いままだ。では存分に竜を堪能してくれ! せっかくこの街から提供された魂だ! それに出来そこないとはいえ、特異点が開いた場所で召喚した特別製だからね!」
薄れていく人影に、ティルは手を下ろした。
―――が、反対に突っ込んで行った人間がいる。
「貴様がっ、貴様かあああああああああ!!」
黒ずくめが咆哮を上げて、消え行く女に飛び掛かる。
だがそれは、空を切るだけの虚しい攻撃となった。
ティルが手を収めたのだ。
分かり切っていたことではある。
「ソルト、さん……」
怒りに震える彼の背が、いつもより小さく見える。
「……お主のやり方は認められん。これは妾の絶対の真理じゃ」
どこか悲しげにつぶやいたティルは、視線をすぐに上げて竜を見据えた。
「よし、あれを止める。協力せい、アリス」
「……もちろんです。止めて見せます、あれは……私が止めないといけない」
爪が食い込むほどに、手を握りしめて答える。
「……? まぁ、よい。そこの黒いのと――竜の小娘よ、お主も手伝ってもらうぞ」
「――っ!」
今まで、ティルから何故か隠れるように存在感を消していたイリアが、震えた。
「竜……?」
本当に、皆、一体どれだけ事情があるんだ?
怒りに震えるソルトさんに。
怯えるようなイリア。
物悲しそうなティル。
恐らくは、それぞれに苦悩を秘めて、それでも俺たちは竜を止めるために協力する。
例え内心が、どうであれ……




