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幻想世界のアリステイル  作者: 瀬戸悠一
一章 異世界転生編

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戦火に舞う雪

 喉が痛い。

 呼吸が苦しい。

 酸素が足りない。

 しかもそのせいで多分、無駄に空気を吸い過ぎている。

 過呼吸気味だ。

 有酸素運動を続ける上では、『吐く』方が大事になってくる場面が来る。

 そもそも今の俺に、長距離を走り続けるスペックは無い。

 街に着いた時に戦えないのでは意味がなく。

 それでも――手遅れになっても、意味はない。

 俺はもう既に目に入っている火の手が上がる街に向かって、必死に駆けた。


 「はぁっ、はっ、はっ……っ」


 街の門前までやってきて、膝に手を付いて止まる。

 急に止まるのが良くないのは重々承知の上で、もう一歩たりとも動きたくないという身体の悲鳴に従った。

 急ぐも何も、これ以上は限界。


 「……何時まで経っても、何処まで行っても、結局これか」


 ティルが寂しそうに呟いて、俺の手から離れる。


 「ぜぇ、ぜぇ……ティル?」


 既に死にそうな俺を、ティルは虫けらを見るような目で蔑んでくる。

 やめて!

 心が折れる!


 「軟弱者めが。お主は少し休んでから来い。これが終わったら、死ぬほど鍛えてやるわ」

 「待って……っ」


 呼び止めようとしたその口に、ティルの人差し指が当てられる。


 「弟子に心配される程、妾は弱くはない。例え現役を退いて久しくともな。しばらく休んでから来い。よいな?」


 そう言って、ティルは空を駆けて街に入って行った。


 「はぁ、はぁ……弟子?」


 いや、それよりもこの体力……

 緊急事態にどうしようもない!

 ヒール……じゃ、意味ないよな。

 仕方ない、歩ける程度に息が整うまではここで休憩するしかない。

 じれったい……!

 弱い弱い弱い!!

 なんて弱さだ、俺は全然世界最強じゃない!

 素質とスキルは俺の思うままに振ったが、それを活かすも殺すも、これから次第。

 この身の不甲斐なさに、腹が立つ!


 「もう……良い。大丈夫……」


 肩で息をしながら、何とか足を前に出す。

 おばさんを、守らなきゃいけない。

 シオンさんと、おっさんの代わりに―――――






 分かっていた。

 大分前から。

 だけど街に入ると、その想像が確信へと変わる。

 血と悲鳴と、そして物と『ナニカ』の焼ける臭いで、吐きそうになる。

 奪って、殺して、焼き払う。

 これが……

 これが、人間のやることか!!?


 「おばさん……っ」


 大通りを突っ切って、家に急ぐ。

 俺が入った街の入口から今まで、盗賊とは鉢合わせていない。

 盗賊らしい人間の氷漬けの死体なら転がっていたが、誰の仕業なのかは考えるまでもないだろう。

 とにかく、まずは家だ!

 悲鳴を上げる身体を叱咤して、家に急いだ。

 そうして、ようやく行き着いた我が家。

 火は付いていない……が、ドアが開いている!

 不安で押し潰されそうになる。

 悪い予感ばかり、理性が訴えてくる。

 飛び込むように、家に入った―――――


 「―――――――――おば、さん……?」


 そこには、人間が2人居た。

 いつもシオンさんや、おっさんや、おばさんが笑って、俺がからかわれる憩いのリビングに。

 野暮ったい服装の盗賊が1人、血濡れの剣――シミターというのだろうか?

 とにかく、血濡れの武器を手に持っていた。

 そして、もう1人は――――床に横たわる見慣れた人影。


 「こっ」


 目の前が真っ赤になった。


 「なんだぁ!? すげえ! まだこんな女が残ってたのかよ!? ツイてるぜ!」


 俺を見て、盗賊が歓喜の声を上げる。

 反吐が出る!


 「―――殺してやる!! この、ケダモノがあああっ!!」

 「がっ……!?」


 無防備に近づいてくる盗賊に、念じるだけで魔法を放つ。

 遠慮なく、呵責なく、容赦なく明確な殺意を持って。

 詠唱は無くとも、手応えは十分。

 一撃で葬った。

 何の感慨も湧かない。

 俺は無言で倒れた盗賊に近づいて―――その頭を踏みつけた。

 どうしよう?

 どうしてくれよう?

 全然足りない。

 殺したりない!!

 もっと刻んでやりたい!!


 「……」


 盗賊の手に持ったシミターが目に入る。


 「……刻んで、やる」


 俺はその、血濡れのシミターを手に―――


 「……だ、め……だよ。アリス、ちゃん」

 「っ!?」


 取り落とした。

 人殺しの武器など、どうでも良い。

 全力で声に振り返る。


 「飲まれちゃ、ダメ……だ、よ」

 「おばさんっ!」


 おばさんは胸から血を流しながらも、俺を見ていつもと変わらぬ温かみのある笑みを浮かべた。

 生きてる!

 生きてた!


 「逃げな……アリス、ちゃん、ごほっ」


 おばさんは、胸を刺されている。

 心臓……ではないだろう、そこを刺されていたら……

 いや、それでも肺が血で溢れたら……!


 「逃げません! 助けて見せます、生きているのなら!」


 集中しろ。

 もう、この際倒れたって良い。


 「――――大地の女神よ、癒しの息吹を持って慈悲を賜れ! ヒール!!」


 刺された胸に癒しの奇跡を流し込む。

 瞬間、意識が持って行かれそうになる。

 傷が深すぎるのだ。

 おっさんどころの騒ぎじゃない。

 魔力も体力も、根こそぎ奪われる感覚。

 恐らく、俺のヒールは回復魔法で言えば下級魔法なのだろう。

 純粋な回復職じゃないのだから、仕方ない。

 そう、仕方ない。

 それは仕方ない。

 でも、おばさんの命は仕方ないじゃ、済まさない!!


 「絶対にっ!」


 何処の誰ともしれない俺を受け入れて、世話してくれて、家族にしてくれた恩人なのだ。

 おっさん、おばさん、シオンさん。

 この家族が居なかったら、俺は絶対に死んでいた。

 それこそ、盗賊の慰み者が良い所だ。


 「お? なんだ? 女が居るじゃねえか!」

 「マジか?」

 「――っ」


 入口から、新たに2人の盗賊が入って来る。

 最悪だ。

 キャンセル―――出来るはずがない!

 1秒を争う程、時が惜しいのだ。

 攻撃に割く時間など、無い!


 「出て行って下さい! 今、あなたたちの相手をしてる暇なんて、無いんです!」


 そもそも意識が飛びそうだ。

 強く自分を保つ為、唇を噛み切った。

 痛すぎる。

 その血の味と痛みで、何とか自分を繋ぎとめる。


 「へへっ、こいつぁ良い女だ!」

 「ひゅうっ、そっちになくても、俺らは遊んで欲しいぜ」


 下卑た笑い声で近づいてくる。

 どうするどうする!

 本当に今は、こんな奴らに構っていられない!

 ……


 「……後で、相手をしてあげますからっ、今は放っておいて下さい!」


 死にたくなる、本当!

 ダブルキャストを覚えておくんだった!

 いや、詠唱短縮にどれだけ救われた?

 それ以前に、ヒールだけで手一杯の今の俺に、ダブルキャストが扱える筈がない!


 「駄目だね、お嬢ちゃん――魔法使いだな? なら、今のうちがチャンスじゃねえか」


 バカじゃない!

 盗賊もバカじゃない、ほんとにどうしようもないな!

 盗賊はどんどん近づいてくる。

 でも俺は逃げる気はもちろん、無い。

 それは、無い。

 ああ……こんな奴らに好きにされるのか。

 こんなケダモノ共に好きにされるのか。

 もう、涙すら出ない……

 男どもの手が目の前まで伸びてきて―――――その手に槍が突き刺さった。


 「――え?」

 「っぐぎゃあああああっ」


 情けない悲鳴を浴びて、盗賊の1人が転がり回る。


 「なんだぁっ!?」


 慌ててもう1人の男が槍が飛んできた入口に振り返る。

 俺も確認出来た。

 入口から槍を投げた、その人物を。


 「――アリス様に、触らないで下さいませ」


 金髪碧眼。

 その丁寧な喋り方。

 一度見れば忘れない、その容貌。


 「イリア!!」


 何で彼女が?

 否、何でなんて、言っていられない状況だからこそか?


 「遅くなりました、アリス様。今、参ります」


 いや、確かイリアは戦った事無いんじゃ!?


 「てめぇっ、痛めつけて思い知らせてやる!」


 無傷の盗賊がシミターを抜いて、丸腰のイリアに襲いかかる。

 自分のピンチもどうかと思うが、人のピンチも見ていて心臓に悪い!

 イリアは向かって来る盗賊のシミターを振り下ろすタイミングで、滑るように間合いを詰めて、相手の勢いを利用して腕を取って投げた。


 ―――合気道!?


 「ぐっ!?」


 強かに床に叩き付けられた男が呻く。

 イリアの敏捷は1。

 でも、今の動きは速い――訳ではなかった。

 あくまで相手と呼吸を合わせて、自然に、当たり前のように懐に入った。

 イリア凄い!


 「――ってんめええ、殺してやる!」


 片手をイリアの槍で落とされて、のたうち回っていた盗賊が逆上して、イリアに切りかかった。

 イリアの体勢もまだ整っていない。


 「あぶなっ」


 シミターが、イリアを切り裂く。

 そう思った。

 俺も、盗賊の男も。


 「……は?」


 盗賊も驚いていたが、俺も開いた口が塞がらない。

 イリアは――


 「軽いですね」


 シミターを、腕で受け止めていた。

 その華奢な腕で。

 俺がやったら、まず間違いなく腕が飛んでた。

 確実に。

 呆気に取られる俺たちを置いて、イリアは流れるように盗賊と位置を入れ替えて俺の前に立つと、落ちていた槍を拾って盗賊を串刺した。


 「げぇっ」

 「ひっ!」


 それを見た、投げられた方の盗賊が逃げるように入口に走り去るが、彼の命もそこまでだった。


 「見苦しいんだよ」


 盗賊かと思う程の目つきの悪い、黒ずくめ。


 「ソルト、さん?」


 両手にダガーを持った黒ずくめが、盗賊を一瞬のうちに切り捨てていた。


 「どうして……?」

 「ふん……お前に死なれると、困るんだよ」


 黒ずくめは目も合わせずに、横を向いた。


 「あ、ありがとう、ございます」


 ツンデレさんか?

 いやいや、仮にそうでも俺にどうしろと?

 男、のーさんきゅー!

 それより、有難い!

 本当に。

 今は――――!


 「お願い、助かってっ!」


 俺はイリアと黒ずくめに感謝しながら、ヒールに集中した。

 もう、どのくらい使い続けたのか。

 魔力も体力も限界を超えている。

 感覚的に、魔力の不足を体力で補っているような気がする。

 ブラックアウト寸前。

 命を削って、命を救う。

 大袈裟でなく、それくらいの作業だ。


 「―――けほ、アリス、ちゃん」

 「おば、さんっ!」


 塞ぎ切った!

 おばさんはまだまだ本調子には程遠いようだが、先ほどとは比べものにならない程の落ち着いた笑顔を浮かべていた。


 「アリスちゃん、は……凄いんだねぇ……」

 「おばさんっ!?」

 「大丈夫です、アリス様。眠られたのだと思います」


 イリアに言われて、おばさんを確認する。

 確かに、おばさんは安心したような顔で、胸を上下に動かしている。

 息をしている!


 「救え、た……?」


 逆に茫然とした。


 「はい。さすがです、アリス様!」

 「救えた……」

 「アリス様の献身、我が身可愛さのわたくしには、とても眩しいものでした」


 しかし、自分を大事に出来ない人間は、他人を救えないとも言う。


 「あ、れ……?」


 身体中の力が抜ける。

 身体が言うことを効かずに、勝手に床に倒れた。

 喋る事さえ出来ない。

 意識が朦朧とする。

 無理を、し過ぎた……?


 「アリス様! いけない、これほど衰弱してはっ!」


 イリアに抱き抱えられる。

 でも動けない。

 ああ、だめだ、もう意識が―――


 「―――申し訳ありません、アリス様! お叱りは後で!」


 そういって、イリアが覆いかぶさってくる。

 ……


 「え―――んっ!?」


 イリアに、キスをされた―――

 という事実だけが、頭の中に思い浮かぶ。


 「ん……」


 イリアの整った顔が、上気している。

 俺は思考が追いつかないので、されるがまま。

 ただ、イリアの口を通して体の中に熱い何かが満ちていくのが分かる。

 活力が漲る。

 もう少しで目覚めないんじゃないかと思うブラックアウト寸前から、意識もしっかりしてきた。

 意識がしっかりしてくると、イリアの唇の感触が気になって気になって仕方なくなってくる。

 キスって……こんな、気持ち良いの……?


 「は、ぁ……重ねて、申し訳ありません。アリス様」

 「あ……」


 唇を離して謝罪するイリアに、名残惜しいと思ってしまった。


 「……おい」

 「っ!?」


 黒ずくめの声で、我に返る。

 身体が動く。

 俺はイリアを押しのけて立ち上がった。


 「そ、外の様子はどうなんですっ!? 早く、盗賊を叩かないと!」

 「見てみろ」


 黒ずくめが外を促すので、早足で家から出る。

 一先ず、おばさんもイリアも置いたままだ。


 「これは……?」


 外に出ると、一面冬景色になっていた。

 炎が上がっていた建物も全て鎮火している。

 あり得ない程の、突然の雪。

 でも、優しい雪だ。

 炎を収め、街を優しく包んでいる。

 雪に間違いないのに、はらはらと落ちてくるその結晶を手に取ると、とても温かい感触がした。


 「凄いです……」


 これは魔法だと、直感した。

 俺が1人を救う間に、ティルは街全体を救った。

 何て天邪鬼なエルフ。

 何て凄い魔法。

 舞い落ちる雪を眺めながら、俺もいつか、と。

 そんな風に思った。


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