黒の獣
黒甲冑がのそりと体を起こした。
動きは早くない。それでは俺に攻撃を当てることなどできはしない。
手札は未知数だから、無警戒は厳禁だけど。
耳を澄ませると里の方から悲鳴も聞こえてくる。
それに煙臭い、やはり火の手が回っている。
原因はこいつじゃない?
足止めを食っている場合じゃないって事ね。
「シルヴィちゃん、氷魔法で消火に当たってください」
いつかティルが村を救ったように、優しい雪を降らせてほしい。
敵を目の前にして逡巡したようだが、くるりと踵を返した。賢い子なのです。
「――お母さま、御武運を」
笑顔で頷いてやると、娘は素早く里の方に向かっていった。
「手伝う?」
「助ける?」
ミオレナが肩を回しながら傍までくる。
シルヴィちゃんの代わりに張り切っているようだ。
気持ちは有り難いが、所見では厳しそうだな。
「いえ、休んでいてください。何とかしますから。ね、イリア?」
「イエス、マイ、レディ」
盾を構えてイリアが前に出る。
「せいぜい頑張れ」
「せいぜい泣き喚け」
う~ん、片方本当に性格がアレな子がいるな。
――おっと。
長話しているうちに体勢をすっかり整えた黒甲冑が、片手を突き出すように構えた。
魔法?
「お嬢様、わたくしの背に」
「ええ、お二人もどうぞ」
素直に双子もイリアの背に隠れる。
黒甲冑も何かしてくるっぽいけど、俺のイリアへの信頼は絶大です。
見ると、黒甲冑の右手に天使の輪っかみたいなものが出現した。
その中心に何かしらの光が集まっている。
「受け止められる?」
「もちろんでございます」
さすが俺の一番の忠臣である、イエス以外の返答が無い。
「わたくしを超えてお嬢様を傷つけられるとは思わぬことです。――エンシェントフィールド!」
魔力を帯びた完全なる防御膜が展開された。
……さて、相手の準備も十分かな?
「――っ!!」
光線が走った。
大地を焼きながらイリアのエンシェントフィールド(強化版)に阻まれて攻撃は霧散する。
この攻撃……やっぱり火事もこいつのせいだろうか?
イリアの顔色からすると、防いだもののなかなかの威力だったという事が伺える。
動きは鈍いがこの攻撃なら標的を仕留めるのも容易いだろう。
「怖い」
「恐怖」
ミオレナはその攻撃に戦慄していた。
守りが必要だな。
「イリア、お願い」
「承知しました、ですが万全を期すならお嬢様の魔力をお借りしたく存じます」
「1割ね」
雷の魔力を送る。
竜契約でパスが繋がっているので、イリアに譲渡するのは簡単だ。
「雷装、白銀神衣」
イリアが鎧のように俺の魔力を纏った。
まあ鎧というかパチパチした銀の雷がそれっぽくイリアに纏われている感じ。
もちろん、効果のほどは見掛け倒しなどではない。
俺のステータスで見えるイリアの能力値はこう補正されている。
・イリア
職業:ヴァルキリー
力:3 体力:4 守り:7 敏捷:1(+2) 魔力:0(+3)
転職して伸びた力、体力、守りに加えて俺のバフ。
今のイリアに隙はない。
皆を守る頼れるタンクだ。
これで後顧の憂いは無い、あとは俺が攻める番。
「わっと!!」
踏み込もうとした矢先に光線が飛んできた。
俺の反射と速さでも避けるのはギリギリだ。
近づくのは骨が折れるな。
「ライトニング!」
中級魔法とて、俺の一撃は甘くないぞ。
もはや山をも吹き飛ばすけん制である。
山は言い過ぎか、丘くらいかな?
しかし俺の一撃は黒甲冑に当たった瞬間、ぐにゃりと軌道を変えて空に消えた。
「むっ?」
さっきと防御特性が変わってる? 今度は自分の番とばかりに乱射してくる光線を躱しながら考える。
双子に向かった分はすべてイリアが防いでいるので安心だ。ただこのままでは埒が明かない。
もう一度接近してみるか?
四方八方を飛び回りながら距離を詰めていく。
「――っ」
勘が良いのか、これだけ動いてもかなり正確に俺を狙って撃ってくる。
こいつ……なんて腕だ。
ギリギリの回避を強いられるので、正直踏み込む隙が無い。
ちらりと辺りを確認してみると、光線であちこち森が焼けている。
ミオレナの顔色も悪い。そりゃ自分たちの住処が焼けてしまわないか気が気じゃないだろう。
あまり長引かせるものじゃない。
「ふぅ……」
戦いに慣れてしまったとはいえ、勝負をかける瞬間はやはり緊張するな。
深呼吸……すーはー……
――今っ!
最高速で駆ける。
音を置き去りにするくらい気合を入れる。
されど黒甲冑は反応した。
危険信号を素直に信じて直角に進路変更、太い木を足場に再び跳躍。
相変わらず正確に追いかけてくる。
急減速で狙いを外す、さらに急加速。
これじゃさっきの繰り返しを猛スピードでしてるだけだ。
回り道はやめた、一直線に向かう。
直線で向かってきた俺を的だとばかりに攻撃してくる。
その光線を――ねじりの動き、最小限で躱す。
――それでも、そのわずかな回避すら許さぬと正確無比な2連射が放たれていた。
――こいつっ!
もはや躱せない?
否――
「まだまだ――!」
空間を跳躍した。
ごっそり魔力を持っていかれる。
位置を決めて、黒甲冑の真後ろに出る。
「――行きますよ、覚悟しなさい」
手応えなく俺を完全に見失った黒甲冑にわざわざ宣言。
慌てて振り向いたその腹に手を押し当てた――瞬間、相手の手がだらりと下がった。
「――――――――――」
弾ける様に離れた。
「お嬢様!?」
絶好機を逸した俺に何事かとイリアが心配の眼差しを向ける。
俺は茫然と黒甲冑を見つめた。
黒甲冑は消えてしまった敵意で俺としばらく相対し、そして足元に開いた黒いゲートに飲み込まれるように、消えてしまった。
「……」
すぐにイリアとミオレナが寄ってきた。
「倒した?」
「逃がした?」
「ん~」
「お怪我はございませんか? お嬢様、どこか御加減が?」
「うん、それは大丈夫」
健在ぶりをアピールしてみせると、心配性のイリアがほっと息をついた。
そして首を傾げたが、思い直したように微笑んだ。
「お嬢様が良いと判断したなら、それが全てでございましょう。それでは消火にあたりましょう」
「ふふ、ありがとイリア」
「こっちは不安」
「こっちは不満」
賛否両論は世の常よな。
さてどうやって消火しようかと思ったら、淡い桃色の雪が降ってきた。
綺麗でひんやりするその結晶を手に取ってみる。
「シルヴィス様、素晴らしい魔法の腕ですね」
「そうだね~、ほんとびっくり」
見る見る森に雪が積もっていく、そしてあっという間に鎮火していく。
「ちびすけ、尊敬」
「ちびすけ、評価」
こんな果ての里でファンを増やす娘である。
ふむ、しかしこの規模では……シルヴィちゃんの魔力量と魔法の規模を皮算用する。
「ミオレナ――じゃなくてミオさん、レナさん」
俺のセット呼称に眉をひそめたミオレナさんだが、とりあえずこの場の御礼とばかりに聞く姿勢をとってくれる。
ほ……
「ちょっと滞在して身体を休めたいので、しばらくご厄介になります」
◇■◇■◇
案の定、ムリをしていたシルヴィちゃんが寝込んでしまった。
大丈夫です、と言いながら真っ赤な顔をしている娘は、これ何度熱あるんだろう?
ちょっと虚弱っぽいところ俺に似てるな。
きちんと消火は済ませているところは流石だけれど。
「世界の危機と娘の危機。秤にはかけられません。ここで一休みさせて貰いましょう」
シルヴィちゃんだけ抗議してきたが却下だ。他の皆は賛成してくれた。
そもそもリンナルの街を出てきてからまともに休んで無い。道なき道、深い森を踏破してきたのだ。ここでの休養は必要である。神とやらには万全の状態で臨む方が大事だろうし。
そうと決めれば、娘のためにおかーさんらしい事をしよう!
「食事を作ってあげたいのだけど、台所をお借りしても良いですか?」
「食事? 料理?」
「魔力供給?」
おかしいな、当たり前のことを聞いただけなのに不思議顔された。
「こんな森の奥で独立して生きられるって、やっぱり魔力メインの栄養補給か……」
「時々狩りする」
「時々山菜取る」
これだからエルフは……
この様子だと食材は何もなさそうだな。
ということは自前で用意か?
「食べられる野草や薬草などは良く存じております、アリスさん」
「シトラ! ありがとう、一緒に森に取りに行ってくれる?」
「もちろんです」
最低限の調味料はあるみたいだから、食べるものさえ確保できればどうにかなる。
この先に進むことを考えると、俺たちの用意している保存食は使いたくないしね。
「ではアリス殿、わたくしは狩りに行きますわ」
「あ、マリアさんあたしも付き合うよ。肉もあった方が元気がでるからね」
そんな訳で原始的に食材確保。
……人里なのに、やってることが大森林を進んでいた時と変わらない。
まあいいや、おかーさん頑張りますよ!




