白の世界の中で
休息は十分とれた。
今日は遂に霧の迷宮の攻略だ。
朝日が昇る前に行動を開始する。
空が闇に覆われてからは昼でも光が届きにくくなっている。
時間が惜しい。
「――行きます」
凛々しくシルヴィちゃんが先導してみせる。
道を知っているのは彼女だけだから。
ただ何となく心配になったので、手を握って俺も隣を歩くことにした。
「親馬鹿」
「こんなかわいい娘を持ったら仕方ないと思います……」
シオンさんだって家族思いのくせに。
「皆様、前を向いても横を見ても霧が視界を阻みます。足元だけを見てください。落ち葉があれば、それが正解の道です」
シルヴィちゃんは冷静だなぁ。
さくさくと落ち葉を踏みしめる音が木霊する。
みんな視界が無いからさすがに慎重だ、どうしても進みは遅い。
無駄口を叩く余裕もない。
はぐれでもしたら事だからね。
霧の迷宮は、この落ち葉の道の一本道しか正解がないらしい。
なんか、ビルの天辺でつり橋渡ってるみたいな感じ……緊張。
――フフフ、アハハ
「これは……」
唐突に、不気味な笑い声が木霊した。
「気になさらないで、いたずら好きの妖精です」
そんなものまでいるのか……
人の住む領域とはちょっと違ってきている、と思えるな。
――アハハ、ニンゲンニンゲン、ヒサシブリ
「反応を見て楽しんでいるのです。気にしてはいけません」
シルヴィちゃんが念を押す。
頼りになる子です。
ふむ、妖精はイタズラ好き、か。
娯楽に飢えてるんだろうか?
この世界は不思議だらけだけど、なんとも『それっぽい』こともあるよなぁ。
――アハハ、ウフフ
「……」
それにしても……森の奥でケタケタ笑う妖精って本当に不気味だな。
まるで怪奇現象だ。
タネが分かってる分、マシではあるけど……
こういうの、苦手なんだよなぁ。
ほら、夏の心霊特番とか俺大嫌いですし?
温泉宿の夜はトラウマですし?
「大丈夫ですか、お母様? 心配ありませんよ」
内心を見透かされたか、娘に手をぎゅっとされた。
「し、シルヴィちゃん……」
キュンとした……
「どっちが保護者だったっけ?」
「お嬢様ですから」
後ろから野次が飛んできたけど、気にしない。
シルヴィちゃんは天使、理解しました。
小さな手で大丈夫ですよ、と言わんばかりに優しく、しっかりと手を引いてくれる。
この子は……人に勇気を与える優しさがある。
なんて温かく、心強い。
これが、ルミナちゃんの自慢のねーさま。
これが、俺とクランの愛娘。
ああ……なんだか……
「お母様……?」
「ん?」
「あ、いえ……その、出過ぎた真似を……」
「ん~ん、嬉しいですから」
「あ……」
俺の方からもきゅっと握り返してやると、娘は慌てだした。
ふふ、可愛い。
――ヒキカエセ、ヒキカエセ
――ノロワレル、ノロワレル
――キャハハ、ヒャハハ
絶好調か!
思わず反応しかけたが、その手には乗らない。
今の俺は愛娘パワーで無敵だ。
「それにしてもシルヴィちゃん、告白とか、されまくりでしょう?」
「え? いいえ? わたくしはそのようなお話を頂いたことはございません。あ、でもルミナはよくお友達に告白されていましたよ? ふふ、可愛いですからね」
「へ~?」
確かにルミナちゃんは天真爛漫で可愛い。
しかしシルヴィちゃんは……なるほど。
まじまじと娘の顔を見る。
自分を持ち上げるようで恐縮だが、俺とクランの面影が見て取れるどこか別世界のような美しさを携えている顔。
この歳にして深い慈しみを備えた優し気な瞳。
高貴さを感じさせる立ち居振る舞い。
その全てが彼女を偶像へと駆り立てる。
ふぅむ……
「高嶺の花か……」
「?」
きょとんとした顔すら可愛らしい。
この辺の鈍感さはクランっぽくないな。
……じゃあ誰だ?
……まあいい。
この子に釣り合う、俺のお眼鏡にもかなう相手はいずこに?
この子お姫様だからなぁ、絶対にお相手が必要なんだよなぁ、やだなぁ……
「マリアさん、シルヴィちゃんを守ってくださいね!」
イヤな妄想をしてしまったので脊髄反射で頼み事をしてしまった。
「うふふ、私は姫様に適当な相手など見繕ったりしませんよ、それはクランで懲りましたから」
この人突然なのによく俺の意図を酌んでくれるね?
できる人ってホント凄い……
でもよかった、マリアさんは味方だった。
「ですがお話を聞く限り、その『ルミナ』様など連れ添うのに良いのでは?」
……味方?
「た、確かにルミナちゃんは何の問題もありません、でも別の問題が……」
姉妹だって言ってるじゃん、腹違いだけど……
「貴族の世界ではそういうことはよくありますわ」
「そうなの!?」
いやそうか、そういえば俺の居た世界でも中世ではそんなものか??
「まあ? ルミナ……?」
「あ、あ~変なこと考えなくていいからね、シルヴィちゃん?」
マリアさん、後で覚えてろ……
娘に変なことを吹き込むんじゃないよ。
「うふふ」
…………味方?
「! お静かに、皆さまご注意を」
シルヴィちゃんの一言で、再び気が引き締まる。
あれ? このパーティのリーダーって……誰だっけ?
――サア、シンパンダ!!
――セイゼイ、タノシメ!
精霊たちのひと際大きな声と共に、霧がザアっと深まる。
霧に――飲み込まれる。
手をつないでいるシルヴィちゃんの感覚まで無くなっていく。
これが――霧の審判!
「く……! みんな、無事で――!!」
すべてが飲み込まれる前に、精いっぱい叫んだ。
◇■◇■◇
真っ白な霧の中を、ただ歩く。
別に意識を失った感覚は無いが、いつの間にか一人きりだ。
左手の温かさは微かに残っているが、シルヴィちゃんも見当たらない。
事前に注意を受けていても、面食らう。
「これが、霧の試練……」
今のこの空間は、完全に現実から切り離されている……
夢の世界をたゆたっているようなものなんだろう。
幽世に近いのかな?
娘曰く、意思の強きものだけ先に進める試練、なのだとか?
意思、ねえ?
「ライトニングフィールド」
とりあえず結界を張ってみる。
…………ん。
んん?
うん…………なにも、感じられないな。
ただの白い世界だ。
意味がないので結界を解除する。
でも魔法は使えるんだな?
右手に紫電を走らせる。
ふむ、戦えなくはない。
何かあれば全力で抵抗してやろう。
さてさて……とりあえず進んでみるか?
とことこ歩く。
ひたすら歩く。
何もない。
気が変になりそうだ。
「う~~~~ん、すごい不安」
皆大丈夫だろうか?
まあ自慢じゃないが仲間の中で一番精神的に脆そうなのは俺だけどな!
つまり俺が脱出できれば皆脱出してる訳だ。
「ふむ」
ちょっとしゃがんでみる。
足元、何でできてるんだ?
白い地面を軽く叩いてみると管楽器のように音が響いた。
もちろん土じゃないし、やはり異空間。
「お?」
確認を終えて視線を上げてみると、いつの間にか扉があった。
不自然に、空間の中に扉だけある。
怪しすぎる。
くるっと扉を廻ってみるが、本当にタネも仕掛けも無い扉一枚だ。
――アハハ
「こわっ、でたな妖精」
急に目の前に光の玉が現れた。
別に人間を小さくしたような姿ではなく、本当に光の玉としか見えない。
――クグレ、ニンゲン
まあそうだろうとは思ってた。
「仕方ありませんね、まごまごしても意味はありませんし。男は度胸」
思い切って扉を開けて踏み込んだ。
――景色が変わった。
「これは――」
いきなり街の風景だ。
デタラメだな……
それにここは王都、だな。
出戻ったか?
見回してみると、不穏な気配。
何かあったのか、人々は鬼気迫る様子で右往左往している。
いや……この光景に、見覚えがある……
――ボウカンシャ、ヨクミテイケ
傍観者? ……とりあえず注意深く観察する。
間違いない、あの時の王都だ……
時間が戻った?
どういう理屈か分からないが、目の前の光景はリアルだ。
「――っ」
場面が緊迫する。
なだれ込んできた共和国の工作兵に、大勢の人々が切り殺されていた。
親を殺された子供がわんわん泣いている。
その子供を助けようとした周りの勇敢な大人たちが、共和国の兵士に次々に切り殺されていく。
「私の前で……! サンダー!!」
……出ない!?
「ライトニング!!」
反応無し、どういうことだ!?
――フフ、アハハ
「っ! 妖精! どういうことですか!?」
――ダカラ、ボウカンシャ
――オマエ、ダレモ、タスケラレナイ
「――」
そういう、事か……
試しに近くの建物を触ってみたら――すり抜けた。
VRか?
悪趣味な……
無残に殺されていく人たちを、俺は眺めるしかなかった。
そうだ……これは、もう取り返しのつかない、起こった事だ。
――サアサア、ツヅキ
場面が切り替わった。
これは……白竜と戦った戦場。
遠くに竜が暴れている姿が映っているが、俺がいた現場とはまた違う。
戦場の、後方だ。
待機していた守備兵が、獣人族の部隊に奇襲を受けて壊滅していた。
容赦なく、苛烈に。
首が飛び、内臓がはみ出して、大地が腐臭に染まる。
……俺が竜と戦っていた反対側で。
――アハハハハハ
「違う!! だって、あの時は竜を放っておけなかった!!」
っくそ!
こんな言い訳、妖精にして何になる……
もはやどうすることもできない過去を茫然と眺めさせられる。
風景はそのまま流れ、やがて見たことのある場面がやってきた。
獣人族の優男が、サイラに振り下ろそうとした剣を止めて、腹を突き刺された場面。
――コノコのキモチワカル??
サイラの瞳孔が開いた、放心したような目。
血を吐きそうなほど苦し気な嗚咽。
「それは……サイラが、あの人の……」
目を背ける。
あの子は、何も言わなかった。
精一杯やったんだ。
誰もかれもが出来る事を全力で。
その結果があれで、だから優しいあの子は何も言わない。
それでも……
「どう、声をかけてあげれば良かったんですか……」
俺の心情などお構いなく、再び、場面が変わる。
時系列が無茶苦茶だ。
次は――リンナル。
街が焼けていた。
盗賊たちが好き放題に蹂躙している風景。
――ヨワイオマエノセイデ、イッパイシンダ
いまさら……この、くそ妖精!
――アハハ、イイメダナ
近くで声が、聞こえてきた。
『なんで……俺が……なにしたって』
『ちくしょぉ、いてえよぉ』
『うええええ、おかーさーん!』
やめろ、わざわざ見せるな!!
分かってるから!!
俺が弱かったから……ただの観光気分だったから……!
――オマエハホントウニフカンゼン
また場面が変わった。
ここは……ウィルミントン西の国境線付近の森。
これは……
――アハハ、オマエシラナイ、ミセテアゲル
「あ、ああ……」
-―――エイムが、映った。
森の奥に陣取ったエイムが、味方の逃げる時間を稼ごうとキメラを射抜いている。
それをたった一人で。
カルメルに矢を射られ、手も足もボロボロになっても抗い続けていた。
そして――崖下に部隊の子と一緒に転送されて、人の身で到底受け止められないような大岩を――
「エイム……あなたって人は……」
魔法も使えない、岩を支えようにもすり抜ける。
変えられない、何も変わらない。
――アハハハハ、コッケイコッケイ
妖精の嘲笑と共に、カルメルに一矢報いたエイムが――土砂に飲み込まれた。
力が抜けた。
膝をつく。
なのに、観たくもない光景は場面を変えて続きを見せる。
王都の教会の一室で、シスターの少女が泣き崩れていた。
「許さない、許さない、許さない!!! エイムを、エイム……うぁぁぁぁぁっ!」
エイムの幼馴染……
ゾッとした。
当たり前だ……
彼女が強い、なんて……それは単なる言い訳に過ぎない。
俺が俺を納得させるための言い訳に過ぎない。
――コレハ、オマエノツミ
そうだ、これは俺が始めた事。
明確に、俺の罪だろう。
全員で生きて帰るなど笑わせる。
おままごとにでも行くつもりだったか?
それとも主人公は死なないとか、ゲーム感覚が抜けてないのか?
……呆れる。
――サア、オタノシミダ
再び、場面が切り替わる。
ここは……
自分の瞳孔が開いたのが分かる。
馬車に座って、足をぷらぷらさせている小さな背中。
風に流されて、トレードマークのツインテールが揺れていた。
「……ぁぁ」
観たくないのに、目が離せない。
たとえこの先が分かっていても、その懐かしい姿に胸が熱くなる。
「?」
怠惰で感情の薄い横顔が、わずかにこちらを向いて……目が合った。
「――!?」
心臓が跳ねた。
そんなことが、ある訳がない。
なのにあの人は、しばらくこちらをじっと眺めていた。
『ほう?』
まさか、気づいてる!?
そんなことって……?
驚きと、その声の懐かしさに心臓が締め付けられる。
蒼い瞳に吸い込まれそうになる。
――ティルベル、サスガ
『ふん、どこから観ておるのか知らんが……なるほどのう。アリスよ、おるのか?』
「ティル!!!」
こちらの叫びは、あちらには届いてなさそうだ。
そこに誰何の声を勘違いした人物が顔を出した。
『呼びました? ティル』
『む? いや、お主の事ではない』
――あの時の俺。
客観的に自分を見るというのは変な気分だな……
…………客観的に見て、うん……美少女だな。
『なんだそうですか、じゃあ独り言ですか? ボケたのかと心配になるじゃないですか』
『……ブリザー』
『ちょっ!? つめた!!!?』
そういえば、こんなことが道中あった気がする。
ティルがなんだかブツブツ言ってた。
いくら若く見えても300歳近いしなぁとか思ってたけど……
「……はは、笑わせないでくださいよ、こんな時に」
ティルは、知ってたんだろうか……この後に起こることを。
いや、そんなことは無いか。
ただの、覚悟の違いだろう。
『おい、そっちのアリスよ』
「――!」
ティル……
『どうせお主の事じゃ。割り切ったつもりでいつまでもウジウジ悩んでおるのだろう? 女々しいやつよのう』
覚悟の違いで、人のふるまいは変わる。
きっとそうなんだろう。
『ふむ、まあ経験者から助言をしておいてやろう――別にそれで良いのではないか?』
ティルは蒼い瞳を懐かしそうに細めて、優柔不断な俺を肯定した。
そうくるとは思わなかったな……
『ふん、理不尽に理由をつけて仕方がない、とあきらめる』
何を思って、思い出して話すのだろう。
『嫌なものには蓋をして、悲しい時に笑って、楽しくないのに愛想笑いを浮かべる。そんなものは成長とは呼ばぬ。自分を殺す事が成長などと、は、片腹痛いわ』
ああ……
ティルは大仰にふんぞり返って『俺』に説教する。
『生きる、ということは容易くないぞ? 分かったつもりの者から腐ってゆく』
胸にすっと入って来る。
響く。
熱い。
『くふ、せいぜい抗うがよい……ああ、わらわは面倒だから先に行くがのう?』
ほんと、笑い事みたいに話すんだから、この人は……
「……はぁ、ティル……大好き過ぎる」
後悔はある、当然だ。
でもつまり、それを消すことは必要ない。
いじわるな現実でも、俺は……
そんな今の俺の前を、かつての俺が嬉しそうに通り過ぎる。
『ティル! お米貰ってきましたから、おにぎり作りましたよ。腹が減っては戦はできませんからね!』
目の前におにぎりを突き出されて嫌そうな顔をするティルに吹き出しそうになる。
『む……手が汚れるからいらぬ』
『もうっ、これだって少ない食料を融通してもらってるんですよ! みんな我慢して、警護に付いてくれてる人にって!』
『なら、その辺の難民にでも与えればよい、わらわはいらぬ』
『……そんな事言って、昨日も一昨日も何も食べてないじゃないですか、心配ですっ! 心配なんです~っ!!』
『やれやれ、うるさいのう……では食べさせてくれ。手が汚れる』
ティルが目をつぶって小さな口を開けて待つ。
そこに『俺』が、仕方ないですね、とやたら嬉しそうな顔で食事のお世話をしていた。
「ずるいなあ、私……すごく幸せそう」
ああ、俺もティルのお世話したいなぁ……
――コウケイシャ、キガスンダカ?
この妖精も、なんだかお人よしに思えてきた。
「……そうですね」
風景は、避難中の何気ない一幕を見せてあっさり終わった。
てっきり2度目を見せるのかと思ってたけど……
必要ない。
あの光景は、見せられるまでも無く鮮明に覚えている。
俺の弱さとか後悔とか感謝とか、言葉に表せないほどの記憶として。
「過去を思うと、苦しくなります。でも、それで良いんだって……恰好つけさせてくれないんですから、ティルは……」
過去に囚われて落ち込んでるのも、また俺らしい。
それでも、シルヴィちゃんやルミナちゃん達を守りたいと思うのも俺。
未来だって、ちゃんと考えられてる。
「一足飛びの成長なんて無い、でも確かに私は私の道を歩いてる……」
――気が晴れた。
感じた瞬間――目が覚めるように霧も晴れていく。
真っ白な空間に、彩が戻り始める。
異空間から、戻って来る。
柔らかい落ち葉の感触を感じて、森の緑の匂いを嗅いで、鳥たちのさえずりが聞こえて。
確かめるように辺りを見渡している内に、森の霧さえ晴れて、穏やかな木漏れ日が差し込むまばゆい景色が広がってきた。
「ようやく来たか、ティルベルの忘れ形見」
――そしてそこには耳の尖った……エルフの女性が待ちくたびれたように立っていた。




