セイジャの行進
状況を整理する。
聖女のスキル『オメガクラウン』とやらの影響で魔法、スキルの類がキャンセル。
多勢に無勢の敵陣ど真ん中で孤立。
「……死ぬかな」
深呼吸して、落ち着いて自分に問いかける。
うん、死ぬ。
誰かは絶対に、死ぬ。
だって……戦場だから。
だからこそ、高みの見物は出来なかった。
そしてここに居る。
後悔など、一番無用の感情。
踏み込めば2秒もかからずに交わる距離で、聖女が十字の模様が入った瞳を開いた。
「……本当に残念です。貴女の黄泉路に幸運を」
「余計なお世話です」
しゃらん、と聖女の錫杖が鳴る。
泣き腫らした目のように真っ赤な光が戦場を包み込んでいく。
……相手の手の内。
「――行くよっ」
それに怯んでなどいられない、とシオンさんが一足飛びに踏み込んだ。
(まったく……!)
俺の心が迷った矢先に先頭を走る背中の頼もしさ。
聖女は白兵戦を得意としているようには見えず、思い切りの良さで機先を制したように見える。
これは――殺った。
敵とはいえ、自分よりも年下の少女が斬られる姿を想像して半目になった――が、そうはならなかった。
聖女の前に、身を挺して飛び込んできた敵兵がいた。
シオンさんは素早く対応して、千本桜を薙ぎ払う。
刃の切れ味は鉄の鎧など問題にならない。
兵士はもろとも胴を切り裂かれて崩れ落ちた。
地面には臭い立つような鮮烈な血溜まりができた。
「……覚悟っ」
一瞬だけ偲ぶように勇敢な敵兵を見てから、シオンさんは返す刀で聖女に刃を振り下ろし――――バランスを崩した。
「――な、にっ?」
「えっ!?」
思わず、見ていた俺も声を上げた。
致命傷――間違いなく、致命傷だったはずだ。
シオンさんが加減を誤るはずがないし、千本桜の切れ味はナマクラのそれじゃない。
ならば今、目の前で地に付しながらシオンさんの足に掴みかかった兵を何と説明する――?
「ヴぅおおお――!」
――死体が、動くっ!!
身の毛がよだつ呻き声をあげて、屍がシオンさんに纏わりついてきた!
「う、ああああっ」
珍しく動揺した(当然だが……)シオンさんが刀を屍に突き刺した。
力任せに2度3度。
「う――ぅ――」
まだ、動くっ!?
正体不明の脅威に、流石のシオンさんも顔色を変えて下がった。
なりふり構わず足の拘束を振りほどいて、俺の傍まで戻って来る。
「お姉ちゃんっ」
「……大丈夫だ」
……あの程度の戦闘で、シオンさんが肩で息をしている。
当然だ。
理解不能、というのは人間の精神に一番堪える。
「アリスお嬢様っ!」
俺の周囲を庇うように、メイドさん達も集まってきた。
見渡してみるに、誰も欠けてはいない。
流石だ。
「……敵が」
言い難そうにミャンが視線を飛ばした先――周囲一帯には敵兵の包囲網が出来ていた。
それをさせない為のメイド隊であり、彼女たちの実力は折り紙付き。
それなのに、容易く敵の包囲を許してしまった。
その訳は――
「ヴ――ぅ――ぅ」
――――――全部、屍。
倒しても倒しても、起き上がる。
血の気が引いた。
――しゃらん。
場違いなほど不気味な錫杖の鳴る音に、びくりと振り向いた。
数多の屍を率いてそこに在る聖女。
瞳孔の開いた目の中に、十字架の模様。
罪を受け入れた瞳の奥に、今さら感情の色は伺えない。
瞳を閉じれば可愛らしい少女。
しかしその瞳が、ありふれた少女のものではないと雄弁に語っている。
「シトラ……」
「――ヴァルキリー・パレード。これが私の、王のスキルです」
シトラ・フォン・アスターニャが告げる。
背後には数多の血塗られた兵士の姿。
その姿は聖女でもなく、戦士を導く戦乙女でもない…………
「生の冒涜……屍使い」
俺の呟きに、シトラはぴくりとも表情を変えなかった。
周りには屍兵がどんどん集まってくる。
俺たちは身を寄せ合って、円陣を作った。
脱出するには、壁が厚くなりすぎている。
頬を汗が伝った。
「……アリスさま、もう一度問います。砦を明け渡してください。アリスさまの処遇は悪いようには致しません。いいえ、共和国でも銀の雷精の名は轟いております、悪くなど出来ようはずもありません」
有り難い最後通告。
しかし、是非も無し。
「私が下って……公国の保証は?」
「私の一存では決めかねます」
「王国の処遇は?」
「私の一存では決めかねます」
「敗戦国の戦争責任は?」
「今の状況であれば、王国の幼い王子はただの傀儡。実質――クランセスカ・ウィルミントンの首、という事になるかと」
「はははは」
「……」
クランの、首?
「――断じて否。あまり私を……怒らせるなっ!!」
思い切りよく、聖女に踏み込んだ。
シトラの表情が少しばかり強張る。
拳をふりあげ、戸惑う横顔めがけて全力で打ち付けた。
「――――っ」
至近距離で、驚きに大きく見開いた瞳と目が合った。
ガギン、と嫌な音を立てて俺の拳と聖女が咄嗟に上げた錫杖がぶつかり合った。
吹っ飛んだのは聖女、傷んだのは俺。
「ぐっ」
右手の拳が、砕けた……かも。
貧弱すぎる、いや、あんなもん全力で殴ったらそらそうか……
「こほっ、アリスさまは……勇猛なのですね」
咽ながら、聖女が屍に囲まれて起き上がる。
やはり聖女自身の戦闘力は大したことは無さそうだ。
今の一撃を受け止めたのも咄嗟の偶然だろう。
それにしても……ここにいる兵は最初から全員屍なんだな……
敵陣をかく乱するつもりで、思いっきり嵌められた訳だ。
「残念です、アリスさま……本当に」
その表情に嘘はない。
しかし揺らぎもしない
――しゃらんっ!
不気味な錫杖の音が鳴る。
一斉に囲んでいた屍兵たちが動き出した。
「……ここで、屍を晒す事になります」
「そのつもりも、まだないっ」
バックステップで距離を取る。
「お嬢様に、寄るなっ」
ミャンが牽制に投げナイフを放つ。
襲い掛かる屍の眉間に、心臓に、首筋に。
いずれも致命傷のそれは、それでも屍兵を止めるには十分ではなかった。
「ちっ、なら、これでっ!」
シオンさんが千本桜で足を狩る。
しかし崩れ落ちた屍兵が、腕を使って這いずって来る。
地面を這う屍兵のその上から、別の屍兵が殺到して――
――ぐしゃりっ
虫を踏みつぶすように簡単に、頭は潰れた。
「……っ」
や、やばい、吐きそうだ。
「痛みも無ければ恐怖も無い、感情すら持たない……!」
シオンさんの眉間にも、皺が寄った。
「――首をはねろ! それしか止める手段は無い、出来るか!?」
シオンさんがメイド達に覚悟を問う。
俺は内心、迷った。
しかし、彼女たちは強かった。
『畏まりました、シオン様!』
一切の迷いなく、承諾する。
……本当に、大した子たちだよ。
そこからは、地獄そのものだった。
屍兵の首をはね、転がる頭を踏みつぶす。
鼻が潰れそうな死臭の中で、逃げ出す事さえ叶わない。
自分たちが正気を保っているのかもよく分からない。
ぎりっ。
唇を噛みしめて血が流れた。
「聖女と呼ばれる人間の、これがその戦いですかっ!? 恥を知りなさいっ!」
怒りに任せて叫んだ俺の問いに、シトラは表情を変えない。
「……そう。平気でいられる方が可笑しい。だから私はもう、人ではない。『聖女』と呼ばれる、ただの器です」
シトラの顔が、昏く歪む。
「ちゃんと、分かっております」
つんと鼻を潰すような、咽返る戦場。
大地に走る溝に、どす黒い血の川が流れている。
人が――人であったものが、別の何かに変わる。
――おぞましいったらない。
「――分かってないっ! そんな幼い歳で、分かったつもりになるなっ!!」
「アリスっ!」
横合いから首をもがんと噛みついて来た屍から、シオンさんが身を挺して守ってくれた。
代わりに、腕を噛まれながら。
「ぐうっ」
――しまった、熱くなって、俺は!
「お姉ちゃんっ!」
「騒ぐな、大丈夫だ」
気丈にウィンクまでして見せてくれる。
くそっ、回復魔法だって使えないのにっ!
「――もう、世界を変えたいんです。だから、区別と差別を履き違えている輩を、私が導くんですっ! 私がっ」
「戦争で世界を導こうとするなっ!」
「だって、変わらないじゃないですか――いつまでもっ」
しゃらんっ!!
錫杖の音に導かれて、獣人族とヒューマン――の屍兵が、仲良く同時に飛びかかって来る。
四方八方から一気に屍が押し寄せて来る。
でもね、簡単な道に逃げる人に、クランを殺させやしない――
「――イリア、竜化ああああああああああああっ!」
『イエス、マイ、レディ』
遠く離れた砦の方角から、轟音が木霊した。
地震の如き幻想の胎動に、屍を含めた全員が体勢を崩して地に付した。
「……竜? あ、あの輝き……あれは……エンシェント――」
十字の瞳を丸くして、聖女が幻想を視る。
「ここには、生者はいません――――薙ぎ払え!!」
『我が力は、お嬢様の為に――』
――――光が走った。
人間が目視するのもやっとの速度で、光が大地に走る。
瞬間、土を吹き上げて屍兵たちが跳ね飛ばされ――消滅していく。
「な、なぜ――攻撃が」
「ティルの幻想魔法に、効果なかったでしょう?」
膝をついたままの聖女の前に進み出る。
「私の竜契約は、幻想そのものだから――止められる訳ないでしょ」
シトラが呆然としている間にも、屍兵たちが一瞬の光線で消滅していく。
「――っ」
猛烈な立ち眩みがした。
……今の俺の魔力をもってしても、これ以上は。
「もういいです、イリア」
『ご武運を』
イリアが竜化を解除した気配と共に、身体の負担が減った。
……失った魔力は、そう簡単に戻らないけど。
でも十分、これで形勢逆転。
「……あなたを捕縛します」
不死の軍を失った聖女を捕まえようと手のを伸ばしかけて――辞めた。
「――ほう、勘がいいじゃねえか。あと一歩踏み込んでりゃあ、たたっ切ったんだがよ?」
ニヤニヤと、戦場に似つかわしくない陽気さで獣人族の男がシトラの背後から歩み出てきた。
「どこから……」
「あん? 塹壕が掘ってあるんだわ、ホラよ――」
男が腕を巡らせたその先から――窪みで見えなかった地の底から、再び幾千にも及ぶ屍兵が姿を現せてくる。
なんてこと……イリアの2度目は――無理かっ。
「――切り札、先に使いましたね?」
しゃらん、と錫杖を鳴らせて聖女が立ち上がる。
昏い昏い顔をして。
ピィ――
指笛が木霊して、周辺を走らせていた馬を呼び戻しにかかる。
「お姉ちゃん?」
「引き時だ、アリス」
視線で後方を示されて確認する。
土煙と怒号。
相手の本隊が迫っている――生きている騎馬部隊が。
「アリスさま、もう一度ブレスで薙ぎ払って見せますか?」
「……」
こいつ……!
「私が、イリアに貴女ごと薙ぎ払うように命じれば終わっていたのに、余裕の隠し玉なんですね」
「銀の雷精と、それに付き従う竜族の話は有名ですよ。ご自分のお立場を軽く見たのがアリスさまの敗因では?」
イリアの事を予期したうえで、俺の性格まで逆手に取られた……!
確かに焼き尽くされる危険もあったのに命を張った策を成功させたのは聖女だ。
甘く見ていたつもりはなかったけど、くそっ!
「ま、こんなこともあるさ。気にするな、アリス」
「……お姉ちゃん?」
「まだ負けた訳じゃないし」
馬が来てくれても、逃げる時間を目の前の敵から稼がないといけない。
誰かが、時間を稼がないといけない。
「なんとか、してみせるよ」
にかっと、眩しいくらいの笑顔を浮かべて、シオンさんがウィンクした。
次回『桜吹雪、舞い散りて』