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幻想世界のアリステイル  作者: 瀬戸悠一
七章 継承者編
139/170

嵐の前に

 「久しぶりですわ、ベルトラン様」


 外面を整えて、奴隷商人のダンディな眼帯さんの所にやってきた。

 彼も彼で、お髭を蓄えた精悍な顔は、なかなかの渋さを醸し出している。

 いつも通りの商談用の応接間に通されて、紅茶を飲みながら座談である。


 「これはこれはお嬢様、次にお会いできるのはいつかと、一日千秋の思いでお待ちしておりました」

 「まあ? ベルトラン様ほどのお方が、私のような小娘を相手にしても仕方ないでしょう?」

 「お嬢様はご自身を鏡で見ることは無いのでしょうか? 世の男がお嬢様を前に理性を保つのは大変な労力を要するのですよ」

 「ふふ、相変わらずよく回る舌をお持ちの事で? 安心致しましたわ」

 「なんの、世の中が荒れようと商人は逞しくないとやっていけませんからな」


 ひとまず、再会を祝して眼帯のおっさんと握手した。

 ハグをしても良いくらいなんだけどね~。


 「商売の方は順調です?」

 「戦争特需というやつですな。飛ぶように戦闘奴隷が売れております」

 「ベルトラン様の商会は粒ぞろいでございますからね。喜ばしい事です」

 「ふ、この商売を、お嬢様のような可憐な方と世間話のように話をするのは妙な気分ですな」


 奴隷売買だからね。

 ま、俺も自分の正義を振りかざすつもりは無いし?

 イリアには、この商会のおかげで出会えたんだし?

 ちらりと、後ろに直立不動で控えるイリアに視線を向けた。

 いつも通りのポーカーフェイスである。


 「世間知らずの小娘の戯言など、聞きたくありませんでしょう? 私もそこまで馬鹿になりたくありません。それに、この子は本当に役に立ってくれていますからね? 需要と供給は理解しているつもりですわ」


 役立つ、などという言葉を選びたくはなかったが、ここはご主人様の体面を保つ所だろう。


 「賢く、度胸もある……お嬢様が何者でも無いのなら、どれだけの苦労をしても口説いて妻にしている所ですが……誠に残念に思いますな、銀の雷精殿」


 銀の雷精ねぇ。

 俺もティルみたいに、何者かになれるんだろうか?


 「私は、まだ何者にもなれていませんよ。私に限らず、皆それを探して生きてる最中でしょうから」

 「おや? 間接的に、私の妻になってくれると受け取っても宜しいのでしょうか?」


 自分でも殊更ことさら華やかな笑顔を作ってみせた。


 「神様の導きがあれば、お考え致しますわ」

 「お嬢様は、神を信じておいでで?」

 「無神論者ですわ、ベルトラン様」

 「ふはははっ! 本当に面白いお方だ」


 この姿でここに居ることが神様のイタズラで、神隠しと言えなくも無いが……

 しかし、どれだけ俺の気が迷ったら、男に抱かれても良いなんて思考回路になるんだろ……?

 怖すぎるし、それだけは神に誓ってもないと思うけど……

 思うよね?


 「ではベルトラン様、今日もそろそろ我儘を言い出しても宜しい?」

 「ふ、お嬢様の我儘を聞くのが私の今の楽しみでございます」

 「ふふ、ではイリア?」

 「イエス、マイ、レディ」


 声をかけると、イリアが用意していた羊皮紙ようひしを差し出した。

 この世界、もちろん紙はあるのだが、重要な書類をしたためるのに羊皮紙を使うらしい。

 眼帯さんは素早く目を通し、ふぅむと唸った。


 「結構な金額ですな。さすがお嬢様」


 抜かりの無い商人の顔になった。

 さすがである。

 文言の一字一句見落とすまいと高速で目が動いている。


 「どうでしょう? お考え頂ける?」

 「私どもの商会を、買いたいと?」

 「ええ」

 「この商会は私の私物という訳ではございません。即断即答できる事案ではございませんな」

 「事は一刻を争います。周りを説き伏せる役も含めて、貴方にお願いしたいのですわ、ベルトラン様」

 「お嬢様にそこまで買われているとは、面映ゆい限りでございますが……」


 とんとん、と指で規則的に机を叩いている。

 頭の中では目まぐるしく損得を考えていることだろう。

 もうひと押しするか~。


 「ベルトラン様、何も私はこの商会の経営に口出ししたい訳ではありません。商売はあくまで商会の者たちの相談と合議の下に進めて下されば、問題ありません」


 鋭い眼光が俺を突き刺してくる。


 「もちろん、美味しい果実を一口噛ませてもらうのは間違いありませんけど? 問題はそこではありません」


 都合のいい事ばかりいっても信用されないからな。

 利益に噛ませてもらうのは当たり前だし、言っておく。


 「貴方たちにお願いしたいのは、情報屋としての仕事、物流……そして、もっと裏の、くら~い部分。それを請け負って私たちに協力してもらいたいと思っております」

 「ふむ、確かに全て不得意な分野ではありませんが」


 我が家のメイドさんも能力は申し分なく、仕事の選好みもしない素晴らしい子たちなんだけど、どうしても人数に限界があるからな。

 この戦を乗り切って、今後を考えても必要だ。

 必要悪だ。


 「私とて、正道せいどうを歩む生き方を誇らしく思う人間です。でも、いじわるでしょう? 運命の女神様」

 「なるほど、性根の悪い女神より、目の前の女神に賭ける方が建設的でしょう。本当に興味深い方だ」

 「ふふ、ベルトラン様は私を口説かないと死ぬ病気にでもかかっているのですか? もちろん、悪い気はしませんが」

 「それは良かった。ですが神は?」

 「信じておりません」


 にっこり笑って再回答。

 眼帯さんも、渋く笑った。

 う~ん、黒ずくめには無い、出来る男の雰囲気が漂っている。

 まぁ俺、黒ずくめはキライじゃないんだよね。

 あの不器用そうなところが、放っておけないというか。

 悪い奴じゃないし?


 「良いでしょう。やはり私はお嬢様に嫌われたくはありませんしな」

 「よろしいので?」

 「その笑顔を見せられると、正しい選択だと思えます」

 「ありがとうございます、ベルトラン様。私の笑顔など、いつでも無料でお見せしますわ」

 「破格の条件ですな。経営方針にも特に口出しは無いというなら、何の問題もありますまい。心強いスポンサーを得た、という所です。それがお嬢様なら、この商会に利しかありません」


 損得で言うと結構な出費にはなるんだけど、長い目で見るとこちらにとっても利が大きいからね。


 「さて、お急ぎと聞きましたが、差し当たり何が必要ですかな? これは正式契約前の、こちらからのプレゼントと受け取ってもらっても構いません。火急の用事を片付けて、我が商会の能力をご覧に入れましょう」

 「まあ、頼もしい限りですわ。それではまずは――兵站の維持をお願い致します」




 ◇■◇■◇


 これで、下準備は整った。

 いや準備は、いくらしても足りないと感じる。

 でも必要最低限が整ったなら、ここから先は決断するかどうかの問題。

 まだまだ日の高い空を見上げながら、交渉からの帰途につく。

 空は青く、お天道様は今日も事も無し。

 人間だけが、輪を乱す。


 「私、勧善懲悪が大好きなんです」

 「はい、お嬢様の心根は、よく存じております」


 傍らのイリアを見るでもなく、話しかける。

 いつも隣にいてくれる安心感。


 「共和国は許せないって思うけど、一兵たりとも逃がさない、なんて思えないですし……それでもやるしかなくて……」


 手を握ったり、開いたり。


 「いっぱい、血に塗れるんでしょうね、私……」

 「お嬢様に召されるなら幸せでしょう。ヴァルハラに行けます」


 それはイリアの感想であって、敵さんからしたら、ただの殺戮者なんだよなぁ。


 「言葉という力を使って、状況を回避するのが人間です。しかし、それが叶わぬ場合も往々にしてありましょう。その時に、善悪など論じる隙はありません。あるのは勝者と敗者、生きるか死ぬか、それだけですわ」


 難しく考える事などありません、とイリアは相変わらずのお澄まし顔である。


 「今日まではギリギリ天国に行けたかもしれないけど、明日からは地獄かも」

 「大丈夫ですわ。お嬢様の往く道は、わたくしの道。地獄の業火も全てこの身で受けて見せましょう」

 「あっついよ~、たぶん。死ぬほど」

 「ふふ、死んだ後に、死ぬほど熱いとどうなるのでしょうね? 興味深い事です」


 腹の据わった女の子の精神力は凄いなぁ。

 イリアの場合、俺が笑えって言えば、本当にうめき声一つ上げずに業火でも受けそうだ。

 でもま、イリアが付いてきてくれるなら、どこでもいっかって思えるよね。


 「ところでお嬢様、神様は信じないのでは?」

 「信じたり、信じなかったり」

 「柔軟な信仰心をお持ちですね」

 「私は自分を信じてます」

 「では、わたくしもお嬢様教に入信致します」

 「すごく怖そうなカルト集団になりそうですね」

 「もうすでにそのような集団かと」


 いつのまにか、教祖になっていた……


 「ちょっと寄り道します」

 「はい、お嬢様」


 街並みを目に焼き付けておきたいなんて縁起が悪いけど、真っすぐ帰りたくなくて、城郭外まで足を延ばすことにした。

 治安という意味では、一番に悪化してそうだ。

 物流も止まっている状況だし、生活はどうなっているんだろうと気になる。

 なんか、焼きトウモロコシ思い出しちゃったし。


 「……」


 特に会話する事も無く二人で歩いた街は、静かで重苦しい。

 ……ウィルミントンで感じた事のある空気だ。

 普段なら、城郭の外は毎日市場を開いているような熱気に溢れていた。

 郭内の整然とした街並みと穏やかな暮らしとは違った文化で、生命の輝きの強い独特の活気だ。

 それが今は、隙間風に身を縮める子供のように怯えた表情を見せている。

 出店でみせが出ていた場所まで来ても、あの少年の気配はない。

 疎開した……?

 それなら、その方が良い。

 クランは絶対に籠城戦を選択する。

 北、西、東から攻められて出陣など不可能だからだ。

 そうなると城郭が頼りになるわけど、その外は……


 「イリア、籠城戦の成否は?」

 「援軍につきます。これが無い場合、勝利は不可能でしょう」


 その通りだ。

 なら援軍はどこから来る?

 クランの事だから、政治的な交渉は済ませていると思うけど……


 「やはりウィルミントンを攻めている共和国軍を撤退させて、援軍に来てもらうのが一番ですね……」


 現実的に考えて。


 「かの国の窮状を見るに、例え当面の危機を退けたとしても、援軍の要請は非常に心苦しい限りでございますが……」


 共和国もこれを見越して、まずウィルミントンから攻めたんだろうな……

 他国など構っている余裕はなく、復興が第一だろうが……


 「感情的な部分でも、私はあの国と人が大好きですから……どちらにしても、助けます」


 クランはクランで動けばいい。

 俺の意思は伝えてある。

 俺はウィルミントンに行く。


 「イエス、マイ、レディ。わたくし達の忠義、お見せ致します」

 「無理を言ってるのは分かってるけど、そう悲壮な決意を固めないで?」


 確かに命を懸ける戦いになるだろう。

 足を止めて、振り向いた。

 ポーカーフェイスのイリアの頬に、手を添える。


 「それでも、死ぬのは許しませんから」

 「はい……お嬢様を置いて先に逝くなど、気が気ではありませんから」

 「もぅ、なに? 手のかかる子供みたいに~」


 わざとらしく頬を膨らませてやると、イリアが柔らかく表情を崩した。


 「生きがいですから」

 「イリア、今さらっと凄いこと言った?」

 「ふふ、言いました?」

 「告白みたいだったよ?」


 イリアは得意げな顔で、片目を閉じてみせた。

 秘密ですよ、とばかりに口元に持ってきた指先が、チャーミングである。


 「内緒ですけど、実はわたくし、お嬢様の事、愛しております」


 世間話でもするように語る、この娘のハートは強すぎると思うの。

 照れを通り越すよ、こうまで真っすぐだと。


 「そ、そう? それは、その、嬉しいです……」


 でも照れるけど!


 「そうやって顔を赤くして、もじもじしていらっしゃるお嬢様が、大好物でございます」

 「……」


 分からん。

 この娘だけは、分からん……


 「イリア」

 「はい、お嬢様」

 「帰ったらおしおきします」

 「ありがとうございます」


 返事がおかしいと思うんだけどなぁ。

 赤くなった顔を誤魔化すように、ツンと澄ましてみせて、さっさと歩きだした。

 背中から、楽しそうな忍び笑いが追いかけてきたんだけれど……




 ◇■◇■◇


 「ここは……」


 さらに歩くと、くたびれた教会に出くわした。

 敷地には雑草が生え放題になっており、教会のシンボルである鐘も無い。

 もう廃屋となっているようだ。

 そこに二人の人影を見つけた。

 そのうちの一人は、よく見知った顔だ。

 俺より先に、無表情に手を振っていた。

 流石に気づくのが早いというか、俺より先に気づいていたのだろう。

 彼女は誰よりも見える目を持っているから。


 「エイム、偶然ですね」

 「ん、珍しい所で会う」


 エイムはよく来るのだろうか?

 隣には、見慣れない子が一緒にいた。

 シスターの服装かな?

 落ち着いた雰囲気の、可愛らしい少女だ。


 「ん、紹介する。ラナ」

 「もうエイム、ぜんぜん紹介になってないよ」

 「そう?」


 空気感からして、親しい関係っぽいね。


 「あの、初めまして。いつもエイムがお世話になってます。郭内の教会でシスターをさせて貰っている、ラナと申します。エイムとは、この修道院で育った幼馴染なんです」

 「丁寧にありがとう。私はアリス。こっちはイリアです」

 「存じています。雷精さまとお会いできて、嬉しいです。エイムからいつもお話は聞いていたので……あの、この子、何か迷惑かけてませんか?」


 幼馴染っていうか、お姉さんみたいな印象。


 「ん、心配ないラナ。ごはんは3杯まで大盛りで食べさせてくれる。マスターは寛大」

 「す、すみません!」


 ラナさんに頭を下げられてしまった。


 「ふふっ、大丈夫ですよラナさん。それ以上にエイムは、よく働いてくれていますから」


 見た目通り生真面目なんだね、ラナさん。

 エイムと一緒にいると心労たまりそう。


 「なら、良いんですけど……あの、仕事って……」


 ……ああ、そうか。

 エイムにやってもらう事は魔物を狩るだけじゃなくて、『人殺し』もさせている。

 説明、した方が良いよな……誤魔化せない。


 「あの……私は……」

 「あっ、良いんです! あの、エイムのお仕事に口を出すつもりは、無いんです。最近は、エイムは穏やかな顔で帰ってきてくれるから、それだけで私は安心なんです」


 穏やかな、顔……?

 ポーカーフェイスのイリアとは違って、真の意味で無表情に見えるエイムの顔を観察する。

 アシンメトリーで片目が隠れそうな青の髪の下に、能面を張り付けたかのような小さく整った顔。

 じ~~っと見つめてみる。


 「ん、キスする?」

 「この衆人環視の中で、ブレませんね」


 ぐっと親指を立てたエイムは心なし得意げな顔をしている、ような気もする。

 要するに、俺にはそこまで感情の機微が読めない。

 さすが幼馴染。


 「こんな楽しそうなエイムは、子供の頃以来ですから、私嬉しくって……」

 「そうだと、私も嬉しいんですけど」


 ラナさんは、鐘の無い教会を目を細めて眺めた。

 その視線の先には、鮮やかな思い出が映っているんだろうか?


 「はい。だから、ちょっとだけ、お祈りに来たんです。この幸せが、ずっと続きますようにって……困ったときだけお祈りしてちゃ、シスター失格ですけど」


 この戦の趨勢すうせいがどうなるかなど、分からない。

 大言壮語は吐くべきじゃない。

 でも俺は今、それをすべき立場にいるのかもしれない。


 「心配しなくても大丈夫です。私たちが、追い払って見せますから」

 「雷精さま……」


 神様にお祈りするように、俺に向かって手を組むラナさんに照れる。


 「疎開できる人はそうするのですけど、私たちのように孤児を預かる教会はそうもいきませんから……せめて子供だけでも守れたら良いのです、どうか……」


 聖母様みたいな人だな、エイムの幼馴染。

 なんだか、戦の前にひりひりしていただけの心が温かくなった。

 目的が見つかったというか、改めて思い出す事ができたというか。

 俺は、やっぱり守れるだけ守りたいんだ。


 「ん、心配しないで、ラナ。マスター、世界一強いから。共和国のやつら、度肝抜かれる」

 「誇張しないでね、エイム」


 でも、そうだよね。

 軽くないんだ、この肩書。

 ほんと、俺の師匠はちっちゃいなりして、おっきい人だったなぁ。


 「でも、守って見せますよ」


 言霊ことだまになれ、と思いながら俺も古ぼけた教会に祈ってみた。

 神様ではなくて、エイムとラナさんが真剣に祈る、誰かに。


 ――さあ、明日は出陣だ。

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