その7
「えっ? フラメンコってフランス版のメンコじゃないの?」
「クールジャパン!」
みなさんこんにちは。今日も私たち〝野球研究会〟の二人は午前いっぱい、夏休みの補習を受けました。
今日は部室で駄弁ることもなく、部室で彼と待ち合わせた後、帰路についています。
廊下をぱたぱたと上靴で歩きながら北側の窓から外を見ると、天高く太陽が南中しているせいで真っ白に光る校舎外とは対照的に、校内は少し仄暗く感じます。
「どうしたのそのモノローグの口調。いつもと違うじゃん」
彼の読心はいつも通りです。
そのツッコミをスルーして私は話を戻します。
「いやさ話は戻るけど、メンコもさ、バンド・デシネみたくフランスにも普及してるのかと思ってたんだよね」
「……バンド・デシネは日本のマンガが伝わってできたわけじゃないからね」
「そうなの?」
「……知らないなら話さない方がいいと思うよ。恥かくだけだよ」
なんかツッコミがいつもより優しいんだけど!
「頭をどこかで打ったんじゃないの?」
「それ言っちゃいかんやつ!」
優しいとか言ったらすぐこれだよ!
「ああごめんごめん。これが君のいつも通りだったね。別に頭なんて打ってなくてもこれだもんね」
「謝られると逆にひどい!」
そんな私のツッコミが、広々とした階段の踊り場に響く――けれど、すぐにそれは吹奏楽部の楽器の音でかき消える。
一階まで降りた私たちは、昇降口のある別の棟――今いるのが部室棟で、私たちは二つある教室棟のうち、遠い方に向かう。近い方は上級生のそれだ。
「でもさ、知らないからって何もしなかったら成長しないよ。英会話だってさ、喋らないとできるようにならないって言うし」
「それはさ、」
と彼は呆れ顔で溜息混じりに言う。
「英会話はな、俺たちは小中高とずっと勉強してきてるわけだろ? それで躊躇する理由がない、あとは実践で経験を積むだけって意味で『喋らないとできるようにならない』って言ってるわけなんだよ。君のはさ、昨日のニュースやバラエティ番組で知った『単語』を引っ張りだして話し始めるから話が全然続かないんだよ。そんな状態で話しても上滑りして最終的に表層雪崩が起きて大惨事が起きるだけなんだよ」
と、彼は「私がスベる」という未来を回りくどく大仰に説明してくださった。
「バンド・デシネってさ」
言いながら彼は自分の左の太腿のあたりをまさぐる。
「ポケットだよ! ポケットの中!」
彼はツッコみつつアイフォンを取り出す。
「いやこれは『アイフォーン』だよ。〝i〟じゃなくて〝o〟にアクセントがあるんだよ」
「どっちでもよくない?」
いつだかもした記憶がある「アイフォーンアクセント談義」はもういい。
彼は描画アプリを起動させて、そこに左の掌と親指以外の四本の指でアイフォンを横向きに支えながら、左手の親指で器用に文字を書いていく――この場合、描画ソフトを使っていても「書いていく」でいいよね?
……そうして彼が書いた文字「Bande Dessinée」。
「こうやって綴るんだ。フランス語。君も何か話そうと思ったらさ、一度インターネットでいいから調べてみた方がいいよ。ウィキペディアなら十分で十分、概要はわかるから」
「……はい」
私はこれまでになく素直に返事をした。
何だかすごい身に沁みたから――というのもあるけれど。
昇降口まで来ると全身に纏わりつくような温かくて湿った空気が、校舎内に流れ込んでくるのがわかる。
あっつ……。
……もうこれ以上、彼のお説教を聞きたくなかったからなのであった。
「……」
彼はじっとりジト目を向けてきたけれど、私はスルーした。
校舎内は意外と全体的に冷房が働いていて(校舎内全般を使っている吹奏楽部が強豪だからこういうことができるのである)、……校舎から出たくないなー。
けれどここにいてもどうしようもないので、靴を履いて校舎を出る。
陽射しが全身に突き刺さる。
豚の丸焼きってこういう気分なのかな。
体中の汗腺からぎっとぎとの汗がでろでろと噴き出してきて、瞬く間にキャミソールが肌に吸着してくる。……気持ち悪い。
隣にいる彼もダルそうで、たぶんまだ話したいことがあっただろうけれど、結局そこからは何も話すことなく、私たちは校門で言葉短く別れの挨拶をして、それぞれの帰路についた。
自宅に帰ってから、早速私は一人、リビングの冷房をガンガンに起動させて、お父さんの(うちにある唯一の)パソコンも立ち上げ、インターネットで「バンド・デシネ」を調べてみることにした。
「バンドで死ね」
……。早速変換が私のやる気を削いできた。
いや、気を取り直そう。今こそ偉人の言葉を引用しよう。
『いつやるの?』
『今でしょ!』
入力――するとグーグル先生が先回りで表示する。
「バンド・デシネ エロ」
私は自室に戻り翌朝まで不貞寝した。